第146話 繋いで、おやすみ
梅雨明け目前のジトジト雨が降る6月末。
久しぶりに本格的に風邪を引いた。
最初に寝こんだのはみゆ姉で、一鷹くんと昴が海外出張の間、あっくんの面倒を見に志堂家に泊まり込んだのが原因だ。
みゆ姉は風邪を引くと、咳と高熱が続く人で、3日程ベッドから動けなかった。
しきりにママの元に行きたがるあっくんを、何とか宥めつつ、志堂のおば様と浅海のお母さんにも助けて貰いながら、何とか乗り切った。
みゆ姉が寝こんだ時点で”うちに連れてらっしゃい”と志堂のおばさまは言って下さったのだけれど。
おばさま自身も、お花の発表会を控えて忙しかったので、みゆ姉と相談した結果丁重に遠慮する事にした。
やっぱり病気の時は、勝手知ったる我が家に居る方が良いし。
あっくんもその方が落ち着くだろうと思ったからだ。
子供を連れての泊まりになると、必然的に荷物が増えるし、いくら、良く知る志堂家とはいえ、あっくんの身の回りのものまできちんと整えられる自信が無かった。
あたしとみゆ姉の意向を聞いた志堂のおばさまは、自宅療養の提案を快く受け入れて下さった。
その代り、その日のうちに、浅海のお母さんと連れだって、大量のお見舞いとあっくんようのおもちゃを持って尋ねていらしたけれど。
かご入りの果物、病人食に、お弁当、子供向けの無添加おやつ、男の子に人気の合体ロボ。
調理の手間がかからないように、お母さんが作ってくれたあたし専用の豪華なお弁当と、みゆ姉用のおかゆ。
あっくんには、お子様ランチの様な見た目も可愛いお弁当が届いた。
玄関から上がろうともせず、お稽古のついでだから、と颯爽と帰って行った2人。
こういう対処が大人なのだと思う。
いつだったか、みゆ姉が言っていた。
”本当に気遣いの出来る人は、人に気を使わせない人なの”
まさにその通りだと思う。
どこまでもぬかりの無い2人は、他にもレトルト食品や、保存食も届けてくれていたので、あたしは殆ど台所に立つ事無く、あっくんの側についていてあげられた。
子供を育てた人ならではの気遣い。
やんちゃ盛りのあっくんは、目を離すとすぐに家じゅうを走り回るから。
それでも”ママがお熱だから、静かにしようね”と言えば、素直に頷いて部屋に籠ってくれたけれど。
やっぱり子育てって大変だと思う。
何とか3日目で熱が下がったみゆ姉が、リビングに起きて来るようになった矢先、あたしが入れ替わりで発熱した。
一気に高熱が出て、寝こむみゆ姉とは違って、あたしの風邪の症状はいつも緩やか。
だから、風邪の引き始めで気付く事が殆ど無い。
何と無く熱っぽいなとは思っていたけれど、みゆ姉の看病やあっくんと遊んでいると自分の事を気にする余裕が無くて、本格的に具合が悪くなった時には、手遅れだった。
ずるずると微熱を引き摺るのがあたしの風邪のパターン。
決して高くは無い熱が1週間近く続く事がある。
身体がだるくて重くて仕方なくて、起きあがれずにベッドで熱が下がるのを待つことになるのだ。
あたしの微熱に気付いたみゆ姉は、今度は自分が看病すると言ったけれど、そうもいかない。
あっくんに風邪が移ってたらそっちの方が心配だし。
自宅に戻ろうかとも思ったけれど、さすがに1人で過ごすのは不安だったので、無理を承知で、浅海のお義母さんを頼る事にした。
二つ返事で自らあたしを迎えに来てくれたお義母さんに連れられて、そこから数日、浅海家で過ごす事になった。
★☆★☆
和室の襖が開く音がする。
さっき薬を飲んだ所で、まだ眠気は襲って来ない。
いつも眠っている寝室は洋室なので、畳みに布団というシチュエーションは、まるでどこかの旅館にでも来たようだ。
客間に布団を敷いてくれたお母さんは、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
お義父さんも、毎日食べやすいプリンやゼリーを手に帰っては、あたしの様子を伺いに来る。
あたしは、久しぶりに”両親”の居る感覚を味わって、申し訳ないながらも、くすぐったい嬉しさを味わった。
あたしが熱を出すと昴が過剰に心配するのは、きっとこういうご両親に育てられたからなんだろうな・・・
重たい瞼を押し上げる気にもならずに、問いかけた。
「おかーさん?」
様子を見に来てくれたのだろうか。
けれど、あたしの問いかけに応えた声は、別の人のものだった。
「お袋は台所。熱は?」
聞き覚えのある低い声。
思わずあたしは目を開けた。
「昴?」
視線の先に、畳みの上に胡坐をかいた昴を見つけて、嬉しくなったあたしは身体を起こした。
「いつ帰って来たの?」
「さっき空港着いたとこだよ。連絡貰ったからこっちに直接戻った」
伸びて来た手があたしの額を包み込む。
あたしに一番近い、馴染みのある大きな手が前髪を撫でてから離れた。
「ちょっと熱は下がったって訊いたけど」
「うん、昨日よりはマシ。今朝やっとお風呂入れたし」
2日間布団から出られなかったあたしが、お風呂入りたいと言ったら、すぐにお義母さんがお湯を沸かしてくれたのだ。
その間に布団のシーツもみんな新しくしてくれていて、まさに至れり尽くせり状態だった。
”自分の家だと思いなさい”と言われているけれど、甘え過ぎかな、とも思ってしまう。
「髪洗えた?」
「うん、頑張った」
いつもは、熱が出ると昴が髪を洗ってくれる。
今日は、怠い身体で何とか自分で髪を洗った。
お風呂って意外と体力消耗する。
いつもは、昴が一緒に入ってくれたり、長風呂にならないように様子を見に来てくれるけれど、そういう訳にも行かない。
あたしの頭をポンと撫でて昴が笑う。
「今日からは俺が洗ってやるよ」
「お家帰る?」
「こっちに居たいか?」
額に触れた唇が離れてすぐに問われた。
「帰る」
「うん、そういうと思った。夜までに出来るだけ仕事片付けてくる。後で迎えに来るから、それまで寝てろ」
「え、もう行っちゃう?」
思わず問いかけたら、昴が腕時計を確認した。
それから昴があたしの頬を撫でる。
「お前が寝るまでもうちょっと居ようか」
「・・・じゃあ寝ない」
咄嗟に口を突いて出た言葉に、自分で驚く。
こんな引き留め方するなんて。
昴が優しい顔であたしの手を握った。
それからゆっくり肩を支えてあたしの身体を布団に下ろした。
「寝ないと熱下がんないだろ。すぐ薬効いてくるよ、それまで居てやる」
眉根を寄せたあたしの事を見下ろして、昴が柔らかく微笑んだ。
自分の子供っぽさが嫌になる。
「行って、大丈夫だから」
「ほんとか?」
「・・・」
「こんな時まで意地張るなって」
絡めた指先を慰めるように撫でて、昴があたしの前髪をそっと撫でた。
「素直なのはこの手だけか?」
しっかり握られた手に唇が触れる。
「あたしが起きてたら、居てくれる?」
「お前が寝たら出掛けて、すぐ帰ってくる・・・」
「すぐっていつ?行っちゃ駄目よ。寝ないって言ってるのに・・・」
だんだん重たくなる瞼に抗って必死に告げる。
昴が短く何かを言って、オヤスミ、と囁いた。
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