第133話 向けた背中は拒絶じゃなくて
無言のままで、駐車場の車まで戻ると、桜は表情を緩めることなく助手席へと収まった。
険しい表情はそのままで、寄るな触るなオーラが全開になっている。
お姫様の機嫌を損ねた原因は自分にある。
運転席に回った昴は、エンジンをかけることなく真っ先に桜へと視線を向けた。
顔を見られないよう背けられた背中にそっと触れる。
桜が拒絶するように首を振った。
”構わないで”とアピールされても、そうできないときもある。
拗ねた表情を窓越しに盗み見て、昴は小さく息を吐いた。
嫌がられても、煙たがられても、抱きしめずにはいられない。
振りほどかれない様にと、いつになく強引に桜を抱き寄せながら、当分ここから出られそうにないな、と昴は思った。
★★★
ドライブ日和となった大型連休初日。
郊外のショッピングモールはいつも以上に混雑していた。
普段の週末なら、ウィンドウショッピングを楽しめる店内も、今日は通路の端まで人が行き交う。
駐車場も臨時解放スペースが出来るほどだ。
ファッションフロアの自動ドアを潜り抜けた瞬間、昴は手早く桜の手を握った。
甘い雰囲気で、ではない。
本気の迷子防止のためだ。
若いカップルや学生のグループ、熟年夫婦に家族連れ。
さまざまな年齢層の買い物客がひっきりなしに通り過ぎて行く。
ただでさえ桜と同世代の女性客が多いのだ。
こんな場所で見失えば、見つけるのに苦労するに決まっている。
今日だけは気になる店があってもいきなり立ち止まらない事を厳命した。
うっかり商品に見入っている間に、人込みに紛れてしまいかねない。
しっかりからめた指を解くなよ、と念を押せば最初は頬を赤らめていた桜も、この人込みを見て真剣にはぐれない為の防止策だと気づいたようだった。
「待ち合わせ場所、決めておく?車の前とか・・」
「お前車見つけられないだろ」
いつも駐車場に向かう度、車どこだっけ?と尋ねる桜だ。
「きょ、今日は大丈夫よ・・たぶん」
「一番信用できねぇよ・・」
呆れた昴が桜の手を引いて、目的の店へ向かって歩き出す。
「いいよ。俺がほどかなけりゃいいだけ」
「・・・面倒くさいとか言うかと思ったのに」
「週末は付き合うって約束してたからな。覚悟は出来てますよ、お姫様」
ちらりと桜の横顔を伺えば、唇を尖らせつつもその表情は嬉しそうで、寝不足を推してでも連れてきて良かったと改めて思った。
たまの休み位、一日桜の好きにさせてやってもいいだろう。
先月の連休は見事の出張で潰れてしまったのだから。
”今月の連休は死守しましょう!浅海さん”
その為には深夜残業もいとわない、と前のめりになって宣言した一鷹に感謝しつつ、桜が好きなブランドショップへと向かう。
予想通り、店内はカップルと女性同士のグループでごった返していた。
レジ前は色とりどりの洋服を抱えた女子が長蛇の列を作っている。
一店舗目からこれでは先が思いやられるな、と思ったが、桜は決戦に挑むかのように、洋服を物色し始めた。
事前に雑誌やネットでチェックしていた目的の品を着実に押さえて行く。
こういうときの手際の良さは惚れ惚れするほどだ。
「あのね、雑誌で見てたワンピース、どれにするか迷ってるから試着してみてもいい?」
荷物持ち覚悟で来ていたので、待たされる分には抵抗はなかった。
鷹揚に頷いた昴に、桜が嬉しそうに答えて試着室へと入っていく。
馴染みの店ならともかく、これだけ人の多い店内で、ポツンと取り残されるとさすがに居心地がよろしくない。
ひとりでこんな若い女性向けのファションブランドをウロウロしていたら、間違いなく不審者だ。
さっきからチラチラと感じる女性客や店員の視線には気づかないふりをしてやり過す事数分。
桜が一枚目のワンピースを着て、カーテンを開けた。
すかさず店員が飛んできて、鏡の前へと案内する。
桜が選んだワンピースは、膝丈のラベンダー色のシンプルなデザインだった。
「一枚でも来て頂けますし、ジャケットや薄手のカーディガンと合わせてもいけますよ。色白のお客様によくお似合いです!旦那様、いかがですか?」
店員と桜、二人から期待に満ちた視線を向けられて、若干後ずさりながら昴は頷く。
さっきより周りの視線が増えているのは気のせいではないだろう。
「・・・え・・・ああ・・うん。そうだな。いいんじゃないか」
一鷹のような美辞麗句が咄嗟に出てくるわけも無く、無難な返答に留めつつ、桜にさっさと試着室に戻れと合図を送る。
俺としては、丈が短くなくて、体のラインが強調されない服なら後は何でもいい。
膝上は外で出すなと声を大にして言いたい所だが、出来るわけも無い。
結局その後も試着の試練は続いた。
