第122話 閉じ込めたい  

付き合う前も後も、桜の行動を束縛した事など一度も無い。


そもそも、恋愛対象を自分だけに縛り付けるなんて、昴には存在しない感情だ。


これまでも、これからも、そういう気持ちは理解できないし、理解する必要もないと思っていた。


桜との結婚が公に発表されて、結婚準備に追われるなか、休日は殆どが親族への挨拶回りに瞑れていた。


幸い、桜の生家で今度も生活することを決めていたので、生活用品は買い足す必要が無かった。


仕事と結婚準備で分刻みのスケジュールをこなす昴としては、非常に助かった。


本来なら、結婚準備に勤しむのは妻になる桜の役目なのだが、今回は勝手が違う。


結婚式云々よりも、昴の仕事は結婚に伴う分家への根回しだった。


その為、式に関する事項は殆どが前倒しで終わらせてある。


花嫁と入れ替わりで忙しくなった昴は、桜をそっちのけで分家間を走り回る日々を送っていた。


同棲して数年経てば、数日合わない日が続いても支障はない。


もとより昴の仕事が忙しい事を承知している桜は、昴の体調を心配する位のものだ。


一緒に暮らし始めた頃は、夜に一人で置いておくのも不安だったが、今はそれも無い。


お互いが慣れた、というのもあるだろうが、桜の状態がずっと安定している事もある。


事故直後から暫く続いていた不眠も、京極の家に戻ってからは殆ど無くなった。


桜が心底安心して暮らせる場所を作ってやれたことが、昴にとっては何より嬉しい。


この家にいる限り大丈夫、と思える。


その場所が、今度こそ本当に二人の家になるのだと思うと、多忙さも乗り切れる気がした。




★★★


出張ついでに、地方に住む母方の親族に、結婚式の招待状を届け終えて、3日ぶりに自宅に戻る。


久々の我が家では、桜が夕飯づくりの真っ最中だった。


最近、親友二人と料理を習い始めた(とは言っても、教室に通うのではなく、篠宮の本邸に講師を呼んでの特別講習だ)桜は暇さえあればキッチンに立っている。


「お帰りー。お疲れ様」


キッチンを覗けば、大鍋を前に料理本を読み込む桜が一瞬だけこちらを見つめてくる。


「ただいま・・・えらく集中してんな」


「うん、今から圧力鍋でスペアリブ煮込むの。あ、昴、洗濯物先に出しちゃってね」


すぐさま鍋に視線を戻してあっさりと指示される。


3日ぶりに戻った昴へのあっけない程の歓迎。


これから新婚生活を迎えるカップルにあるまじき反応の薄さ。


昴は、荷物を置くと、一直線に桜のもとへと歩み寄る。


上着も脱がずに、腕を掴んで桜を抱き寄せた。


「あー、煙草の本数増えたでしょ」


溜息交じりに言われて、昴が桜の後ろ頭を捕まえながら頷く。


「しょうがねぇだろ。文句言う人間がそばに居ないんじゃ、禁煙しようがない」


呟いて、キスを落とせば桜が素直に答えた。


けれど、唇が触れたのは一瞬ですぐにコンロに視線を戻される。


「良い感じに出来てる~。お夕飯頑張って作るから、もうちょっと待っててね」


早速料理に戻ろうとした桜の腰に腕を回して引き戻す。


後ろから抱きしめて、料理本はこの際だから取り上げてしまう。


「あ、やだ。なに・・・っ」


エプロンを外さなかったのは自分の為だ。


これ以上するとさすがに自制が効きそうにない。


邪魔にならないようにひとつに結ばれた髪を指に絡めて、剥き出しの白い項に遠慮なく唇を寄せる。


ぺろりと舌先で舐めれば桜が小さく身震いした。


あんなに執拗に残した痕はもう消えかかっていた。


桜が逃げられない様に肩を押さえたままで、首筋から頬へと唇を滑らせる。


「じゃ、邪魔しないで・・・ん・・・」


「桜・・・」


