第131話 きみのために手料理を
移動先で見た雑誌の一ページ。
何て事無い見出しに目がとまったのはたまたま。
”誰でもできる簡単料理”の文言。
別に料理に興味があるわけではなかった。
特に食べる事に拘りはないし、自炊した経験も無い。
ひとりなら外で済ませることもしばしば。
そんな彼が思い立って食材を買出しに出掛けたのには訳がある。
☆★☆★
打ち合わせを終えて戻った専務室。
一鷹が使った資料を整理しつつ、次の会議に向けて軽く打ち合わせを行っていると携帯が震えた。
応接テーブルに並べて置いていた2つの携帯電話。
昴は視線を向けてから一鷹を呼ぶ。
「電話、そっちだ」
「え、俺ですか?なんかあったかな?」
腕時計を見て時間を確かめた一鷹が昴に断って通話ボタンを押す。
着信画面には愛妻の名前が表示されていた。
旧知の仲なので、敢えて席をはずす事も無い。
昴は資料を片づける手を動かしたまま、この後のスケジュールを思い出す。
「幸さん?」
仕事の時より数段柔らかい声音で愛妻の名前を呼ぶ声がする。
「うん、大丈夫だよ。いま戻って来たとこ。そうだなぁ・・今日はー・・」
恐らく夕飯の確認の連絡だったんだろう。
一鷹がノートパソコンを叩く音がする。
資料の入ったキャビネットの前で振り返った昴が小声で告げる。
「15時から会議、17時から残務処理。スムーズにいけば19時には上がれるよ」
一鷹が視線を合わせて微笑む。
「20時までには帰るよ。うん・・・え?アレ、そんなにおいしかったの?へえ、いや、良いですよ。喜んでくれるなら嬉しいし、作るよ。トマト缶あるの?うん、じゃあ、生クリームだけ買って帰るよ。ついでにワインでも選ぼうか?うん・・たまにはいいでしょう?」
話しが纏まったらしい一鷹が携帯を閉じる。
昴が興味深そうな視線を向けた。
「お前、料理何か出来たっけ?」
「暁鷹が生まれてから、ちょっとずつね」
「一人の時はカップラーメンが定番だったのになぁ」
「幸さんの負担が軽くなればいいなと思って、始めたんですけど。結構面白いんですよ。パスタは簡単だし。時間がある時はちょくちょく作るんです。奥さんも喜んでくれるしね」
誇らしげに付けくわえた一鷹を見やって昴が苦笑いする。
「幸さんを喜ばせたいだけだろ」
「そうですけど」
悪びれもせずに答えが返って来た。
一鷹にとって一番重要な事は、、最愛の人がその名の通りいつも幸せである事。
「幸さんが美味しいって言ってくれると、それだけで作り甲斐があります」
「へー・・料理する男子が流行ってんのな」
「はい?」
「いや、こっちの話」
昼食時に見た雑誌の見出しを思い出して首を振る。
が、少し興味もあった。
「そんな喜ぶのか、幸さん」
「主婦にとって1日3食のうち1食だけでも誰かに作って貰えると、それだけで嬉しいらしいですよ。極力ベビーシッタ―やハウスキーパーは使いたくない人だから、忙しくても一人で全部面倒見ちゃうし。出来ることは協力しないと」
「ふーん・・・で、何作るんだ?」
「トマトクリームのパスタです。材料も少ないし、トマト缶使うから手間もかからないですよ」
「それ、教えてくれ」
考える間もなく口にしていた。
一鷹が一瞬驚いた様な顔をして、それから楽しそうに笑う。
「ついでに、帰りしな買い物行きます?浅海さん飽き性だから、思い立ったらすぐに作った方がいいですよ」
桜の付き添いでスーパーに行く事はあっても、自ら進んで食材を選んだ事は殆ど無い。
おつかいすら久しくしていない自分の食材と調理に関する知識の少なさにいささか不安を感じつつ、昴は頷いた。
「俺でも分かるようにしてくれよ?」
「大丈夫ですよ。パスタ、茹でた事位あるでしょう?」
「ラーメンなら、ある」
きっぱり答えた昴に、一鷹が真面目な顔で応えた。
「ゆで時間もちゃんと表記通りにして下さいね?」
「まあ・・何とかなるだろ」
「今更ですけど、浅海さんってまともに料理した事ありますっけ?」
「昔、雑炊とフレンチトースト食わせてやったろ?」
遠い遠い記憶を引っ張り起こして、幼い自分にアツアツの手料理(ちょっと焦げ気味)を食べさせてくれた、学生時代の昴を思い浮かべる。
何とかなる・・ハズだ。
目の前の昴に対する信頼は120%。
やると言ったらやり切る人だ。
頷いて、とっておきの一言を口にする。
「料理は愛情ですよ、浅海さん」
「おっまえ、そう言う事を良く平気で言えるなぁ・・」
「妻の、受け売りですよ」
「って事は桜も知ってんのか」
「多分ね、耳タコ並みに聞かされましたから」
「そりゃあ、ご馳走様」
昴は呆れ顔で言った。
★★★★★★★★★★★★★
”夕飯作るな”と超短文メールが届いたと思いきや、帰って来るなりキッチンを占領した昴。
何事かとさっきからしきりにキッチンを覗き込む桜。
てっきり、夕飯は食べに行くのかと思っていたら、駅前の輸入雑貨店の袋を持って帰って来た昴が、あり得ない事を言った。
「夕飯食わせてやる」
「ほぇ?」
ポカンと口を開けた桜の髪をくしゃりと撫でて、桜の背中を押してリビングに押し戻す。
「作ってやるって事だよ」
「どどどどーしたの!?なんかあった?」
包丁すら殆ど握らない人が何言ってるの!?と思ったが、何かを刻む規則正しい音が聴こえて来てホッとする。
「別に何もねェけどな。ちょっと気分だ」
「なんでまた?」
「食いたくない?俺の手料理」
抗いようのない魔法の言葉が耳に飛び込んできて桜は固まった。
そんなの答えは決まってる。
「食べたいっ!」
反射で応えたら、満足げに昴が桜の頬にキスを落とした。
「じゃあ良い子で待ってな」
「指切らないでよ?やけども気を付けて」
「俺は子供か?」
苦笑いした昴がキッチンに戻ってからも心配でリビングからしきりに中を覗いている。
けれど、桜の心配を他所に数十分後には、良い匂いが漂ってきた。
「桜、スプーンとフォーク出して」
「お皿の場所分かる?」
「それは分かる、後、ワイングラスな」
「ワイングラス?」
「パスタ飲むならと思って買って来たんだ。お前も飲みやすそうなヤツ」
綺麗に盛りつけられたトマトクリームのパスタがリビングテーブルに載せられる。
ワイングラスを手に振り返った桜が嬉しい悲鳴を上げた。
夜20時といういつもより早めの夕飯。
「すごい!美味しそう!」
「だろ?」
冷えたワインを飲んで、鮮やかなクリームパスタを口に運んだ桜が満面の笑みを浮かべて美味しい!と言った。
「こんなの作れたんだ?」
「一鷹にレシピ聞いた」
「初めて作ったの?」
「そうだよ。そもそも料理は面倒くさい」
呟いた昴の顔を見て桜が微笑む。
「・・初めてなんだ」
面倒でも、手間でも、昴はこうして料理を作った。
「あたしの為、だよね?」
期待を込めて問いかける。
「他に誰がいるんだろうな」
いかにも彼らしいぶっきらぼうな答えが返って来た。
照れ隠しにワインを煽る昴に向けて桜が笑う。
「嬉しい」
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