第130話 ガーネットに秘密を囁く

「オカエリナサイ」


冷やかな声とともに迎えに出た桜を、玄関から見上げて俺は呟く。


「・・・・なんでこっちにいんの?」


母親に用事があって浅海の家に寄ったのに。


まさかこっちにいるとは思わなかった・・・


俺とケンカするたび、絶対泣きつくのは幸さんのとこだったのに。


・・・ここも家になって来た・・・かな?


「いつどこでなにしよーがあたしの勝手でしょ」


憤然と言い放つ彼女の右手に手を伸ばす。


あ・・・指輪外してやがるし・・


結婚指輪と同じように右手の薬指には必ず指輪を嵌めるようにしている桜の指が今日に限って空っぽだ。


悪い予感しかしない。


「いいけど・・・おふくろは?」


「リビングでテレビ見てる」


そう言って奥の部屋へと歩き出す彼女の背中に呼びかける。


「・・・・・桜」


「なに?」


くるっと振り向いた表情からは・・その感情は読み取れない。


”今日帰るよな?”


思わず尋ねかけた一言を俺は慌てて飲み込んだ。


”こっちに泊まる”


なんて言われたらそっちのほうがコトだ。


意地でも連れて帰る。


「指輪は?」


「・・・・置いてきた」


素っ気なく呟いてリビングに続くドアを開ける。


置いてきた・・・ねぇ・・・


「お義母さーん」


最近になってようやくそう呼び始めた桜。


おふくろの嬉しそうな返事が聞こえる。


「はーいー?バカ息子帰って来た?」


「うん」


「放っておいていいから、こっちいらっしゃいー浴衣の生地選んでみてー!」


「あ・・・はーい!!」


何かを思い出したように頷いて奥の和室に向かう桜。


浴衣ぁ・・・?


小首を傾げた俺に向かって、おふくろのとげのある声が響く。


「昴!言っときますけどねェ母さんはなにがあっても女の子の味方ですからね!!」


・・・・んなもん20年以上昔から知ってます。




★★★★★★★★★★★★★




「なぁにやって怒らせたの?」


麦茶を注ぐ俺の隣にやってきた母親がジト眼でこちらを見上げてくる。


針の筵とはまさにこのことだ。


「やってねェよ」


「じゃあ、なに言ったの?」


「言ってねェよ」


「じゃあなんで桜ちゃん怒ってるの?」


「黙秘権行使」


「・・・・あのねぇ・・あんたってホントにそうゆうところお父さんそっくり。お兄ちゃんのほうがまーだ女心分かってたわ。さっさと謝んなさいよ」


「・・・うるせぇよ」


「帰りたくないってあの子が言うなら、喜んで泊めるけど」


「連れて帰る」


意地でも、無理矢理でも、力ずくでも。


言い返した俺の言葉に、お袋は重たい溜息をついて見せた。


「あーやだやだ。女一人幸せにできない甲斐性無しな男に育てた覚えはないわよ」


「余計な御世話だっつの」


呟くと同時に、桜が母親を呼ぶ声がする。


「おかーさーん!この柄どうですかー?」


「はいはーい。白地のやつー?」


「そうですー!帯の色って何色がいいかなー?」


「カタログあるから見てみましょー」


ウキウキと明るい口調で話しながら俺の横を通り過ぎるお袋。


ここがあって良かったと言うべきか・・・


幸さんに泣きつかなくなっただけマシ?


でもなぁ・・・・


グラスの麦茶を飲みほして、俺は天井を仰ぐ。


「どうしたもんかねェ・・・」


昨日の夜、会社当てに届いたDMやら書類の束の間に紛れ込んでいた一通のエアメール。


”私もいよいよ結婚します。過去は過去。今となれば良い思い出です。結婚後もこちらに住む予定なので、機会があればぜひ立ち寄ってください”


