第135話 絵空事

この世の中には、可能なことと不可能なことがある。


悲しいかな、総ての願いがかなえられることはごく稀だ。


あり得ない事、現実には起こり得ないことを”絵空事”というらしい。




☆★☆★



「あ、それ似合ってる、すごく可愛い!」


試着室のカーテンを開けるなり幸が立ちあがって両手を叩いた。


今までで一番よい反応。


少し照れながら、桜も鏡に映る自分の姿を眺める。


ブラウンのシックな色合いのサマーワンース。


ティアードの裾はレースがあしらわれていて膝上の丈が涼しげで可愛い。


ベアトップにしても使えるので2WAYワンピースになっている。


「短い?」


「そんなことない!これくらいの丈でいいのよ」


「バランスも良いですし、お似合いですよ」


「うん、絶対こっちのほうが良いわね。これ、在庫あります?」


桜の返事を待たずに先に言いだした幸に桜が慌ててストップをかける。


「ちょっとみゆ姉!いまでも結構な量なんだけど!?」


お気に入りブランドのファミリーセールにやってきた2人は、入り口で配られている


ビニールバッグにすでに何点かの洋服を入れていた。


50%オフに70%オフだけれど量が量なだけに金額が気になる。


そんな桜の心配を他所に幸はさっそく手渡されたワンピースをビニールバックに入れてしまう。


「いいのいいの。暁鷹のおもりとか頼んじゃってるしお礼したかったから。イチ君も了承してるし。今日は思いっきり買い物しましょ。お金の心配はしないで!その為にカード持って来たんだから!」


「えええ・・でも」


「でも、は、なしよ!ほら、次の服探さなきゃ。この間言ってたパーカーもあるかもしれないし」


「しんっじらんない・・ほんとにいいの・・?みゆ姉」


紙袋2つ分にもなった洋服を抱えて桜が恐る恐る尋ねる。


幸の洋服もあったのだが、レジで打ち出された金額を見て思わず目をつぶりたくなった。


「いいのいいの。あたしもずっと買い物したかったし。暁鷹が生まれてから、なかなかゆっくり買い物する時間とか取れなかったし。さぁちゃんともお外ランチしたかったのに。いっつも家に来て貰ってばかりで・・」


「やっぱり育児は大変?」


子供を産んでもなお色褪せない幸の健やかな美しさは、いつも桜をハッとさせる。


暁鷹が成長するにつれ母親としての落ち着きも加わってまた一段と綺麗になった。


一鷹が自慢するのも納得できる。


幸は桜の問いかけにカラッと笑ってみせた。


「そりゃあね。やっぱり大変よ。だって子供って分かんないことばっかりだし。言葉も通じないし、おろおろすることもしょっちゅうなの。でも、そういうのも全部許せちゃう位可愛いし愛しいのよね。これって、好きな相手の子供だからだと思うわ」


「そっか・・・ちょっとは気分転換になった?」


「うん!すっごく!!可愛い洋服も買えたし。さぁちゃんの服も選べたし、大満足」


ひと休みしようと、お茶をしに立ち寄ったカフェのテーブルで向かい合った幸が楽しそうに笑ってアイスティーを飲んだ。


「じゃあ、これは遠慮なく頂いておくね。ほんっとにありがとう。みゆ姉。一鷹くんにも、今度お礼言う」


「うん。買った服来てうちにも遊びに来て頂戴。イチ君きっと喜ぶわぁ」


「あたしも嬉しかった。ほんとは欲しい服いっぱいあったの。それをみーんな買ってくれるなんて。みゆ姉位だよ」


しみじみ呟いた桜に、幸が笑って答えた。


「光栄だわ」



★★★★★★★★★★★★★★




「みゆ姉に関しては、絵空事って絶対ないって思った・・」


帰り道の車の中で、ハンドルを握る昴に向かって桜が言った。


「そりゃすげーな」


「だって、これまでのこととか、考えたら全部そうなの。”ありえない”ってことも全部どうにかしちゃうヒトなのよ。みゆ姉って・・・」


「んで、あの大量の洋服をプレゼントされたってわけか」


バックミラー越しに紙袋2つに詰め込まれた洋服の山をちらっと眺めて昴が呟く。


アパレル関係の会社で長く勤めていたせいもあって、彼女の買い物の仕方は半端ない。


気に入ったものはなんでも買う。


お気に入りのお店に行くと必ず一度で数着買うというのがお決まりのパターンなのだ。


すっかり日が暮れた午後19時半。


一鷹と待ち合わせだというフランス料理の店まで幸を送り届けた後、ふたりでのんびりと帰路についた。


今日は、志堂夫妻は愛息子を本家の両親に預けて久しぶりのデートらしい。


買ったばかりのワンピースを来てウキウキしながら化粧直しをしていた従姉を思い出す。


「みゆ姉もすっごく楽しかったみたいだからいいかなって甘えちゃったんだけど・・またお礼考えないと・・・」


「こうやってたまに外に連れ出してやるだけで十分だと思うけどな」


「そうかなぁ・・・」


「幸さんは、お前が楽しんでくれるのが一番嬉しいんだよ。なんでもしてやりたいってのがあの人の願いなんだから。遠慮なんかしねーで、思いっきり甘えてやったほうがいいよ。幸さんは、いつまでも”桜のお姉ちゃん”でいたいんだから」


「・・・なんでそんなみゆ姉のことわかってるの?」


「そりゃー・・年の功」


昴が僅かに顔を顰めて告げる。


「なによそれ」


「お前より長く生きてる分、知ってることはずっと多いんだよ」


「みゆ姉とはあたしのほうが長い付き合いよ!」


ムキになって言った桜の髪を撫でて昴が小さく笑う。


「そりゃー。見てるもんが違うから。こういうのは長さじゃない」


「・・どういうこと?」


「・・・さぁな」


曖昧に誤魔化して昴はハンドルを切る。


あまり自分からしたい話ではない。



★★★★★★★★★★★




桜と幸はお互い向き合っている。


けれど、昴と幸は同じもの(桜)を見ている。


だから、必然的に同じことを考える。


”どうやったら桜を幸せにできるんだろう”


”二人揃ってお前のことばっか考えてるからだから、分かるんだよ”


なんて口が裂けても言えない。


一瞬浮かんだ言葉を打ち消して昴は頭を切り替える。


先に考えるべきことは・・・


幸で頭がいっぱいの桜の思考をどうやって取り戻そうかということだ。


「で、お前は俺に叶えて欲しいことないのかよ」


「え!?」


「絵空事。無いって証明してやるよ。幸さんの株だけ上がるのも癪だしな」


「・・そんなこと言われても・・」


困ったように俯く桜。


「一個くらいあるだろ」


「ええっ・・そもそも急すぎるのよ」


眉根を寄せる桜の頬を左手を伸ばして撫でる。


困り果てたその横顔に唇を寄せたくなるけれど。


生憎、当分信号にはぶつかりそうにない。


黙り込む彼女の右手の指を絡め取ってさも残念そうに昴は言った。


「まあ、気長に待つか。お前の残りの人生はもう俺のものだしな」

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