第4話 朝餉 ~土方、原田~

襖の向こうが静かだ。

おそらく、昨日の女は寝ているのだろう。

昨夜、新選組の秘密実験によってつくられた隊士が逃走した。

探し回りようやく見つけたときには、女に懐いていた。

秘密がバレてはまずいと思い屯所に連れ帰ったが、明らかにその女はそこら辺の女と風貌が違った。

着物を着ていなければ髪も短い。

一瞬、子どもかとも思ったが、話してみると意外と声は低かった。

足を出している姿は夜鷹かと思ったが、お金に困った様子も生活が苦しい様子もなかった。

南蛮人かとも思ったが、話す言語は日本語だった。

「変な女」というのが第一印象。

挙句、未来から来ただの処刑するなら俺に介錯してくれだのと奇妙なことを言いやがる。

そんな中、周りの、特に近藤さんの圧に耐えられずその女を新選組で預かることになってしまった。

あの人はお人好しすぎるところがあるが、ここまでとは思わなかった。

もちろん、そこがいいところでもあるのだが。

そして、その女が朝餉の時間になっても起きてこない。

総司の「あの子、桜ちゃんだっけ?土方さんに起こしてもらったら喜ぶんじゃないかな~」の言葉に近藤さんが乗らなければ、俺がこんなところに来ることはなかったのに。

無意識のうちに大きなため息がでる。

覚悟を決めて襖に手をかける。


「おい、いい加減起き……ろ…………」


俺の視界に飛び込んできたのは、掛け布団を掴んで丸まっている桜色の動物の毛のような塊。

なんだ、これは。あの女はどこ行った。

俺は、その毛の塊にそっと近づいてみる。

動く気配はまったくない。

片膝をついてその毛を触ってみる。

今までに触ったことのない感触に思わず手の力が入る。

その柔らかさに思わず気が緩む。

片手だけじゃ飽き足らず、もう片方の手もそれに触れる。

毛の向こうの暖かさがその気持ちよさをさらに加速させる。

ん?暖かい?

違和感を覚え、その塊を掴み手前側に倒す。

すると、毛の中から昨日預かった女、久遠の顔が出てきた。


「うおっ!」

「んぇ……?」


久遠の大きな目がゆっくりと開く。何度か長いまつ毛が羽ばたいたあと、零れそうな瞳と視線が混じる。

しばらく焦点が合わなかったが、徐々にはっきりとしてきて、必要以上に目が大きくなる。

小さくて色づきが良い張りのある唇が動く。


「ひ、土方さん?なんでここに……?」


その耳障りが心地良い甘くて低い声に現実へと引き戻される。


「お前が起きてこないから起こしにきたんだ」

「わざわざ土方さんが!?」


ここでようやく体を起こす久遠。

改めて、こちらを向くと手を顔で覆う。


「なんだ、お前……」

「土方さんに寝起きの顔見られるなんて、恥ずかしすぎて死ねる……」

「…………」


何を言っているのだと首元まで出かけたが、ぐっと飲み込んだ。


「……朝餉がでてきている。早く着替えろ」

「あさげ……?と、とにかく早く着替えます!」


久遠が立ち上がったのを見て、俺は廊下に出た。今日は久しぶりに空の光がまぶしかった。




土方さんが朝を起こしに来てくれるという乙女ゲーム的イベントが発生し、布団から飛び出た。

土方さんはどうやら、廊下で待ってくれているらしい。

そういう女の子への気遣いができるところ、惚れるやないかいっ!