それはいわゆるモトカノからの結婚報告ハガキで。


一瞬彼女の顔が浮かんだものの、それもわずか数秒のことで。


”お幸せに”と思ったくらいだったのに。


これを見た瞬間。


桜の態度は一変した。



★★★★★★★★★★★★★




インターホンの音と共に玄関のドアが開く。


こういうことをやってのけるのはただ一人。


300メートル先に住む”志堂夫人”その人だけだ。


「静(しず)さーんいるーぅ?」


「おばさん、いらっしゃい」


奥で桜と盛り上がっているおふくろに代わって玄関で出迎える。


外出帰りらしく、和装姿の彼女が俺を見つけて目を細めた。


「あら、昴君、帰ってたのねー」


「ついさっき。今日は?」


「いま、お茶の帰り道なのよ。和菓子沢山頂いたから、一服付き合って貰おうと思ってね。静さん忙しいかしら?」


「喜んで付き合いますよ、あの人は・・」


俺の返事と同時にドアが開いてお袋が顔を見せた。


志堂夫人を見つけて目を輝かせる。


「あーら、いらっしゃい!」


「和菓子あるのよー。うちでお茶しないかしら?」


「行くわよ、喜んで!昴、帰るなら、鍵かけて行って頂戴ね。じゃあ・・・後はよろしく」


つまりは”とっとと仲直りしとけよ”ということだ。


女子高生のようにきゃっきゃとはしゃぐ二人の背中を見送って俺はため息混じりに呟いた。


「了解・・」




☆★☆★


母の和室を覗くと、真剣な顔でカタログを見つめる桜がいた。


足音を聞きつけて振り返った彼女に母親の不在を告げる。


「お袋居ないんじゃしょうがないだろ?今日のとこは帰るぞ」


「・・・・帰らない」


プイっと視線を逸らした彼女の前に座り込む。


「さーくーらー」


「絶対帰らないから」


「いい加減に・・」


「どうせあたしは子供よ!良い思い出って振り返れる過去なんてないわよ!こないだまでお酒も飲めなかったわよ!運転も出来なかったわよ!制服も着てたわよ!で・・・でもっあたしだって付き合ってた人いるし!恋だってしたし!!す・・・昴が昔誰と付き合ってたって・・・か・・・関係・・・・・ないって・・・割り切れないよ・・」


「・・・桜」


溜め息交じりで名前を呼んで彼女の体を抱き寄せる。


腕に抱えた慣れた重み。


触れようとするたびに、傷つけるのではと躊躇ってばかりいたあの頃が嘘みたいだ。


肩に凭れてきた桜の頭を撫でた後、背中に腕を回す。


「・・・め・・面倒くさいって言わないでぇ」


泣きそうな声で言った桜の耳たぶにキスを落とす。


「面倒くさくねぇよ」


「あたしはヤダ・・・面倒くさい」


「嫉妬すんのが?」


「・・・大人になれない自分がムカツク」


「大人にならなくていいって言ったの俺だしな」


付き合うずっと前に。


必死になってひとりで生きていく方法を探していた彼女に。


「・・・あたしだって振り回したいのに」


不貞腐れた声で聴こえた呟き。


「結構振り回されてるよ」


「・・・うそ」


「ほんと。だから、指輪外してるか最初にチェックしたし・・ウチ帰ったら即行で嵌めてやる」


唇に音を立ててキスをしたら、桜が苦笑交じりで胸元を指さした。


「付けてる」


そう言って、Tシャツの中からチェーンにぶら下がった見慣れた指輪を引っ張りだした。


「だって・・お守りだし・・・身につけとかなきゃと思って」


「そっか・・」


呟いて彼女の首筋に唇を寄せる。


項をなぞって大きく開いた襟元から覗く滑らかな肌に指を滑らせた。


もしも、いつか桜の元彼なる男とばったり遭遇したら・・・平常心でいられる自信がない・・・


頬に触れてから少し長めのキスをする。


しきりにドアの向こうを気にする彼女が逃げないように腰に回した腕に力をこめた。


話聞いただけですでにコレなのに。


「ちょ・・・ちょっと・・お義母さん帰ってくるでしょ!?」


畳みの上に押し倒されたところでようやく桜が我に返った。


「・・・じゃあすぐに帰ろう」


呟いて前髪の隙間から覗く額にキスを落とす。


「一緒に?」


「もちろん」


鷹揚に頷いた俺の首に、桜が腕を回して抱きついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る