第144話 彼らの義務

「好きな人にとって、自分が一番の武器でありたいって思うのは普通じゃない?」


新しく買って貰ったチェリーレッドのラメの入ったマニキュアで左手の爪を染め上げながら桜が呟いた。





・・・・・・・・・・・・




一鷹たちの痴話喧嘩も収まって、巻き込まれた桜を迎えに来た昴と桜は、一鷹たちの計らいでそのままホテルに泊まっていく事になった。


まあこれも迷惑料ということだろう。


『折角だから、一泊していって?こんな時間だし、たまには二人でお泊まりも悪くないでしょ?』


『幸さんもこう言ってるし・・・ちょうど明日は朝から直出だからここからでも困らないでしょう?』


『まあ、俺はお前が良いって言うならいいけど・・』


昴が横目で問いかけて来て、桜は勿論二つ返事で頷いた。


巻き込まれはしたが、化粧品に着替え一式を買って貰って美味しい食事までご馳走になったのだ。


多少ハラハラしたりもしたが結果オーライである。


棚ボタ状態でゲットした戦利品を思えば決して悪くない一日だった。


『折角だから泊まりたい!だってこんな高級ホテルに泊まれることなんか滅多にないし!!』


桜が望みさえすれば、ホテルステイくらいいくらだって叶えてやるのだが、基本的に桜はそういうおねだりをしてこない。


あの家での居心地が良いようで何よりである。


そんな桜が珍しくホテルステイの希望を出して来たのだから頷かないわけがなかった。


『あーそう・・まーいいか。一鷹が金出すっつってんだしな。どうせなら俺も飲んでそのまま寝たいし』






・・・・・・・・





というわけで、同じ階の部屋を取ってそのまま荷物を運んだ桜は、昴を前にファッションショーを思う存分楽しんで、それから戦利品の洋服を纏めて、次に化粧品を広げた。


目の前にずらりと並べられたマニキュアやチークやアイシャドウパレットを眺めながら、ルームサービスで頼んだワインを開ける。


桜の付き添いで何度かデパートの化粧品売り場に足を運んだことがあったが、完全アウェーで居た堪れない思いをしただけだった。


発色の違いひとつで大盛り上がりする桜を横目に居場所なさげに佇むしかなかった昴である。


だから、もう一度同行を頼まれるくらいなら、今日のように戦利品を見せびらかされたほうがずっといい。


桜用にはロゼシャンパンを頼んでいた。


薄い上質のワイングラスに口をつけてちらりを昴が視線を上げる。


眉根を寄せて慎重にハケを動かす桜の表情は真剣そのもの。


茶化すのはやめにして先ほどの桜の発言に質問を返す。


「お前、そんな事考えてたの?」


これはちょっと意外だった。


そういう心配をさせないように、安全な場所を用意して過保護にしてきたつもりだったのだが、結婚してからこちらめきめき逞しくなっている幸の影響を良くも悪くも受けているようだ。


大切なものは箱の中に大事にしまっておきたい一鷹と昴としては、いささか複雑ではある。


が、桜の自主性を損なうことはしたくない。


これは、昴だけではなくて、一鷹と幸ふくめた全員の総意でもあった。


「うん。だって、昴が困った時には一番に助けられる場所にいたいもん。ほかの誰かじゃなくて、あたしが、真っ先に力になるのよ。でなきゃ、意味無いでしょ?」


「・・・それ、幸さんも同じ意見か?」


興味深そうに自分を見つめる昴に向かって桜は自信満々で頷いて見せた。


「当たり前でしょ。足手まといになりたい馬鹿が何処にいんのよ」


「・・あー・・なるほどな・・」


昴が小さく呟いて、ワイングラスを揺らした。


「なに?」


昴の呟きに桜が身を乗り出して来る。


「怒んなよ?」


「怒んないわよ」


「・・・」


無言で念を押してから昴が続ける。


「武器になるとか、足手まといにならないとか・・・お前や幸さんの気持ちもわからんでもないけど。俺は、桜は足手まといでいいし、武器になんかなんなくて構わないと思ってる」


「は!?何よそれ!!」


食ってかかろうとした桜を遮るように昴が言った。


「側に置いとく事が、一番安全なんて限らないだろ。一緒に戦うって事は、その分標的になるリスクも伴う。そのリスクも一緒に背負ってくって事だ。そんな危なっかしい事させるわけないだろが」


「じゃあ、一人で平気って言うわけ!?助けなんか要らないっての?」


案の定気色ばんだ声を上げた桜に、そうじゃないよと答える。


「お前が側に居て、傷つける事のほうが怖いんだよ。離れてても、誰にも泣かされないならその方がいい」


「ぜんっぜん嬉しくない!」


「喜ばそうと思ってない」


きっぱり言い切られて桜が怯む。


「怒らないんだろ?」


呆れ顔で言って昴がワインを煽った。


そして、桜に向かって良く冷えたシャンパングラスを差し出す。


桜はそれを掴んで一気に飲み干した。


「おい、そんな一気に」


慌てた昴を手で制してあっという間に空にしてしまう。


「いいの!」


そうして、空のグラスをテーブルに戻した。


それから据わった目線で昴を見返す。


「あのねえ!!安全な場所なんかこの世の何処にだって無いわよっ!でも、それでも一緒なら怖くないのに。あたしは、昴がいるから平気な事がいっぱいあるのに!!知らないでしょ!!」


「たとえば?」


ニヤッと笑った昴に向かって遠慮なく顔を顰めてやる。


「教えない!」


それから桜は片手だけ染まった左手をかざして見せた。


すっかり指に馴染んだプラチナのマリッジリングがキラキラ光る。


「とにかくね!あたしは、そういう後ろ向きなのは認めない!むしろ、転んで傷ついても、傷つけられても何度だって立ちあがれるようにあたしを強くする魔法を頂戴。遠くにやるんじゃなくって!」


「じゃあ、桜?」


「なに?」


「俺が、お前を側に置いてずっと戦ってけるように。先に魔法かけてみせて?」


「っ・・いいわよ!」


ケンカ腰で頷いた桜が、言葉とは裏腹の優しいキスを昴に返した。

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