顎を捕えて仰のかせる。


視線がぶつかると、桜が羞恥心に頬を染めた。


やっぱりさっきのなんかじゃ足りないな、と改めて思う。


昴の唇が額と鼻先にキスを落として、誘うように指が頬を撫でた。


啄む様に唇にキスを落とせば、桜が困ったように合間に非難の言葉を口にした。


「も、もうっ・・・誰の・・・んっ・・・為に・・・っ・・・作ってると思ってんのよ」


勿論他でもない昴の為だ。


桜が料理を勉強しようと思ったのも、忙しい昴の助けになればと思っての事。


そんな事、言われなくても分かっている。


けれど、今は、温かくて美味しい料理よりも、もっと欲しいものがあった。


昴にしか許されていない、柔らかな肌に指を滑らせる。


「桜・・・っ」


強請る様に名前を呼んで、少しずつキスを深くする。


角度を変えて何度か繰り返せば、桜が腕を押さえる力を緩めた。


昴の掌がエプロンのリボンに伸びる。


解こうか一瞬迷って、何もせずに離れた。


歯列を割って舌を絡めれば桜がすんなりと応える。


言葉よりもずっと素直な反応に思わず昴に笑みが零れた。


閉じた瞼を親指が確かめる様に、そっと撫でる。


熱い昴の掌に包み込まれた頬は同じくらい熱を持っている。


昴の巧みなキスに翻弄された桜が、息を上がらせて訴える。


「も・・・待って・・・何も考えられなくなるっ」


昴のキスは心地よい。


それと同時に、どうしようもなく桜を乱す。


思考も、感情も、感覚も。


そのどうしようもない熱に抗えない。


「ばぁか」


さっきまでの情熱的なキスとは裏腹な、羽根の様なキスの後で、昴が悪戯っぽく微笑んだ。


「そうさせる為にやってんだよ」


「・・・ご・・・ご飯~」


「俺の為っていうなら、先に俺がいま、一番欲しいものをくれよ」


熱っぽい視線を向けられて、桜が困ったように身を捩る。


けれど昴は腕の力を緩めない。


桜は小さく息を飲んだ。


尋ねるのも怖い・・・だって、もうその目に答えは映ってる。


少し不安そうな―・・・あたし。


甘やかな眼差しを向けて、昴が桜の髪を勿体ぶったように撫でる。


「えらいな」


耳元で囁かれて、桜の肩が無意識に跳ねた。


桜の反応を愉しそうに眺めて昴が唇を寄せる。


「俺が欲しいもの分かったのか」


わざとじらすようにゆっくりと距離を詰められて、桜がギュッと目を閉じた。


昴は目を細めて桜を見つめたまま、今度こそエプロンのリボンに手を伸ばす。


と、桜が慌てたように腕を掴んだ。


「だめ!」


「なんで」


「あたしの下ごしらえ込み二時間を無駄にする気!?」


「しねぇよ・・・後でちゃんと」


「そんなの無理!」


「なにが」


「あ、あたしが・・・あとで・・・料理とか」


しどろもどろの返事をしつつ下を向く桜。


この後ベッドに雪崩込んで、それでも冷静に料理を出来る自信が無い。


桜のセリフに昴が盛大に溜息を吐いた。


「ったく・・・俺はつくづくお前に甘いな・・・分かったよ」


桜を閉じ込めていた腕を解いて、あっさりと離れる。


ほっと桜が息を吐くと、すかさず昴が切り返した。


「まずは、こっち、だ」


言うなり桜の肩を引いて正面から抱き寄せると唇を重ねた。


長いキスの後、桜の唇を舐めてから昴が意地悪く微笑む。


「こんな気持ちにさせられるなんてな」


「え?」


「何でもねぇよ。それより、後で覚えとけよ」


桜を解放してキッチンを抜けながら、昴は頭の片隅に浮かんだ単語に苦笑いした。


籠の鳥にして閉じ込めたい、なんてな・・・

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