桜は迷っている3着の若干デザインの違うワンピースをそれぞれ着てみて、昴に感想を求めた。
この店のいいところは、華美過ぎず、上品なデザインの洋服が多いところだ。
いかにも”お嬢さん”といった綺麗めのスタイルを売りにしているので、安心して見ていられる。
すらりと細身の桜は、どれも綺麗に着こなしていた。
着替えをする桜を待つ間、ちらりと店内に視線を向けるが、買い物中のどの女性客よりも、桜が一番可愛いと素直に思える。
綻んでいた花がゆっくりと開いて行くように、みるみる綺麗になった。
聖琳女子ならではの身のこなしの美しさもあるのだろうが、佇まいが凛としていて、視線を集めるのだ。
選びきれなかった3着を、保留にしてもう少し悩みます、と店員に戻した桜が、隣の店に行きたいと告げる。
さすがに隣ならはぐれる事も無いと踏んで、先に向かうように勧めた後で、昴は先ほどの店員を呼び止めた。
「今戻した3着、用意して貰えます?」
「奥様迷ってらっしゃるようでしたけど・・」
「ここまで悩むのは、どれも気に入ってるからなんで、買って帰ります」
後で戻ってきて売り切れていた、なんて事になったら面倒だ。
少しでも気に入ったのなら、買って帰った方が手っ取り早い。
昴の返答に、店員が満面の笑みを浮かべた。
「きっと喜ばれますね。すぐにご用意します」
試着の時もこれ位簡潔に接客してくれたら、楽なんだけどな・・・と内心苦笑いしつつ、愛想のよい笑みを浮かべる。
今日は一日桜の為に使うと決めていたのだから、これ位の出費は出費のうちに入らない。
包んで貰った洋服を手に、昴が隣の店に向かうと、桜が紙袋に気づいて声を上げた。
「え!買ってくれたの!?」
「気に入ったんだろ?」
「・・・反応が微妙だったから・・あんまり似合ってないのかと思ってた」
手放しで誉めて貰えるなんて思っていない。
昴は饒舌なタイプではない事を、桜は十分理解している。
それでも、どうせなら昴が一番可愛いと思ってくれる洋服を選びたいと思っていたのだ。
だから、試着室から出るたび、曖昧に言葉を濁す彼の反応に、正直落胆していた。
一番好きな人から”可愛い”を貰えないのは、やっぱり淋しい。
背伸びをする必要は無い、と再三繰り返す昴の隣で、それでも浅海桜として、胸を張りたいと思うのに。
そんな桜の気持ちを知ってか知らずか、昴が驚いたように目を瞠った。
「は?なんでだよ・・・少なくともあの店にいるどの客より、一番似合ってただろ」
「・・そ、それは言い過ぎだと思うけど」
みるみる染まる頬を押さえて、桜が似合ってた?と尋ねる。
それで、漸くさっきの自分の言葉が足りなかった事に気づいた。
他の誰かに聞かせる為の言葉ではないので、敢えて口にしなかった台詞。
一鷹のようには出来なくても、いま、目の前の桜が欲しがっている言葉位、俺にだってわかる。
もう少し時間がたてば、別の言葉を欲しがるようになるのかもしれない。
けれど、桜にとっての魔法の言葉は、間違いなくこの一言だ。
期待に満ちた瞳で昴を見つめる桜の指先をもう一度握り込む。
はぐれないように、というよりも前に、最初から解くつもりも手放すつもりもないのだ。
昴が見つけて、慈しんだたった一人の存在。
「可愛いよ」
耳元で囁けば、桜が首まで赤くして俯いた。
頬を押さえる為に、繋いだ指を解こうとする。
それを推し止めるように、昴がからめたままの指で、火照る桜の頬をなぞった。
「なんで・・お前泣きそうになってるんだよ?」
「だ・・って・・不安だったから・・」
「不安って何が・・」
「あたしだって・・可愛いって思われたいから」
至極当然の欲求に、昴がすかさず切り返す。
「馬鹿。そんなのいつも思ってるよ」
「っ・・」
「だから、洋服くらいでごちゃごちゃ言うなって」
呆れ顔の昴が、潤んだ目尻を指で撫でる。
その優しい仕草に桜が、泣き笑いの顔になった。
赤い頬と潤んだ瞳がわずかに細められて、柔らかく花開く。
見惚れてしまいそうな位、どうしようもなく可愛い表情。
気付けば、無防備な額にキスを落としていた。
★★★
「いきなりしたのは悪かった」
「いきなりじゃなくてっ場所っお、お店っ」
「それも、俺が悪かった」
丁重に謝りつつ、桜の膨れ面にキスをする。
昴の指が強引に桜の顎を引き寄せた。
「けど、可愛いって思ったからしたんだよ。お前が欲しかった答えだろ?」
意地悪く尋ね返せば、桜が身を捩って昴の腕を叩いた。
「昴の馬鹿っ」
「今日はいいよ、馬鹿で。喧嘩は全部負けてやるよ」
「何それ」
「今日はとびきり甘やかしたいんだよ」
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