第5話 デート ~土方、斎藤~
自室で待っているように土方さんから言われ、絶賛部屋の中で待機中。
いつでも出ることができるようにコートを羽織って座っている。
朝食のあと、部屋に戻った私はまず布団をたたみ、部屋の隅に寄せた。
それから、改めて髪型や顔面のチェックを行い、問題がないことを確認する。
そうなると、気になってくるのは歯磨きだ。
朝食を食べ、どうしても歯を磨きたいという思いが強くなる。
歯ブラシ自体は、スーツケースの中にトラベル用のものを入れてあるからいいとして、問題はどこでするかだ。
江戸後期の今では、洗面台などは当然ないだろう。
そうなると、井戸か?
井戸なんてどこにあるのかもわからないし、使い方も知らない。
歯磨き粉が混じった水は、どこに捨てるのか?
この時代の人は、歯磨き粉なんてものは使っていないだろうからその辺で吐き出すのか。
……など様々な疑問が浮かぶ。
そう、私は江戸時代の生活をあまりよく知らないのだ。
それこそ、ネットがつながっていれば調べることもできるがあいにくそれもできない。
どうしたものかと考えたとき、外に人の気配を感じたので、襖を開ける。
すると、廊下では斎藤さんが歩いていた。
「斎藤さん!」
「ん?なんだ?」
斎藤さんが持っているものは、小さい木の棒だった。
「え?それ、なんですか?」
「これは、房楊枝だ」
「ふさようじ?ってなんです?」
「房楊枝は歯を磨くための道具だ」
「歯を?」
歯をそんな固そうな木で磨くのは正気か?と一瞬思ったが、これはつまり江戸時代の歯ブラシということになる。
「今から歯磨きするんですか?」
「まぁ、そうだな」
「私もついていっていいですか?」
今から歯磨きをする斎藤さんについていけば、自然と歯磨きの方法が学べると思い提案する。
「構わん」
斎藤さんからの許可が下りたので、私はさっそく歯ブラシを取りに部屋に戻り、廊下に出て襖を閉める。
「先生、ご指導のほどよろしくお願いします」
私は深々と頭を下げる。
「待て、何の話だ」
「今から斎藤さんは、私の歯磨きの先生です」
私が歯ブラシを持って前へと突き出すと、あまり表情の変化がない斎藤さんも不思議そうな顔をする。
少し、考え込んだような素振りをみせると、またいつもの無表情に戻る。
「未来と今では、歯を磨く方法が違うのだな」
「方法自体はそこまで変わらないとは思うんですけど、それを取り巻く環境が違うんですよね」
「そう、なのか……」
納得がいったようないってないような複雑な顔をする斎藤さんだったが、ついてこいと言われついていくと藤堂さんがそこで歯磨きをしていた。
「おぉ、一くん!と桜!どうしたの?」
「久遠に歯磨きのやり方を聞かれてな」
「あ~なるほど!」
そのまま房楊枝で歯を磨く藤堂さん。
斎藤さんは、少し遠くからお茶碗を取ってきて、私に渡してきた。
「これで口をゆすぐんだ」
「なるほど!」
この時代には、コップがない。
その代わりお茶碗をコップの代わりにするんだ。
なぜ湯のみじゃだめなのかはよくわからないが、この時代の作法を学ぶことにした。
「この桶から水を汲み、ここにゆすいだものを吐き出すんだ」
水が溜まっている桶があり、そこから茶碗に水を入れ、ゆすいだらこの黒い器?みたいなものに吐き出すらしい。
なるほど、根本的にはあまり変わらないんだな。
「教えてくれてありがとうございます!」
「あぁ」
そういって斎藤さんは、さっそく房楊枝を使って歯を磨き始めた。
私も、歯ブラシを取り出し歯磨き粉をつける。
「うわっ!なんだそれ!」
歯を磨き終えた藤堂さんが私の歯ブラシを見て驚愕している。
「これは歯磨き粉です!これをつけると、口がよりさっぱりするんですよ!」
「え!?これが歯磨き粉なのか!?」
藤堂さんはそういうと、何やら紙の袋を取り出してきた。
「俺らは、これが歯磨き粉なんだよ!なぁ、一くん!」
「あぁ、そうだな」
斎藤さんも懐から同じような袋を出してくる。
少し、パッケージは違うようだが。
「この時代にも歯磨き粉あったんですね!見せてもらってもいいですか?」
「もちろん!」
はい、と渡された袋の中身をみると、その中にはさらさらとした粉のようなものが入っていた。
歯磨き粉の粉って一体なにが粉なのだろうとずっと疑問に思っていたが、まさか本来の歯磨き粉が粉だとは思わなかった。
