第142話 ぬくもりを辿る

「さーくら」


半覚醒状態のあたしは石のように重たい瞼をなんとか押し上げて返事をしようとした。


「・・・」


起きてるの、ちゃんと、大丈夫。


お風呂も入ってないしこのまま寝ちゃうわけにいかない。


でも、直ぐ隣りにある程良く温もった体温が心地良過ぎて、動けない。


「・・・桜?」


溜息吐いた昴がこちらを覗きこむ気配がする。


「部屋行くか?」


肩に凭れたままのあたしの前髪を撫でる彼の指がますます眠りを誘う。


まるで安眠を促すみたいにそっと触れるから。


あたしは瞼を下ろしたままで小さく首を振った。


「んーん」


「眠いんだろ?」


「んー・・・」


「明日の朝風呂入れよ」


「やーぁ」


子供みたいに首を振って昴の腕にぎゅうっと抱き付いた。


「やーじゃねェし。だから先に風呂入れって言ったろ?」


昨日も遅かったあたしを気遣って、夕食の後先にお風呂に入るように言ってくれたのに。


「いいよ、ちょっとだけ休憩するから」


あっさり言い返してソファに陣取ったのはあたしだ。


だから、昴の溜息も仕方ない。


分かってるんだけど、お願いだから後ちょっと。


「風呂沸かしたら入るんだな?」


念を押すみたいに言われてあたしは素直に頷く。


もちろんそのつもりだ。


相変わらず動こうといしないあたしの髪を撫でて昴が言った。


「分かったよ。夜更かしさせたの俺だしな」


頷く気配にほっとしたのもつかの間。


昴があたしの腕を解いた。


「風呂沸かして来てやるよ」


凭れるものの無くなったあたしの体がグラっと傾く。


昴が立ち上がると思わなくって、思わず目を開けた。


「え、やだ」


「・・・風呂入んだろが」


「そうだけど、昴がいないのは嫌」


凭れていた腕が、温かい体温が、一瞬でも傍から無くなる事がどうしても我慢出来ない。


縋るみたいに伸ばした手。


宙を掴むかと思ったら、困り顔で笑った昴があたしの指先を掴んでくれた。


「お前はーぁ」


この”仕方ないなぁ”っていう顔を見る度、あたしは愛されてるって実感が湧く。


この程度の我儘なら、許してくれる?


どこまであたしを許容してくれる?


試すみたいに伸ばした手に絡んだ指先が宥めるように背中に回された。


「いいから、座って?」


ここでトドメの一言。


抱きしめられた事に安堵して、思いっきり全体重を預ける。


あたしの全力アピールに負けて昴が再びソファに腰かけた。


あたしの下ろしたままの長い髪に指を絡めて前髪の上から額にキスをする。


「昨日甘え尽くしたんじゃなかったのか?」


「・・・そんな事ない」


「ふーん。そっか」


小さく笑った昴がこめかみにキスを落として親指で頬を撫でて顎の輪郭を辿る。


指の後を追うように唇が頬に首筋にそっと触れる。


昴の手が背中を撫でると、だんだん落ち着かなくなってきた。


「んー・・・なに・・・?・・もっ・・・」


折角手に入れた安眠を妨害されたあたしは身を捩って非難の声を上げる。


抱きしめてアピールが斜め上に解釈されたらしい。


深く抱きこんだあたしの項覆う髪をかきあげて昴が意地悪く微笑む。


視線を合わせた途端、ドキっとする。


捕らわれてしまうような感覚。


昨夜の熱が蘇ってくる。


と、昴の指がそっと背骨をなぞった。


「思い出させてやろうと思って」


耳たぶに、触れた唇そのままで囁かれた。


吐息が触れて産毛が震える。


一緒にあたしの鼓動も早くなった。


「え・・・?」


「昨夜の事・・・ん」


「っ・・・」


何を!?と問いかける前に唇を塞がれてしまう。


怯んだ隙に唇を割って忍び込んで来た舌に理性も眠気も絡め取られた。


翻弄されまいと、必死になっても無駄な足掻き。


昴のキスは一瞬であたしの思考回路を停止させる。


いつもなら、焦ったあたしを慰めるように優しいキスが続いて、徐々に深くなる。


だけど、今日は違った。


最初から、何もかも奪ってしまうみたいな熱っぽいキス。


「っゃ・・・ん・・・っ」


僅かに離れた唇から洩れた自分の声が、思った以上に甘ったるくて、恥ずかしくなった。


啄ばむように触れて離れた昴が、名残惜しそうにあたしの瞼に唇を這わせる。


「お前・・・覚えてないのか?」


「っ・・・ぁ・・・」


聞こえて来た低い囁き。


ベッドで組み敷かれた時に、見上げた昴の艶っぽい視線。


肌に触れた指の感触。


熱を帯びた甘い声。


即座に蘇る。


あたしが、どんな顔で昴に縋ったのか。


触れて欲しいと強請ったのか。


嫌ってほど脳裏に焼きついてる。


「離れるなって、さんざん言ったのお前だろ?ほら、ここも・・・ここも・・・こっちにも。ちゃんと痕が残ってる」


あたしとの記憶を辿るように昴が唇で体じゅうに触れた。


項、鎖骨、二の腕に胸元。


「お・・・覚えてる~っ」


わざと音を立ててキスをする昴の肩をぐいぐい押して逃れようとする。


だけど、昴は上半身が離れたのを良い事に屈みこんで、あたしの太腿に触れた。


「あとはー・・・」


ショートパンツとニーハイの隙間に覗く所謂、絶対領域と呼ばれるそこに唇を寄せる。


流石にそれはマズイ。


目の奥がチカチカする。


蛍光灯の眩しい光が照らすリビングでふたりきりとはいえ、太腿にキスされるなんて。


ベッドの中で平気な事も、リビングでは絶対に受け入れられない。


「そんなトコに付けてないでしょぉ!?」


いくらなんでも、そういう最中とはいえ太腿にキスマークを残されたら激怒する。


けれど、昴は悪びれた様子も無く唇で触れるだけのキスを繰り返した。


「そうやってお前が怒ったから止めたんだよ」


「あ、当たり前でしょっ」


「足出さなきゃ問題無いだろ?」


「そりゃーパンツとか、ひざ丈なら大丈夫だけど・・」


クローゼットに入っている洋服類を思い出して、まあ、いけないことも無いか。


とあっさり頷きかけて、慌てて我に返った。


危ない、危ない、あやうく流される所だった。


「ってそうじゃないから!あたしが着たい洋服着る為に、キスマークは駄目なの!そもそも、大人の常識的に駄目っ」


「大人の常識なー・・・」


少し思案するような顔をして、昴があたしの両の太腿の間に片手を差しこんだ。


「っ!?」


予想外の出来ごとに反応が遅れてしまう。


昴の右手があたしの左太腿を持ち上げた。


ソファに片足上げたような格好になる。


と、昴が内腿に唇を寄せた。


「え、やだっ・・・ちょっ」


キスするだけかと思いきや強く吸われる。


焼けつくような独特の感触。


昴がペロリと痕のついたそこを舐めてから顔を上げた。


したり顔で呟く。


「大人の常識でいうならこれは許容範囲内だ」


「なっ・・・」


空いた口が塞がらないとはまさにこの事。


ニヤッと笑った昴が唇にキスをして来た。


「そんな眠いなら、今日は特別に風呂入れてやろうか?」


所有印のついた太腿を撫でながら囁いてくる。


流されてなるものかと、慌てて彼の悪戯な手を叩いた。


「もう目ぇ覚めたわよ!!」

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