第95話 まどろみsiesta ひみつver
ウエストが何センチ細くなったとか、足のむくみが取れたとか、顎のラインがすっきりしたとか。
とにかく凄まじい効果が期待できる極上エステらしい。
東京の店舗では、人気エステティシャンの指名が後を絶たないのだとか。
興味本位で値段を聞いたら、とんでもない額が返って来て、それならその効果も納得だわと頷いていしまった。
一生縁がないであろう憧れのラグジュアリスポットのひとつだ。
そんな人気エステで、頭の天辺から爪の先まで揉み解されて磨き上げられたのだから、眠気に襲われても仕方ない。
しかも、これがランチかと見紛うばかりの豪華な昼食で空腹も満たされた後なのだ。
完璧に整えた室内に足を踏み入れた浅海は、極力腕を揺らさないように慎重な足取りで広いベッドまで進んだ。
客室担当が先にベッドカバーを外して、見栄え重視で積み上げられたクッションと枕を手際よく隣のベッドへ移動させる。
眠るのはお二人様ですよね?と疑いたくなる数のクッションと枕だが、全て素材や厚みが変えてあり、好みに合わせて選択できるようになっている。
「お手数をおかけしてすみません」
程よくお酒も入っているだろうから、そんな簡単に起きないと思いますよ、と思ったが、口に出すのも憚られる位の優しい仕草でピンと張ったシーツの上に、浅海は謝罪の言葉と共に彼女を寝かせた。
「とんでもないことです。風がよく通りますから、窓を少し開けておきましょうか?」
「お願いできますか?」
「かしこまりました」
ミニスロープへ続く窓を僅かに開けると、穏やかな風が室内に入って来る。
日差しを遮るために薄いレースカーテンを引いて調整する。
その間も、浅海はベッドの端に腰掛けたまま彼女の側を離れようとはしなかった。
客室担当は、空気に徹しながら、ちらりとベッドの上の眠り姫に視線を向けた。
東京の店舗からの異動スタッフでもある彼女は、仕事柄様々な女性を見て来た。
会員制なので、お忍びデートの芸能人を目にする事もままある。
テレビでよく見るモデルやタレント、人気キャスター、実業家、美人、と呼ばれる女性たちは一通り目にして来た彼女からすれば、浅海の同伴女性は、確かに美人でスタイルも良いが、これといって際立つ何かがあるわけではない。
控えめな印象の志堂夫人と並ぶと、はっきりとした顔立ちが際立って見えるが、群を抜いて美人というわけでもない。
優良企業の役員で、かなりの資産家でもある志堂の人間であれば、もっといくらでも美女は選べただろうに。
枕に散る緩く波打つ栗色の髪を指先で梳き撫でる彼の仕草には、深い愛情が現れていた。
眠っていてもこんな風に大切に扱われるなら、女性としては、これ以上ない幸せだろう。
珍しい料理や、可愛らしいデザートが運ばれて来る度に、次々と彼女の元へ新しい皿を運ぶ浅海の姿を、昼食会場で何度も目にした。
彼だけではない。
志堂夫妻も同じようにして親鳥の如く料理を運ぶので、会場の隅のテーブルを陣取っていた彼女の前にはいつも大量の皿が並んでおり、それを見てはクスクスと楽しそうに笑い合う4人の姿は、名刺交換に忙しい会場の中で異彩を放っていた。
恐らく気付いたのは給仕スタッフと、一部の招待客だけ。
愛されて大切にされる女の子の代表のようなお嬢様なんだろうな、と思った。
そして、それは浅海の態度を見て確信に変わった。
眠る彼女を起こすのは忍びないけれど、眠ったままの寝顔を見ているだけというのも何とも淋しい。
浅海の穏やかな眼差しはそう雄弁に語っている。
お邪魔虫にはなりたくないのだが、まだウェルカムドリンクを運び込むという使命が残っている。
足早に廊下に取って返して、ワゴンを押して客室に入る。
「シャンパン・・と、ジュース?」
テーブルにドリンクをセットしていると、ベッドから立ち上がった浅海が問いかけて来た。
「はい。お嬢様には、ノンアルコールのサングリアをお持ちしました。
お目覚めになられましたら、お飲みください。
ソーダ割がお勧めと厨房担当が申しておりましたので、炭酸水もお持ちしました、よろしければぜひ」
「サングリアか・・喜びます。ありがとう・・」
穏やかな声に、はい、と笑顔を返して、テーブルに載せられた薔薇の花を手で示す。
「こちらのお花は、ご希望があればお持ち帰り頂けるようになっておりますので、お申し出ください」
「目を覚ましたら、伝えておきます。薔薇なんて滅多に贈らないからなぁ・・」
クスリと自嘲気味に笑った砕けた浅海の笑顔が、甘ったるくて眩しい。
客室担当は蜂蜜でひりつく喉を掻き毟りたい気持ちを必死に堪えながら、笑顔のままで客室を後にした。
因みにウェルカムフラワーの薔薇は、持ち帰られる事無く、そのまま使用されるのだが、それはまた別の話。
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