この粉が派生して、今の形になったのか……と歴史の一端に触れ、歴史はおもしろいなぁと感慨深くなった。
「ありがとうございます!」
袋を藤堂さんに返すと、おう!と言って部屋から出て行った。
私もさっそく歯を磨く。
昨日の夜歯磨きしてなかったからとても口の中が気持ち悪かった。
今度からは、ここにくれば歯磨きができるとわかった。
これは、かなりクオリティ・オブ・ライフ、通称QOLが爆上がりである。
歯を磨きながら、この部屋を見渡す。
ここはいわゆる洗面室のようなものなのだろうか。
これと言って、何かがあるわけではない。
ただ、この和風な世界に私が今いるという事実が未だあまり受け入れることができない。
どこか夢見心地というか、今この世界は鮮明な夢で目が覚めたら元の時代に戻っているんじゃないかなと思うときもある。
ただ、今は目の前の生活に必死にしがみつくしかない。
ふと冷静になると、とても不思議な体験をしているなと思う。
それに、最初に見たあのオオカミ人間の正体は、一体なんなのだろうか。
まだまだよくわからないことだらけだ。
歯を磨き終わったので、茶碗から水を口に含みゆすぐ。
それを3回繰り返し、茶碗の中の水が3分の1くらいに減る。
斎藤さんももうすでに歯磨きを終えているようだった。
「嗽茶碗をもらおう」
「うがいぢゃわ……?」
「これだ」
斎藤さんが持っていた茶碗を少し上げる。
あぁ、この茶碗のこと嗽茶碗というのか。私は、嗽茶碗を斎藤さんに渡す。
斎藤さんは、その嗽茶碗の口元を拭きとり、多く茶碗がある場所に戻す。
なるほど、今度からハンカチを持ってきて口元を拭きとろうと決めた。
「斎藤先生、ありがとうございました」
「その、先生は少し気恥ずかしいな」
「斎藤歯磨き先生……?」
「それはちょっと違うな……」
二人で軽口を叩きながら部屋を出たところで、土方さんと遭遇する。
「副長」
「おう、どうした」
「久遠に歯磨きを教えて欲しいと……」
「あぁ、なるほどな」
斎藤さんの横にいる私に目をやる土方さん。
あぁっもう、かっこいい。
そういえば、このあと土方さんと着物や袴を買いに行く予定があった。
あれ?それってつまり、デートでは?私は、思わず顔がにやける。
「なに変な顔してんだ」
土方さんは相変わらず眉をひそめる。
多分、私はオタク独特の気持ち悪い顔をしていたのだろう。
「え、だってこのあと土方さんおデートできると思ったら嬉しくて……」
「おでーと?」
土方さんや斎藤さんに何言ってるんだこいつという顔を見られる。
しかし、デートとはなんたるかを言ってしまえば、土方さんに引かれそうなため、あえて黙っておくことにした。
「まぁまぁまぁ!この後、楽しみにしてますからねっ!」
「あ、あぁ……」
私の笑顔の圧に土方さんが何か言いたげな顔をしていたが、私はあえてそれを無視する。
「斎藤さん!行きましょ!」
「あぁ。副長、失礼します」
斎藤さんが歩き始めたので、私もそれについていく。
背中に土方さんからの視線を感じるので、一度振り返ると、土方さんはやはりこちらを見ていた。
「久遠、部屋で待っとけ。出れるようになったら迎えにいく」
「わかりました!」
そうすると、土方さんは歯磨きの部屋に入っていった。
私は、斎藤さんに部屋まで送ってもらい、部屋に戻り今に至る。
デートということで、さすがにリップくらいはつけたいと思い、薄ピンクのリップをつけて気分を上げた。
土方さんとデートができるのはもちろんだが、幕末の京都の町を歩くことが出来るというのも私にとっては楽しみの一つだ。
「久遠、準備できてるか?」
襖の向こうから土方さんの声が聞こえる。
私は立ち上がり、襖を思いっきり開ける。
「ばっちりです!」
土方さんが一瞬私を見て固まるが、ひとつ咳払いをする。
「行くぞ」
「はい!」
土方さんの背中についていき、いわゆる玄関的なところでブーツを履く。
そして、そのまま屯所の門をくぐってしばらく裏道のようなところを歩くと、急に開けた道に出る。
そこでは、着物を着た人たちが大勢いてとてもにぎわっていた。
ちなみに、土方さんは新選組のだんだらを羽織っておらず、プライベート感がでてより顔がにやつく。
が、大通りに出てしばらく歩いていると、人々が私たちの方を見ては、こそこそと話をしている。