……冗談はさておき、取り急ぎ部屋着を脱ぐ。

新しい下着を丁寧につけて、昨日来ていた服にフローラルな香りがする除菌スプレーをかける。

防寒着以外を身に着け、スカートの中にニットを入れ、スカートを整える。

髪をくしで軽く整えるだけでいいのは、バスに乗る前に美容院行き、髪をショートボブにし、ブリーチして暗めのラベンダーピンクを入れたからだ。

美容院のトリートメント力に感謝。

問題は顔だ。

普段から私はメイクを欠かさない。

なぜなら、魔法にかかったようにかわいく変身できるからだ。

しかし、この時代でラメなどを使ってしまうと、かなり目立ってしまうし、逆に変だと思われかねない。

幸い肌が強い私は化粧水をぱしゃぱしゃつけて終了。

眉毛はしっかりと毛が生えているし、眉下まで切った前髪のおかげで眉毛も放置。

目元だけでもなんとかしようと、ビューラーでまつ毛を上げ、透明のマスカラでそのまつ毛をキープする。

涙袋に明るい目のコンシーラーと影を描き、ペンシルのアイライナーでアイラインを引く。

黒のマスカラで下まつ毛を少し伸ばし、唇に美容液をつけてメイクはこんなものでよいだろう。

これだけでも、やらないよりはマシだ。

手鏡で顔を確認し、気合を入れて襖を開ける。


「お待たせしました!」

「本当にな」


土方さんは、縁側に座って腕を組んでいた。

立ち上がり、私の顔をまじまじと見てくる。


「な、な、なんですかっ……!」

「……いや、なんでもねぇ」


そういった土方さんは、私に背中を向けて廊下を歩いていく。

少し遅れてその背中を追いかける。

メイク変だったかなと気になってきたが、すべての荷物は部屋に置いてきた。

そして、ここで問題が発生する。

私は、朝いつも用を足すのだが、ここでももちろん尿意がやってきた。

なんとか、ご飯を食べる前に行きたい。

……が、推しに向かって「トイレ行きたい」だなんて恥ずかしくて言えない。

でも、言うしかないのだ。

私は、覚悟を決めて息を吐く。


「あ、あの……土方さん」

「あ?なんだ?」

「あの、恥ずかしいんですけど……お手洗いに行きたくて……」

「おてあらい?」

「あ、間違えた。厠、に行きたいんですけど……」

「……あぁ」


土方さんの納得したような表情がまずます私の顔を赤くさせる。

もうやめてくれ。

しかし、トイレは死活問題である。


「こっちだ」


土方さんの後に続くと、上半分が空いている簡素で小さな建物のような場所についた。

排泄物の臭いがすることから、おそらくここが厠なのだろう。


「え、まさかここでしろと?」

「あぁ、そうだ」

「公然わいせつ罪でしょ、こんなの……」


土方さんは当たり前のような顔をして立っている。

プライバシーもなにもへったくれもないこのトイレをこの時代の人は使っているというのか。

肝が座りすぎだ。


「これ、持ってけ」


土方さんから小汚い紙を受け取った。

なんだこれは。

「浅草紙と言ってな。それで股を拭くんだ」

「あ、あぁ……ありがとうございます」


これが江戸時代のトイレットペーパーなのか。

この紙を持っていくのを忘れたときには、悲惨な末路が待っていることを瞬時に想像してしまった。

私は、意を決して中に入る。

強烈な臭いに思わずえづく。

そうだ、この時代はこの穴の下に排泄物が溜まっているのだ。

想像したら気持ち悪くなるため、なるべく脳を殺して跨る。


「土方さん!見えないように背中向けて塞いでおいてください!あと、耳も塞いでください!」

「……わかった」


土方さんが厠の目の前に立って背中を向けてくれる。

手で耳を塞いだのを確認すると、私は息を止め用を足す。

この紙で拭いて穴の中に落として下着をあげる。

よく使うトイレでこの難易度は高すぎる。

私は厠を出て、土方さんの背中をつついた。

土方さんが振り返り、こちらを一瞥すると再び歩き出す。


「あ、ありがとうございました」

「あぁ」


土方さんに申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちを抱きながらしばらく歩くと人の声が聞こえてくる。

