第134話 いいだろ?
「昴、何飲むの?」
冷蔵庫を開けながら桜が問う。
風呂上がりで濡れた髪のままだが、ひとまず喉を潤したかった。
先にソファに腰掛けた昴は、バスタオルで無造作に髪を拭きながら答える。
「ビール」
「まだ飲むの?」
「疲れた時はビールがいいんだよ、いいから持って来い」
憮然と答えて、桜に向かって手招きする。
「疲れたって・・・自分のせいでしょ」
思わず顔を赤くした桜が、仕方なくご所望のビールと、自分用の炭酸を手にソファに向かう。
やっぱり一緒にお風呂に入ったのは間違いだったかも。
意識が朦朧としている間にバスルームに連れ込まれてしまったので、仕方ないのだが。
それでも、こういう事は、はっきり言っておかなくては。
缶ビールを昴の目の前に翳して、桜は思い切り真面目な表情を作った。
「前も言ったけど、一緒にお風呂は嫌なの」
「・・・またその話か」
呆れた顔で昴が言って、缶ビールを取ろうと手を伸ばす。
こうなる事は予想済みだった。
昴にとっては、さしたる問題ではないらしい。
自分がシャワーを浴びようとした時に、隣でぐったりしている桜が居たから、ついでに入れてやった、位に思っているに違いない。
でも、ぜんっぜん違うんだから!!
大好きな人と寝る事と、一緒にお風呂に入る事は、180度位違う!!
しかも、それが桜が放心状態の時なら尚更だ。
気づいた時には綺麗に髪も身体を洗われて、湯船に浸かっている状態だったのだ。
有り得ない。
本人が与り知らぬうちに、体中見たり、触ったりされていたのだと思うと、恥ずかしくて死にそうになる。
缶ビールを高く持ち上げて、桜はさらに言い募った。
「また、じゃなくて!昴は良くても、あたしは嫌なの!とにかく、あたしがぐったりしてる間にお風呂に連れてかないで!」
「でも、そのまま寝るのはもっと嫌だろ?」
痛い所を突かれて、桜は言葉に詰まった。
確かに、汗も掻くし、お風呂に入らずにそのまま朝を迎えるのは嫌だ。
「だからって、か、体洗うのはっ・・・」
最後まで言えずに俯いてしまう。
その隙に缶ビールを奪い取った昴は、プルコックを引き開けて、良く冷えた琥珀の液体で喉を潤した。
独特の苦みとのどごし。
発泡酒には無い味わいに満足して、缶ビールをテーブルに戻す。
今度はその手で桜の腕を掴んだ。
「その話何度目だ?」
「わ、かんないけど!昴が悪いんだからね!
いつまで経ってもやめてくれないから!」
「なら、お前もいい加減諦めろよ。俺は、お前と風呂入るのが好きなんだ」
「好きとか、嫌いの話じゃなく・・きゃ!」
ウダウダと言い募る桜の腕を引き寄せて、昴が腕の中に閉じ込める。
膝の間に座り込んだ桜の髪を肩にかけていたバスタオルで覆って、ワシャワシャと拭いた。
「一人で風呂入ると、そのまま髪乾かさずに寝ちまうくせに」
「・・・いいでしょ、別に」
「朝起きて、髪が爆発したって騒いでるのはどこの誰だよ」
「ちゃ、ちゃんとブローし直すし」
そもそも、桜がくたびれてしまわないように、昴が手加減してくれればいいのだ。
桜が一人で髪も乾かさずに眠ってしまう原因は、目の前の昴にある。
夫婦の時間は大事だし、抱き合うのは気持ちいい。
愛されていると実感できるし、安心も出来る。
でも、同じくらい疲れるのだ。
「何だ、イロイロ言いたい事がありそうだな?」
髪を覆っていたバスタオルを外して、昴が桜の顔を覗き込む。
思い切り不満げな表情を見せた妻を、横抱きにして膝の上に下すと、昴は満足げに溜息を吐いた。
「うん・・・やっぱりイイな」
肩口に額を預けて、昴が微笑む。
「何がよ」
「風呂上がりの桜」
「なっ・・」
「いつもより体温は高くて、いい匂いもするし、柔らかい」
すり寄るように胸元に頬を寄せる。
昴の髪が喉元を擽って、桜は身を捩った。
「ちょ・・・く、くすぐったいってば」
しっかり抱き込んだ昴の腕は、簡単には解けない。
桜が暴れれば暴れる程、腕の力は強くなる。
啄む様に肌に吸い付きながら、肩口まで唇で辿る。
鼓膜を震わせるリップ音に、桜は頬を赤くした。
「ああ、そうだ、先に言っとくけどな」
「・・・んっ・・・な、に?」
背中を這う指の感触に桜が吐息を漏らす。
それを塞ぐように、昴が唇にキスをした。
唾液で光る唇を指でなぞりながら、昴が不敵に笑う。
「これ以上どうにかしろってのは無理だぞ」
「・・え?」
「俺は、お前がくたびれるまで抱くのが好きなんだ。頼まれたって、やめてやらねぇ」
「・・・っ」
完全に思考を読まれていたらしい。
生渇きの長い髪を指で梳く。
二の句を紡げずにいる桜の赤い頬にキスを落とした。
昴の吐息が肌を焼く。
桜は火照りから逃れる様に首を振った。
「大体、考えてみろ。一回でも終わった後で、お前が元気だった事あったか?」
「・・・」
過去の記憶を遡った桜が、黙り込む。
確かに、昴とそういう関係になってから、肌を重ねた後で、桜が動き回れる程元気だったことなんて、一度だってない。
大抵、そのまま眠ってしまう。
そして、明け方目を覚まして、シャワーを浴びて二度寝するのが常だった。
時折、こうして昴が無断で桜をバスルームに連れ込む以外は。
「な?無駄な足掻きだろ」
昴が呆れたように言った。
「無駄って・・・」
「そもそも・・・お前はベッドと浴槽は違う、とかなんとか力説してるけど・・・俺にとっちゃどっちも対して変わんねぇよ。せいぜい、浴槽のが狭いって位だ。この、体も・・見慣れたしな・・」
意味深に笑って昴が太ももを撫でる。
桜が慌てて昴の腕を叩いた。
「見慣れなくていい!」
「バカ、見慣れんのが普通だ」
「やだ!」
「やだって・・・お前の意見なんか知るかよ」
笑った昴が口封じのように桜の唇にキスをする。
「んっ・・・ごまかさ・・・ない・・で・・ん・・っ」
「・・・煩ぇよ・・いいから大人しくしてろ」
溜息交じりに呟いて、昴が桜を抱えて立ち上がる。
寝室のベッドに桜を下すと、そのまま組み敷いた。
指先を絡めて、視線を合わせると、言い聞かせるように静かに告げる。
「見慣れてるし、触り慣れてる・・・当たり前だろ。誰が一番お前の傍にいると思ってる?」
「す・・ばる・・」
「そう、俺だよ。だから、桜を好きにする権利は俺にある。俺だけが持ってる。誰にも譲らない、一番の権利だ。だから、風呂に入れるのも俺の権利。綺麗にしてやってんだから、いいだろ?」
言葉とは裏腹に、壊れ物に触るかのような優しい手つきで、桜の頬を撫でる。
甘い声と、甘い視線。
極め付けの優しい愛撫。
ぎりぎりまで抵抗するつもりだったけれど、やっぱり今日も降参だ。
昴はあたしに甘いけど、あたしだって昴に甘い。
結局、いつも砂糖菓子のような甘い檻に、自ら進んで閉じ込められてしまう。
桜は吐息で頷いた。
「・・・うん」
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