どうやら嫌われているみたいだ。
しかし、それも当然だろう。
私がこの時代にそぐわない格好をしているのだから。
「なんか、すみません」
ひたすら歩き続ける土方さんに話しかける。土方さんまで変わった人扱いされることに対し、少し胸が痛い。
「なにがだ?」
「だって、私がこんな格好をしてるから土方さんまで好奇の目で見られてしまって……」
私は思わず立ち止まる。
土方さんの目を見ることができない。
「顔を上げろ、久遠」
私はその声の通り顔をあげると、振り返った土方さんと目が合う。
土方さんは、まっすぐこちらを見ている。
「京の連中は、そもそも長州びいきだ。お前だけじゃなく、俺たち新選組のことをよく思ってないやつが多い。それでも、俺たちがなすべきことは変わらない。堂々としてろ」
土方さんが私の背中をぽんと叩く。なぜか自然と背中が伸びる気がした。
「はい!」
それから私は、周りの目があまり気にならなくなった。
日本人は、異端なものを排除しようとする傾向があるが、土方さんはその辺りの考え方がこの時代の人の割には柔軟なのかなと思った。
再び、歩き出した土方さんの少し後ろを歩く。
土方さんの背中は物理的に大きいが、そういう意味ではない、とても大きな背中にみえた。
安心感を与えてくれる。
そんな土方さんについていくと、呉服屋と書いてある暖簾があるお店へと入っていった。
「西田さん、いるか?」
土方さんがお店の奥へと声をかけると、高齢の女性が腰を曲げて出てきた。
「はいよ。あら、土方さんやないの」
二人が礼をするので、土方さんの後ろにいる私も慌てて礼をする。
「そちらのお嬢さんは?」
「あぁ、ちょっとな」
「もしかして、土方さんの……?あらぁ~土方さんも隅に置けんなぁ~」
「ちがっ!そんなんじゃねぇよ」
西田と呼ばれた女性は、土方さんを叩きながらからかっている。
土方さんが京都の人たちと気さくに話す姿は想像していなかったので、かなり意外だった。
「今日は、お嬢さんのお着物を?」
「着物もそうだが、袴も。身に着ける物を一通り頼む」
「袴?なんでですの?」
「こいつはちょっと訳ありでな。詳しくは聞かないでくれると助かるんだが」
「はい、わかりました。身につけるもの一通りですね」
西田さんは、にこりと微笑むと私に手招きをするので、それに導かれるように西田さんに近づく。
「奥の方へどうぞ」
「はい」
西田さんについて店の奥へと入る。
すると、数多くの着物や袴、帯などが揃っていた。
西田さんが下駄を脱いで上がるので、私もブーツを脱いであがる。
「あんた、名前はなんていわはるん?」
「久遠桜です」
「桜ちゃんね。ぴったりのもの持ってくるさかい、ちと待っといてな~」
「はい!ありがとうございます!」
西田さんは、そういって部屋を出る。
こんな変わった格好の私に疑問を向けないのは、気を遣ってくれてるのだろうか。
だとしたらありがたい。
そもそも、新選組があまり受け入れられてないこの町で、土方さんに好意的に接しているところをみると、この時代には珍しく偏見というものがないのかもしれない。
そんなことを考えながら、体育座りで待っていると、西田さんが多くの袴セットを持ってきてくれた。
「あんたみたいなかわええ子に似合いそうなもん、持ってきたで~!」
畳に広げられたのは、桃の花のような色のシンプルな着物で裾には桜があしらわれている。
袴は、ほとんど白に近い紫色で、上の着物と色の系統が似ていてとても綺麗だった。
「す、素敵です!」
「せやろ~!気に入ると思うてん!」
「ありがとうございます!」
そういうと、西田さんはきらりと目を光らせる。
なんだろうかと思ったら、口角もにやりとあがる。
「じゃあ、さっそく着替えて土方さんに見せよか。着方わかるか?」
「それが、人生で1回し着たことなくて……。そのときも、着付けの方に着せてもらったので、なにもわからないんです」
「なるほどな。なら、うちに任せ~!」
西田さんは、まず服を脱いでと言われるので、ヒートテックとストッキングの状態になる。
「その足に履いているやつも脱いでな」
「はい」
ストッキングを脱ぎ、下はパンツだけになり少し肌寒い。
「まず、腰に湯文字巻いて……ってなんやそれ」
西田さんは、私のパンツを指さす。