その部屋の襖を土方さんはがらりと引く。


「おぉ、土方さん、やっと来たかぁ!」

「おう」


土方さんが部屋の奥へ進んでいくと、そこには昨日の詮議を執り行った面々が揃っていた。

私が部屋に入れずにいると声をかけてくれたのは原田さんだった。


「桜!お前はここだ」


原田さんが隣の空いているスペースに手を置く。

その手に導かれて奥の方へと進む。

そこには、焼き魚や白米、みそ汁にお漬物といったいかにもな和食が並んでいた。

原田さんの横に座ると私の前にも、全員と同じような朝食が目の前にあった。


「やーっと全員揃ったな」


近藤さんがそう口にすると、みなが目の前の朝食を食べ始める。

その言葉に、私が来るのを待ってくれていたんだと胸が熱くなる。


「桜ちゃんも腹減ったろ?いっぱい食うんだぞ」


ご飯に手を付けられない私に俳優のような顔立ちをしている原田さんが優しく声をかけてくれる。


「……ありがとうございます」


箸を持ちながら周りを見る。

土方さんはもちろんだが、近藤さんも山南さんも井上さんも沖田さんも斎藤さんも永倉さんも藤堂さんも、皆タイプの違うイケメンということがわかった。

なぜこんなに顔立ちが良いのかはよくわからないが、なんとなく私の知っている新選組とは違う気がした。

すると、私のお腹が盛大に鳴る。

注目される私。顔を俯く。


「桜ちゃんいいねぇ~!いっぱい食べて大きくなるんだぞ~!」

原田さんの逆隣にいる永倉さんがご飯を掻きこみながら声をかけてくる。

ちなみに、私は24歳だ。もうこれ以上大きくなる年ではない。


「永倉さん、私のこと何歳だと思ってます?」

「え、17とかだろ?」


どこをどう見たら私が17歳に見えるのかよくわからない。

この人には眼科をすすめた方が良いだろうか。


「永倉さん、私24ですよ」

「えぇ!?」

「そうだったのか!?」

「うそだろ!?」


永倉さんはおいといて、永倉さんの隣にいる藤堂さん、その真逆の方からも声があがる。

その声の方をみると、近藤さんが大きく口を開けていた。


「近藤さんも永倉さん平助も、だからモテないんですよ」


沖田さんが淡々とご飯を食べながらぼそりと呟く。

山南さんと原田さんがそれを見て苦笑いをしていた。


「いやいや、嘘だろ!?もっと、幼く見えたぜ!なぁ!斎藤!」


永倉さんに話しかけられた斎藤さんは魚から目を逸らさずに口を開ける。


「……確かに一見そう見えなくもないが、大体わかるだろ」

「いやいや、桜が俺より年上とか聞いてないよ!」


藤堂さんがこちらを見て聞いてくる。

そういえば、江戸時代の女性たちは全員髪が長く、それを束ねているような気がした。

子どもは私のような髪型に近いおかっぱのイメージがあり、そういうことから私は子どもに見えたのかなと感じた。

身長もそこまで高くないため、余計にそう見えたのだろうか。


「あれ?藤堂さんってそうでしたっけ?」

「そうだよ~!え、じゃあ久遠さん?桜さん?」

「なんでも大丈夫ですよ!」


そもそも私はこの人たちより150歳若いようなものだしと思ったが、口に出すのはやめておいた。

なんとなく野暮な気がしたからだ。


「そうかぁ~じゃあ、桜って呼ぶことにする!」

「ありがとうございます!」


意外とそういう気遣いがあることに少し驚く。


「まぁ、ほら。さっさとご飯食べな?これから土方さんと買い物行くんだろ?」

「あっ!そうでした!」


原田さんに促され、いただきますと言ってから焼き魚を食べる。

焼き魚なんか、一人暮らしで滅多に食べることがないため、口に広がる魚の風味がおばあちゃんちを思い出させる。

最近、食欲もなく栄養素なんてまるでないようなものばかり食べていたせいもあり、あまりの優しい味に目頭が少し熱くなってきた。

食は大事、和食万歳。


「えっ!?おいおい、大丈夫か?」


原田さんが懐から手ぬぐいを出してきて、私の顔に手を添え涙を拭いてくれる。

ここにきて、私は泣きすぎだ。

自重しろ、涙。

泣きたくない気持ちとは裏腹に勝手に涙が出てくるのは、私あるあるでる。


「すみません……。あまりにおいしくて」

「今までどんなもの食べてきたんだ」


小さな声でツッコミが入る。

違うんだ、最近ちょっと元の時代でいろいろあって、スナック菓子がご飯になっていたんだ。元気な時は、たまに作りますよ。うん。

と誰に向かって言い訳しているのかはわからないので、思考を現実に戻す。


「女に涙は似合わねぇぞ」


そう言って原田さんは手ぬぐいをしまおうと私の顔から手を離す。


「あ、待ってください!」


私は手ぬぐいを持っている原田さんの腕を掴む。


「お?」

「あ、あの……それ、洗って返しますので……」


手ぬぐいに視線を向けると原田さんは一瞬きょとんとした顔をしてから、あぁと声を上げる。


「そんなこと気にするな」

「え、でも……」

「そんな細かいこと気にしてるとハゲちまうぞ」


安心感を与えてくれるようなその笑顔に少しだけキュンとした。

原田さんはさりげなく手ぬぐいを懐にしまい、私の頭をなでる。


「さぁ、冷めちまう前に飯食うぞ」

「あ、はい!」


何事もなかったようにご飯を食べ始める原田さん。

新選組はこんなに優しい人が大勢いる組織なんだなぁと改めて認識することができた。




朝餉の後、どことなく苛ついている様子の土方さん。

おもしろいからその原因を探っちゃおうかなと朝の会議前で座っている土方さんに近づく。


「ひーじかたさんっ!」

「あ?なんだ総司」


腕組みをして眉間に皺を寄せたまま目を閉じている土方さんは、きっと自分の中にある感情を消そうとしているのだろう。

その原因に心当たりがある僕は、土方さんを試してみることにした。


「朝餉のとき、桜ちゃん泣いてましたね」

「…………」


話を確実に聞いているはずなのに無言の土方さんにその苛つきの原因を確信させる。


「やっぱ、さすが左之さんですよね~。女心わかってるっていうか。桜ちゃんも満更でもなさそうでしたもんね~」

「あ?」


ついに目を開いて僕のことを睨む土方さん。

ふ~ん、やっぱりね。


「土方さん、もしかして左之さんに嫉妬した?」

「……何くだらねぇこと言ってんだ」


僕は知っている。

左之さんと桜ちゃんが仲良さそうに話しているとき、土方さんが思いっきり睨んでいたことも、そのあたりから土方さんから苛ついたことも。

今そのことを指摘されたときに、一瞬目を逸らしたことも。

この人は、左之さんに嫉妬したという自覚がないらしい。


「……へぇ~、じゃあ僕、桜ちゃんを狙ってもいいですか?」


僕は別に桜ちゃんのことは、変わった子だなくらいにしか思っていないが、あえて土方さんを焚きつけるようなことを言って反応を見る。

さぁ、どう反応するかな、土方さんは。


「……勝手にしろ」


そう言って土方さんは立ち上がる。


「どこいくんですか?」

「部屋に忘れ物をした」


まるで大きな壁があるように、こちらを一切振り向くことなく土方さんは部屋を出て行った。

なんだか、今後がおもしろそうだなと僕は密かに思った。

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