第125話 願い事は百個でもいい

結婚式も終わって、数週間。


元々同棲(表現が正しいかどうかは別として)していた期間が長かったので、今更新婚って感じでも無い。


新婚旅行は、来月。


昴は朝から晩まで休暇の為に休む間もなく働いている。


本当は行くつもりが無かったのだけれど、浅海の両親が予定していた夫婦旅行を譲られる形で国内旅行に行く事が決定した。


大学を卒業すると同時に専業主婦になる予定だったので、就職活動もしなかった桜は、冴梨が趣味で始めた洋菓子店を手伝っていた。


バイトの無い日は、幸の所に出掛けたり、絢花達と会ったり、独身時代と変わらない生活を続けている。


結婚式の前撮写真りが出来上がったという知らせをウェディングプランナーから受けたので、郵送を断り、暇つぶしに結婚式場に取りに向かう事にしたのも、思い付きだった。


たまたま、幸も、絢花も冴梨も忙しくて時間が取れない日だったのだ。


「え、取りにいらっしゃるんですか?日付指定でお届けも出来ますけど・・」


「丁度、時間空いてるんで、お伺いします。ついでに、お時間あれば話相手して頂けたりしたらとっても嬉しいんですけど」


車のキーを取りながら告げると、勿論です。という答えが返って来た。


大学卒業前に免許を取ったのは、自分なりのけじめのつもりだった。


何と無く、両親の事故があってから、自分が車を運転する事に恐怖心を覚えるようになっていたから。


昴も、幸も一鷹も、免許を取れなんて一言も言わなかった。


むしろ、反対した位だ。


特に幸は、大反対した理由は一言


「そんな危ないことしなくていいの!」


だ。


妻の一言に呆れた一鷹が、足が必要なら志堂の人間を動かすからとなけなしのフォローを入れてきたけれど、気持ちは変わらなかった。


昴はそれとなく、運転する機会なんてそうそうないだろ?