「え、なにって……下着ですけど……」
「したぎ?そんなけったいなもん脱いでこれ巻きや」
なにやら薄い白い布を渡してくる西田さん。
手に取ると木綿のような素材だ。
「え……と、これ、なんでしたっけ?ゆもじ?」
「女はみーんなこれ巻いてんで~。男のふんどしみたいなもんやな」
「あ、あぁ……なるほど」
「なんでふんどしの方がわかんねん」
この時代の男の人は、下着としてふんどしをつけているというのは時代劇のイメージでなんとなくわかる。
しかし、女がどのような下着をつけているかなんて想像もしてこなかった。
なるほど、ふんどしではなく、この“湯文字”という布をつけるらしい。
いや、まて。
こんなスカートみたいなひらっひらの布で何が隠れるというのだ。
そもそも生理のときはどうしているのだ。
今みたいにパンツにナプキンを付けることができるタイプの下着ではない。
私は、今後この時代での生活が長引くことを想定し、女性である西田さんに聞いてみることにした。
「あ、あの……西田さん」
「ん?」
「生理のときって、みなさんどうされているんですか?」
「せいり……?」
西田さんが考えるような素振りを見せたため、少し言い方を変える。
「あ、えっと……月経のときです」
「あーお馬さんのことな。そりゃ、普段は血が出ないようにして、用をたすときに一気に出すか、それができひんなら御簾紙(みすがみ)か布を当てるんや」
西田さんに一気に言われて頭の整理が追い付かない。
普段は血が出ないように?私は、血が出るタイミングをコントロールすることはできない。
血がでないようにコントロールするためには、相当太ももの筋肉が発達していて、しっかり膣を閉めることができなければならない。
しかし、2022年ではそこまで筋肉が発達している女性はあまりいないだろう。
無論、私もその一人である。
そう考えると、この時代の人たちは日本全国を歩いて移動するし、なにより毎日着物をきているのだから、2022年では考えられないくらい筋肉が発達しているのかもしれない。
基礎の筋力が桁違いなのだろう。
みすがみ?はよくわからないが、とりあえず紙か布を当てとくという解釈でいいはずだ。
ずっとこの時代にいれば、土方さんと一緒にいられると浮かれていたが、現実問題不便なことが多そうである。
歯ブラシは持ってきてはいたが、生理期間ではないためもちろんその類のものは持ってきていない。
常備しておくべきだなと反省する。
「なるほど……。ありがとうございます」
「あいよ~」
私は、さすがに股の風通しが良すぎると違和感があるため、パンツは履いたまま湯文字を巻く。
着物の下だけのようで、右足が布から出るようなものなので、本当にこれは下着としての役割を果たすのか甚だ疑問である。
そこからは大学の卒業式で着付けしてもらったように、肌襦袢、長襦袢の上に桃色の着物、白に近い紫色の袴と手早く着せてくれる。
まったく着方が覚えられなかったため、徐々に慣れていこうと心で決めた。
それから足袋や下駄を用意してもらい、着てきた洋服たちは風呂敷にまとめてもらった。
西田さんは、部屋の中にある姿見まで私を連れた。
久しぶりに見る袴姿の自分に心なしか高揚する。
色味が私のピンク味がかかった髪色によく似合う。
西田さんは、私の後ろから私の肩を掴み、私の後ろから顔をひょっこりと出す。
「あんた、かわええなぁ。こりゃ土方はんも喜ぶで~」
「……それだと嬉しいです。西田さん、ありがとうございます!」
「土方はんの頼みやさかい、礼を言うなら土方はんに!……さ、表戻るで」
「はい!」
私に風呂敷を持たせてくれ、私は西田さんの後ろに続き着物の森の中を抜ける。
お店の暖簾をくぐると、腕を組みながら入り口の横で街を見つめる土方さんの姿があった。
「土方はん、終わったで」
その綺麗な横顔がこちらの方を向く。
土方さんは上から下まで私をみると、再び町へ視線を戻す。
「少しはまともな格好になったな」
「もぉ~土方はんったらぁ~。素直やないんやからぁ~」
西田さんがにやにやと土方さんを見る。
その土方さんは、懐に手を潜り込ませると西田さんの前に手を出す。
「悪かったな、助かった」
「まいど~!」
西田さんはなにかを受け取ったようだ。
いわゆるお会計だろうか。
