第121話 見えない思い出 

「見てーこのさぁちゃん可愛い」


アルバムの中の1ページを指して幸が嬉しそうに笑う。


桜はそんな暁鷹をあやす手を止めて振り返る。


「わー小学校の入学式だぁ」


"入学式"の看板の前で母と手を繋いで笑う小さな桜。


「この子もそんな風にあっという間におっきくなっちゃうのねー」


「まだまだ先だよー」


「けど、子供ってほんとにすぐ成長しちゃうのよー」


「じゃあ今のうちにぎゅーしてチューしておかないと。そのうち可愛いお嫁さんに取られちゃうよ」


「ほんとにそうよねー」


しみじみ頷いた幸が、近づいてくる足音を聞きつけて顔を上げる。


「イチ君、もうお話終わったの?」


仕事の話があると言って昴と一鷹を呼びつけたのは柾鷹だ。


今日は桜の結婚式の用意の為に集まる約束をしていたのだ。


待ち合わせのレストランをキャンセルして本家で落ち合うことになったのはいいが、応接に行ってすぐに二人が戻ってきた。


廊下を歩いてきた一鷹が苦笑みを浮かべる。


「それが・・」


チラッと後を振り向けば、同じく昴も苦いを返した。


「何かあったの?お義父様忙しい?」


「先客がいるみたいなんだよ」


困ったように言って、昴に視線を向ける。


視線で頷いて昴がなぜかせかせかと玄関に向かっていく。


「桜、幸さん先に飯いこう」


「え・・でも、お客様帰るまで待ってなくていいの?」


「いや、いいから、行こう」


「え・・でも、仕事の話・・」


「いいって」


いつになく強引な困惑気味の桜と幸に一鷹が柔らかい笑みを浮かべる。


「父上も忙しいみたいだし、行こうか。後で電話しとくから大丈夫だよ」


「そう・・?」


「じゃあ・・」


桜が腕の中の暁鷹を幸に返す。


一鷹が幸のそばにあったカバンを持って玄関に向かう。


と、応接のドアが開く音がした。


「失礼いたします」


誰かが辞去の挨拶をしている。


桜の視界の横で、昴が思い切り顔を顰めた。


それを見た幸が、一鷹に向かって短く問う。


「なに?」


「いや・・」


困った顔のままで一鷹が昴に視線を送って、昴はそれを受けて溜息まじりに足を止めた。


「昴くん」


涼やかな声がその名前を呼ぶ。


昴は覚悟を決めたように振り返る。


「ご無沙汰してます。麻里さん」


「ご結婚されるんですね。いま、ご当主から聞きました。父もこの話を聞いたらきっと喜ぶと思います。おめでとうございます」


律儀に頭を下げる麻里と呼ばれた女性。


それから一鷹の方を向いて改めて丁寧に頭を下げた。


「一鷹さん、お邪魔しております」


「麻里さん、いらっしゃい」


桜は固まって動けない。


目の前で昴が、困ったように笑って頷いた。


その顔を見たときにピンと来た。


”何か、あった”ふたりだって。


桜の表情が一気に硬くなる。


幸が察するような視線を一鷹に向ける。


が、こればっかりは一鷹にも誤魔化しようがない。


後の采配は昴に任せることにして一鷹は穏やかな表情で切り出した。


「幸、桜ちゃん」


「は、はい」


「ハイ」


「こちらは、浅海さんの母方の親戚に当たる、白井麻里さん」


先手を打って一鷹が紹介した。


「親戚・・?」


「桜さん?・・あ・・昴さんの。始めまして。麻里です」


「は・・はじめまして・・桜・・です」


たおやかに頭を下げられて、困惑気味の桜がどうにか挨拶を返す。


昴がそんな桜を一瞥してから説明を付け加えた。


「うち、今でこそ家に両親だけだけど昔兄貴が居たころは、浅海のじーさんも生きてて麻里さんのお母さんがずっと手伝いに来てくれてたんだよ。俺も小さい頃から世話になってたんだ」


「とんでもない。お世話なんかしてませんよ。昴さんも大地さんも、とても良い子でしたから」


「麻里さん、いい歳した男捕まえてイイ子ってのはやめてくれよ」


困ったように昴が笑う。


「すみません。でも、いつまでも私の中ではお二人は、弟みたいなものですから」


「麻里さんにかかれば浅海さんも肩なしですね。で、今日は本家に用事で?」


一鷹が美味く話題をすり替える。


「昴さんのご結婚の準備の事で叔母様にご相談に寄ったんです。本家には随分覗っておりませんでしたので」


「父上がいる時で良かったよ、相変わらず走り回ってるから」


「そのようですね。皆様お元気そうでなによりです」


にこりと笑った麻里に幸が桜の分も笑顔を返した。


穏やかなやり取りとは裏腹に、漂う空気はどんよりと重たいまま麻里を見送ってから、車に乗り込むなり桜は昴に詰め寄った。


「付き合ってたの!?」


「誰と・・」


溜息交じりで応えた昴がエンジンをかける手を止めて、桜に向き直った。


「さっきの人と」


「あるわけねェだろが・・親戚だぞ」


そう言ってから、でも、一鷹と幸も親戚だよなと思って黙り込む。


と、桜が不安そうに口を開いた。


「じゃあ・・好きだったの?」


「・・・」


「好きだったんだ」


昴は、桜には絶対に嘘をつかない。


だから、これはそういうことだ。


的確に昴の表情の変化を見て取った桜が、きゅっと唇を噛み締めた。


その横顔に昴が左手を伸ばす。


この後は一鷹の家にお邪魔することになっているが、すでに一鷹の車は本家を出てしまっている。


待たせることになるが、不機嫌なままの桜を連れていくわけにもいかない。


「・・・昔な。ずっとずーっと昔な」


「子供の頃?」


「そーだよ。めちゃくちゃガキの頃」


「初恋なの?」


尚も問いかけてきた桜の顔を覗き込んで昴はがっくり肩を落とす。


どうして今日はこうも察しが良いのか。


「なぁ・・そこはそんな重要じゃないだろ」


「初恋は大事だし!」


「女の子はそうかもしれないけど・・なあ、桜、別に子供の頃の話なんだから気にすることないだろ?」


「だったら、ちゃんと昴が婚約者ですって紹介してよ!困ったみたいな態度取らないでよ!」


こう言われてしまえばぐうの音も出ない。


「それはー・・俺もめちゃくちゃ久しぶりに会ったんだよ。告白して玉砕した相手だったからバツが悪かったんだよ」


「告白したの!?」


「・・・した。10歳の時、んで見事フラレタ」


「・・そんな相手なんだ」


子供の昴が告白なんて、大人の昴しか知らない桜にとっては全く想像もつかない真実だった。


「6つも年上だったし。昴君に似合う女の子見つけてねって言われた」


「懐かしい思い出なんだ」


「お前にもあるだろ?俺が知らない思い出」


「・・・あるけど」


「だったら機嫌直せ」


そう言って話は終わりとばかりに今度こそ昴がエンジンをかける。


「でも、昴はあんまり話してくれないし」


「誰がするか、こんな話しょーもねェ」


ひとりごちた昴の横顔に、助手席から身を乗り出した桜がそっとキスを落とした。


「振られちゃったけどいいじゃん。あたしがいるでしょ」


珍しく強気に出た桜がしてやったりと満足げに笑う。


「そーだな」


その後ろ頭を引き寄せて笑みを零した昴がキスした。

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