と遠回しに反対していたが、それでも結局は桜に折れる形になった。


「買い物行くときにも便利だし、みゆ姉達が、本家に戻る事になったら益々不便になるでしょ?車があると、みゆ姉と生まれる赤ちゃんに何かあった時も安心だし・・・」


あれこれ理由を述べる桜を前に、最後に昴は一言だけ


「怖くないのか?」


と訊いた。


昴から、あの事故に関する事を問われたのは初めてだった。


出会ってから、一度も、口にした事は無かった。


桜は、静かに、けれどしっかり頷いた。


気持ちは揺らがなかった。


「出来る事から逃げたくない」


その一言で、昴はあっさり桜の意思を認めた。


「分かった。いいよ、応援してやる」


「ほんとに!?」


「けど、一個だけ約束な」


「何?」


「車は、俺が選ぶから」


「あたし用の買ってくれるの!?」


「俺が車乗っていくのに不便だろ?それこそいざという時どうすんだ。こまめに乗りまわした方が、早く慣れるしな」


というわけで、昴から贈られたファーストカーは小回りの利く小さめの車だった。


軽自動車で良い!と再三駄々を捏ねた桜にもここだけは譲れないと一点張りして、選ばれたのは海外の有名メーカーの赤い車。


免許を取ったその日から暇さえあれば乗っている。


車を運転するようになって、行動範囲も増えたと思う。


カーナビのおかげで、知らない道も怖くない。


何より、自分で走らせている感覚は楽しかった。


平日の午後にも関わらず、人気の式場は挙式が入っているようで、来客用の駐車場には車が何台も停まっていた。


車を降りて、エントランスまで歩くと、担当のプランナーが出迎えてくれた。


「浅海様と同じ会場で、今お式真っ最中なんですよ」


「もうすでに懐かしいです」


「本当に良いお式でした。ドレスもとってもお似合いでしたよー」


「バージンロード歩く時手、震えちゃって・・」


思い出して苦笑する。


ブーケが小刻みに揺れるのに気づいた昴が誓いのキスの直前、ヴェールを上げるタイミングで、桜の手を握った。


「桜さんの手を握られた瞬間、一気に表情が柔らかくなって、見ていてこちらが照れちゃいましたよ」


桜が頬を押さえて首を振る。


「あたし、すっごい緊張してたんでしょ?後から見たDVDでもガッチガチだったし」


「けど、私は、ヴェールを外した新婦と新郎が視線を合わせて微笑まれたシーンが印象的でしたよ。それまでの緊張が嘘みたいに、優しい顔されてましたから」


「昴は、あたしの緊張解すのが上手いんです」


志堂の分家筆頭という立場上、婚約者という扱いであっても、分家筋の公の場に出る機会も何度かあった。


そのたび、極度の緊張状態で固まる桜をフォローしてきたのは他でも無い昴だ。


どんな状態でも、嘘みたいに、落ち着ける。


昴が側にいてくれるだけで。


昔、幸が


「イチくんの側がしっくりくるの」


と話していた事を思い出す。


多分、こういう事をいうのだ。


自分を包む空気が急に優しくなる瞬間を知ってしまったから。


「大事にされてますね」


「有難いです」


彼女は全く赤の他人なので、素直になれる。


これが幸や冴梨達の側だと、何かと言い訳をして照れ隠ししてしまう場面だ。


「今日はお車でいらしたんですね」


「愛車なんですよー」


嬉しそうにキーホルダーを揺らす桜に向かってプランナーが小さくはにかむ。


「浅海様、凄く悩んでらっしゃいましたよ」


「え?」


「何度かお式の打ち合わせで、新婦との慣れ染めなんかをお伺いしたんです。丁度、桜さんがお姉様の所に行ってらっしゃった時期で」


幸の出産前後は、挙式の相談そっちのけで一鷹夫妻のマンションに入り浸っていたのだ。


思い出すように首を傾げる桜に向かって両手を広げる仕草をしてみせた。


「たっくさんカタログ持っていらした時があって、殆ど仕事を持ちこまれない方でしたから、お尋ねしたら、桜さんの乗る予定の車を探してるって仰って・・・」




☆★☆★



前の打ち合わせが長引いたせいで、予約時間を少し過ぎてしまった。


今日は、式場の席の配置の確認だ。


来賓の数も親族の数もけた違いに多い式なので、失礼にならない席順やテーブルの配置にはいつも以上に気を使う。


思い残すことの無いように、挙式準備にもしっかりと時間を掛けて行きたいというのが、来店当初からの夫婦の要望だった。


ファイルを片手に押さえておいた応接室をノックする。


「どうぞ」


中から落ち着いた返事が返って来た。


いつも隙のない、志堂一族を守る分家筆頭の声だ。


志堂の系列会社である為、本家と主要分家に関しての知識は社員のほぼ全員が把握している。


「お待たせして申し訳ありません」


「こちらこそ、今日の予定に無理やりねじ込んで貰ったのはこっちなんで」


切れ長の目を緩めて答えた昴の前に腰かけようとして、テーブルに積まれているカタログに気付いた。


「お仕事・・・ですか?」


「コレは私用です。妻に、車を買ってやる予定なんですよ」


「桜さんに?」


「今、教習所に通ってるんです」


「そうですか・・これから忙しくなりますもんね」


微笑み返すと、昴が困ったように口元を緩めた。苦笑が浮かぶ。


「・・・出会った時は、高校生だったんですよ」


視線をカタログに向けたままで昴が静かに切り出した。


「制服着て必死に大人になろうともがいてました。強がりで、いつも大人ぶってて、それがほっとけなかった。いつか、あの子が独り立ちする時まで見守ってやろうと心に決めたんです」


「随分・・長い時間一緒に過ごされたんですね」


続きを促すように告げれば、昴が自嘲気味に笑った。


「そのうち、距離が生まれて離れるだろうと思ってたんですけどね・・・いつの間にか、手放せなくなってた。ゆっくり大人になればいいと悠長に構えてたのに、実際、手元から離れそうになったら焦ってる自分が居る。何でも出来るようになればいいと思う反面、俺がしてやれる事が少なくなる気がして・・身勝手ですけど、寂しい気持ちもするんですよ。桜は、滅多に俺に頼みごとをしないんですけど、出かけるときだけは別で、気になった場所を見つけては”次の休みに連れてって”っていうのが定番で・・それも、仕事の都合でなかなかすぐには叶えてやれなくて・・・桜を待たせなくて良くなるのは、勿論嬉しい事だって、理解はするんですけどね。また、俺の元から遠くなるのか・・って」


黙って頷くプランナーに気づいて、昴が苦笑する。


「こんなしょーもない話してすいません」


「とんでもない。桜さんをとっても大切に思ってらっしゃる事が良く分かりました。浅海さんは、桜さんに何でもして差し上げたい方なんですね」


「そんな事ない筈だったんですけどね・・・あ、コレ、オフレコでお願いします」


「勿論です」


「甘えるもんか!って意地張る分、甘やかしたくなるんですよ、不思議と。だから、桜が甘えると見境なく甘やかしたくなるんです。結局、自己満足なんでしょうね。・・・桜が、俺に叶えて欲しい願い事何個もあげてくれりゃあいいのに・・」


最後は呟きに似た自嘲。


聞いていたプランナーが顔を赤らめて困ったように笑う。


「盛大な惚気話ですね・・願い事、何個でもいいんですか?」


問いかけられると思わなかったらしく、昴が一瞬目を丸くする。


それから、鷹揚に頷いた。


「願いは百個でもいいんですけどね。欲を言えば、俺しか叶えられないヤツがいいんですよ、そしたら、ずっと側に置いとけるでしょ」


「それは、桜さんにずっと側に居て下さいって言う方が手っ取り早いと思いますけど」


的確に指摘したプランナーに向かって肩を竦めると、昴は苦笑いを浮かべた。


「打ち合わせ、始めましょーか」



☆★☆★




数ヶ月前のやり取りを思い出して、1人微笑むプランナーに怪訝な視線を桜が向ける。


その視線を受け止めて、自信たっぷりでプランナーは言った。


「とっても素敵な方を選ばれたと思いますよ」

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