そうか、お金!私は持ってないから土方さんがお金を出してくれたのか。
途端に申し訳なさが募る。
「土方さん、すいません!」
私は咄嗟に頭を下げる。
「……こういう時は、ありがとうでいい」
土方さんは、私の頭を両手で挟み無理矢理顔を上げさせる。
それから歩き始めたので、私も歩き出そうとするが、一度振り返り西田さんに頭を下げたあと、土方さんに置いていかれないよう小走りする。
しかし、歩き慣れない下駄により下駄先が地面に引っかかり盛大に転ぶ。
「いてっ!」
持っていた風呂敷がクッションとなってなんとか顔が地面につくことはなかった。
少し膝が痛い気がするが、血が出るほどではないだろう。
「……ったく、何やってんだお前は」
顔を上げると呆れ顔の土方さんは私を見下ろしている。
「す、すみません……」
立ち上がろうと体に力を入れようとすると、顔の目の前に私より遥に大きい手が見えた。
その出所を視線で追うと、土方さんが私の前でしゃがんで手を差し伸べてくれていた。
「ほら、早く立て」
「あ、ありがとうございます」
私は恐る恐るその手を触ろうとすると手を掴まれ、思いっきり引っ張られる。
「うおっ!?」
あまりの力に思わず目をつぶるが気づけば、私は立っていた。
「なんだその色気のねぇ声は」
「あはは……すみません、本当に」
「ったく、手のかかるやつだなお前は」
土方さんが風呂敷を拾ってくれている間に私は服についた砂を払う。
「行くぞ」
「は、はい!」
土方さんはそのまま風呂敷を持ってくれている。こういうさりげない優しさがある土方さんは相当モテるだろうなと思う。
「土方さん、いろいろありがとうございます!」
「あぁ」
こう声をかけるが、土方さんはあんまり気にしていない様子でまっすぐ前を向きながら歩いている。
私はそんな土方さんを見て、少し顔が綻んだ。
鬼の副長の鬼じゃない一面が多く見ることができるのは、やはり土方さん自体元々鬼ではないことが要因なのだろう。
しばらく土方さんについて歩いていると、お店の中に入っていく。
その店をみると、刀がディスプレイされていたことから、刀を売っている店だと判断する。
私もお店に入ると、土方さんがお店の人と何やら話している。
すると、土方さんに手招きされたので土方さんの元へ駆け寄った。
「お前、刀は持ったことあるか?」
「え、いや……ないです」
「……そうなんだろうな」
土方さんが一つため息をつくと、店主の人と私でも扱える刀が欲しいと話しているようだった。
当然、刀などレプリカのものしか触ったことない私は少し驚く。
レプリカの刀ですらとても重かったのに、本物はそれより重いと聞く。
それを私が扱えるとは到底思えなかった。
再三言うが、私は現代人の中でも力がない部類である。
「え、私刀なんか持てません!」
「何言ってんだ。一応、これからは新選組の一員として屯所にいてもらうことになる。そうなったときに、刀のひとつも持っていないと示しがつかないだろ」
「それは、そうですけど……」
刀を持つということは、私も戦わなければいけないということなのだろうか。
このグロいものが苦手で力がない私が。
そもそも、刀で人を斬れるほどの力が自分にあるとは思えない。
そんな私の心中を察してか、土方さんはこう続けた。
「安心しろ。お前が戦うことはない。あくまで護身用だ」
「な、なるほど……」
自分の身は自分で守れるようにした方が良いということだろう。
それはそうだ。
この先、日本で最後の革命が数年後に待っている。
もし、それまでに元の時代に戻ることができなかったら、戦争の渦中に巻き込まれることになってしまうだろう。
そのときに、自分の身を守れないようじゃ新選組の足手まといになる。
私も、覚悟を決めなければならない。
「ちなみに聞くが、護身術の類は心得ているか?」
「すみませんが、まったくやったことありません!」
「……期待した俺が馬鹿だった」
「本当にすみません……」
2022年では、もちろん護身術なども身につけていた方が良いには良いのだが、そこまで必須事項ではない。
私は、合気道とか護身術とか剣道とかそのようなものは一切習ったことがなかった。
なぜなら、それらを行うための筋肉がそもそもないからだ。
いつか江戸時代に行くことになるとあらかじめわかっていれば学んでいたかもしれないけれど。
