第143話 彼女の権利

「本当にいきなりだけど、さぁちゃん、お願いだから一晩付き合って」


「なっ何事よ!?」


突然の申し出に目を白黒させたのは他でもない桜だ。


携帯片手に慌ててふらっと立ち寄ったコンビニから出る。


「何事かは後で話すわ」


「そんなこと言ったって…」


「ところでさぁちゃん今どこ?」


「えっ駅前のコンビニだけど」


「ならそこで待っててくれる?」


有無を言わせぬ口調で言われて桜は抵抗を諦めた。


幸の筋金入りの頑固さはよく知っている。


返事をしかけて気づいた。


「良いけど、でもあっくんどーするのよ!?」


「勿論連れて行くわよ。この子と離れるなんて考えられないもの。だから、さぁちゃんにも一緒に居て欲しいの。大事なものは常にそばにないとね」


「嬉しいけどさ・・・一鷹くんと何かあったんでしょう?」


「あったけど、これはあたしの意思表示なの」


「何の?・・ってもーわかった。どこでも付き合うから。タクシー拾ってどっかで落ち合おう」


開き直って再びコンビニに逆戻りする。


この際下着は可愛いのを駅前のお店で見繕うことにしよう。


化粧品は持ってるからスキンケアグッズだけ調達することにする。


こうなったら、このトラブルをとことん楽しむよりほかにない。


昴には簡単にメールを送る事にした。


"諸事情により本日みゆ姉てあっくんと外泊します。"


これで準備は整った。






幸が指定した待ち合わせ場所は駅前の有名ホテルだった。


「大丈夫なの?こんな高級なホテル」


「良いの、開き直って今日は買い物するのよ。さぁちゃんが欲しいって言ってた化粧品のセットも買ってあげるわ」


「えっ良いの!?遠慮しないよ?」


会うなり再び駅前の百貨店に向かって歩き出した幸に慌てて並ぶ。


ベビーカーの暁鷹はお出かけに上機嫌のようだ。


クリスマスプレゼントに昴と贈った持ち手の着いたらぬいぐるみをぶんぶん振り回している。


「お金の心配はしないで大丈夫よ。カード持って来たから。あたしも春色の可愛い洋服買うの」


「買い物で収まる内容なの?」


代わりにベビーカーを押しながら尋ねたら、幸が小さく笑った。


「イチ君はあたしを見くびってるのよ。だからあたしの本気を見せてやるわ」


フンっと自信ありげに言った幸の顔がまるで戦うみたいで、一緒に暮らしていた頃を思い出す。


仕事で大一番の取引がある時や新店オープン前。


勇気が必要な時にいつも幸はそんな顔をしていた。


だから、昔みたいに手を繋ぐ。


一鷹のような強さはなくても、包み込む優しさなら他の何にも負けてない。


「付き合わせてごめんね?」


「付き合うよ。喜んで」


桜はニッコリ笑って幸の手をしっかり握った。



☆★☆★



そして買い物を終えてホテルに戻ってルームサービスの豪華ディナーを食べ尽くした頃にお迎えはやって来た。


「幸さん、居場所知らせて家出ってどーゆーこと!?って桜ちゃん!・・・幸さんは?」


インターホンが鳴って迎えに出るなり一鷹が勢いよく飛び込んで来た。


「みゆ姉は奥に。あたしはあっくんとロビーで時間潰すんで」


「巻き込んでごめん。暁鷹の事も」


「それはいいの。この服と化粧品もいっぱいありがとう」


「え?」


「とにかくみゆ姉と話して来て?」


その言葉にきゃっきゃとはしゃいで一鷹に手を振る暁鷹の頭を撫でて、桜にお礼とお詫びを告げてから入れ替わりで中に入る。


と同時に鋭い声が飛んだ。


「迎えに来るなら、覚悟決めて来てって書いたでしょ?決断出来たって思っていいのね?」


「ちょっと待ってよ幸さん」


「嫌よ。もう一秒だって悩ませてあげないわ。あたしはイチ君が思ってるほど弱くないし、行動力だってあるし役立たずでもない。いざとなったらいつだって大事なものを抱えて飛びだして行けるのよ!」


「それがこれ?」


「そーよ」


部屋の片隅に積まれた紙袋とブランドのロゴが入ったケース。


同行者は桜と最愛の息子。


一鷹はぐるりと視線を巡らせて幸を視界に収める。


それから言った。


「その中に俺は入ってないの?」


「入ってるわよ!けどイチ君があたしを頭数に入れないからイチ君以外の大事な人を連れて来たんでしょ!」


その言葉にホッとする。


嘘でも"入ってない"何て言われた日にはその瞬間にこの世の何もかもを放棄してしまいそうになる。


大事だから、安全な場所に居て欲しいのに。


「頭数には入れられないよ。連れてったら刺されるの分かってるのに」


「先手必勝でやつけて見せるわ!親戚だからって遠慮なんかしないわよ!あなたよりあたしの方がこなしてきた仕事関係の場数は多いんだからね」


幸はここぞとばかりに姉貴風を吹かせて見せた。


どうしてそこで臨戦態勢に入ってしまうのかと嘆きたくなる。


「俺が怖いんだよ。幸さんが傷つくのが」


「あたしは平気よ。暁鷹もイチ君もいるもの」


「俺達の事だけじゃなくて・・・」


「分かってる。あたしの両親の事でしょう?」


一鷹が濁した言葉を幸があっさり紡いだ。


志堂を捨てて生きる事を決めた両親から生まれた子供。


志堂の一族である事を誇りに思う一部の親族にとって幸の存在は見過ごせない汚点なのだろう。


その中でも特に厄介な部類の親戚からの新会社設立パーティー招待を巡っての夫婦攻防戦の結末がコレだ。


「じゃあ、イチ君は、一人で頑張って痛い思いしてあたしの分も傷つくイチ君を黙って待ってろって言うの?傷ついたイチ君を見たらあたしだって痛いし暁鷹だってきっと泣くわ!あたしはあなたのカード使って無駄遣いして子供連れて家出まで出来ちゃう位強い女よ!これ以上あたしの気持ちわかってくれないなら、大事なものみんな持って志堂を出る」


「幸さん」


途方に暮れて一鷹が手を伸ばす。


けれどその手を突っぱねて幸が言った。


「それ位の覚悟いつだって出来てるわ。だから一人で行かないで。一緒に行こうって言ってよ。大事だからって遠ざけて一人で傷つかないで。あたしはいつだってイチ君の為に一番に戦う人でいたいのに」


「ごめん」


「謝らないで」


「わかった。俺の負けだよ。週末はみんなで行こう。留守番は無し」


「約束よ?」


「約束するから、もういい加減抱きしめていい?」


一鷹が待ちきれずに腕を伸ばして幸を抱きしめる。


「イチ君の馬鹿。一人で戦っちゃうパパは嫌いよ」


「ごめん」


一鷹は呟いた。


それでも、二人がいるから戦えるんだよ。

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