「これなんてどうかね?」
居たたまれない空気を打ち破ってくれたのは店主の人だった。
手に持っていたのは小刀。
なるほど、これならまだ大丈夫かもしれない。
「持ってみろ」
「は、はい!」
唾を飲み、そっとその小刀を手にする。
店主が手を離すと重力に負けて一瞬腕が下がる。
「いや、思ったより重っ!?」
「なんだと?」
土方さんの眉がしかめられているのがわかった。
が、重いものは重いのだから仕方ない。
持つことに慣れれば重みを感じなくなるかもしれないが、これを振って自分の身を守らなければならないと思うと、先が思いやられる。
「お前はまず鍛えるところから始めないとな」
「マジですか……」
筋トレというものを避け続けたツケが今回ってきたのだ。
追い詰められないとやらないのは私の悪い癖である。
「一度鞘を抜いてみろ」
「はい」
私は左手で鞘側を持ち、右手で刀の柄の部分を持つ。
両手に力を入れ、ゆっくりと刀を引き出す。
きらきらと光る刀身を天井に向かって持つ。
肘を体につけて支えると安定することがわかった。
初めてじっくり見る本物の刀は息をのむほど美しく、またオーラを感じた。
「構えてみろ」
「は、はい!」
私は鞘を店主に私、柄を両手で持つ。
時代劇の見よう見まねで肘をまっすぐに伸ばすが、重くて腕が上下に動く。
侍たちは、これより重いものを振り回しているなんて正気の沙汰じゃないと本気で思った。
「わかった。これをもらおう」
「毎度あり!」
「マジですか!?」
土方さんが店主にお金を渡しているのを見て、私は二重の意味で手が震え始めたので刀を鞘にしまって刀を横向きにして両手で持つ。
「刀って高いんじゃ……?」
「あぁ、そうだな。だから、腐らせないよう体を鍛えろ」
土方さんに完全に逃げ道を塞がれた私は、力なく返事をする。
せっかく土方さんが買ってくれた刀を使いこなすためにも、筋トレをすることが絶対となった。
「刀を貸せ」
土方さんに刀を渡すと土方さんが片手で小刀を持ち、もう片方の手で私の左腰に手をやる。
土方さんが上から覆いかぶさるような形になっており、体が硬くなる。
その間に土方さんは腰の帯を探り、帯の間を広げたと思ったらその間に刀を差す。
袴の間から切っ先を出すと私から離れる。
腰に感じる重みに刀を差してくれたんだと納得したが、いまだ心臓の音が鳴りやまない。
「あ、ありがとうございます……」
「行くぞ」
なんともないような感じで振舞っている土方さんにしてやられた感があるが、私はまともに土方さんの顔を見ることができず、土方さんの足元をみながらついていく。
確実に赤くなっているであろう顔を見られたくないのもあるが。
歩き続けていると「あれ?桜ちゃん?」と声が聞こえたので顔をあげると、だんだらを羽織った新選組の集団の先頭にいる沖田総司がいた。
「へぇ~随分と見違えたね」
「ありがとうございます!」
沖田さんに上から下までじろじろ見られたが、確かに量産型のファッションをしていた自分からはかけ離れた姿だろう。
沖田さんはにやにやした顔で土方さんを見ているが、土方さんは顔が険しくなる。
「総司、お前暇なときこいつに護身術を教えておいてくれ」
「嫌ですよ、なんで僕がそんなことしなきゃいけないんですか?」
「副長命令だ」
そういい合った後、二人はしばらく視線だけでバトルをしていたが、沖田さんがため息をついて「わかりましたよ」といったところでそれは終わった。
沖田さんが近づいてきて私の耳元に顔を近づけてくる。
「桜ちゃん、覚悟しててよね」
私にだけ聞こえるような声でそう言ったあと、にこっと笑って歩いて行った。
沖田さんはなんだか食えない感じ笑顔に背筋が凍る。
「私、沖田さんに殺されたりしないですよね?」
「……大丈夫だ。多分」
「多分!?」
土方さんから不穏な返答がきてより一層これからの生活に影が落ちた。
新選組に会えたことは嬉しいが、いろいろと不便で大変だ。
幕末に行きたいとか少しでも思っていた自分に後悔する。
まぁ、でもあのまま元の時代にいても……というところはあるが。
そして、そのまま屯所にまっすぐ戻り、土方さんとのおデートは終わった。
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