第120話 求婚花束
「お式の日取り、決めたの?」
幸がアンティークの華奢なティーカップをソーサーに戻してから問いかけた。
「まだだけど・・・おばさ・・お義母さん達がいま必死に大安吉日の日取りを相談してるみたい」
「あー・・そうよね」
頷いて、従妹に視線を送った幸は桜の表情が思いのほか明るくない事に気づいた。
「どうかした?」
早くもマリッジブルーだろうか?
結婚式はおろか会場も何もかも決まっていないのに気持ちだけ先走って、焦ったり不安になったりした記憶は自分にもある。
けれど、桜の口から出た言葉は幸の予想とは真逆のものだった。
「あたし、まだプロポーズされてないの」
幸はポカンと口を開けるしかない。
「え・・?」
幸にとって、ただ一人の可愛いかわいい妹同然の従妹は、数年前から現在の夫である志堂一鷹の側近である浅海昴と将来を見据えて、同棲をしているのだ。
桜と昴の結婚は志堂本家でも了承され(いまだ水面下で快く思わない分家はあるとしても)一鷹も、一鷹の両親も結婚祝いの準備を進めている。
それが、どういうことだ。
「ちょ・・ちょっとさぁちゃん?」
聞き間違いではなかろうかと思う。
いや、そうであると思いたい。
けれど、確かに従妹は言った。
プロポーズされてない、と。
「待って、ねえ、もしかして周りが色々騒がしくなったから昴君と結婚するの嫌になったの!?」
「そうじゃないよ!」
「え、じゃあ・・なに」
浅海昴から送られたブルーサファイヤの指輪は婚約指輪代わりだったはずだ。
浅海家から受け継いだそれに加えて、昴個人から貰ったダイヤの指輪が仮の婚約指輪として、左手の薬指に収められている事を幸は知っていた。
後は結婚指輪を交換するのを待つばかり。
これといって問題は感じられない。
が、幸の言葉を遮るように桜は頭を振った。
「ちゃんと結婚しようって言われてないの!」
「だ・・・だってそれは、もう・・・決まってることでしょう?あなたもそのつもりで京極の家で昴君と暮らしてるわけだから」
「そうだけど・・」
ブスっと膨れた頬を手の甲で支えて桜が紅茶のスプーンをくるくると振った。
「みゆ姉、一鷹くんにプロポーズされた時の事覚えてる?」
いきなりの質問に、幸はきょとんとしてそれから、懐かしそうに微笑んだ。
その柔らかい視線を受けて、桜は胸がいっぱいになる。
今となっては唯一の肉親と呼べる大好きな従姉をこんな風に幸せそうに微笑ませる事が出来る相手。
志堂一鷹の存在が、どれくらい幸の中で重要な位置を占めているのかその表情から嫌というほど伝わって来る。
こんな風に幸福な記憶が、彼女の中に今も色褪せず息づいている事が何より嬉しい。
幸は言葉を噛み締めるようにつぶやいた。
「・・一生忘れられない位大事な思い出よ。あたしの中で、一番キラキラしてる想い出かもしれない」
「いーなー」
「だって、あたしたち家族の始まりだから」
「あたしもそういうの、欲しい」
胸でいっつもキラキラ光って、愛しくて嬉しくって仕方なくなるような。
眩しくて尊い記憶が。
こういうのは、指輪を貰った事とはまた別モノなのだ。
昴との未来を疑った事は一度もない。
恋を始めた瞬間から、ずっと未来の事まで分かっていた。
”お付き合いしましょう”で終わるような恋愛が出来る相手じゃない。
そして、親代わりとなってくれた幸の立場が激変したことから、奇しくも桜の立場は非常に危ういものになった。
桜を手に入れる家が、次期分家筆頭となる。
そんな身勝手な噂まで流れた。
桜も、いつの間にか”ただの恋愛”が出来る女の子ではなくなっていたのだ。
だから、昴を好きになった時も迷わなかった。
昴の生きる場所、昴が守る人。
そして、桜を愛してくれる幸の新たな居場所。
総て納得ずくでここまできた。
京極の名前を捨てて、浅海桜になる覚悟もある。
恋を始めた時から。
でも、プロポーズは別だ。
全然違う。
筋書き通りに進む結婚への最短ルート。
その中で、ちょっとくらい甘ったるい思い出が欲しい。
それ位期待したって悪くないでしょ?
”結婚しよう”ってそれだけでいい。
その一言を、ずっと大事にしまっていくから。
「さぁちゃんは、ちゃんと言葉が欲しいのね」
「うん」
今さらでも何でもいい。
いつも何も言わないの昴の言葉が欲しい。
「贅沢かな?」
愛されてる。昴の事も信じてる。
それでも、まだ”ちゃんと”言葉で残してと思ってしまうのは。
桜の髪を指で梳いてやりながら幸は首を振った。
「ぜんっぜん!女の子なら当然よね」
★★★★★★★★★★★★★
とは言ったものの昴がそう簡単に甘いセリフを吐くわけがない。
正面切って闘いを挑んだ桜に向かって昴は呆れた顔で返した。
「お前の左手に嵌まってるそれは?」
「・・婚約指輪」
「それはどういう状態で嵌めるもんだ?}
「結婚が決まってる状態」
「で?お前は何が欲しいって?」
「・・ちゃんとプロポーズされたい」
「この状態で今更?」
「絶対そう言うと思った」
思い切り不機嫌になった桜の頬を指の背で撫でて、昴は答えた。
「覚えてたら、そのうちな」
「絶対覚えてないでしょ!」
言い返した桜を意地の悪い笑みで見返す。
「かもな、期待すんなよ」
行ってきますのキスに応えてからそれでもやっぱり言い返す。
「しないわよ!」
売り言葉に買い言葉とはまさにこの事だ。
ひらりと手を振って仕事に出かけて行った昴の背中を見送って、桜は一人肩を落とした。
★☆★☆
そして夕方。
買い物を終えて家に戻った桜が荷物を下ろすと同時に玄関のドアが開いた。
「ただいま」
「え!昴!?どーしたの!!」
まだ夕方17時過ぎだ。
ありえない程早い帰宅に、思わず夕飯をどうしようか考えてしまう。
「どーしたって、どうもしねぇよ。仕事終わって帰って来たの」
そして、とりあえず出迎えようとした桜の目の前に、真っ赤な花束を差し出す。
鮮やか過ぎる赤いバラに目を丸くした桜が言いかけた”おかえり”を飲みこむ。
ありがとうよりも先に疑問が浮かぶ。
けれど昴は平然と告げた。
「プロポーズには花束だろ」
「え?」
「愛してる。結婚しよう」
「ウソ・・」
「嘘で言えるか。数えてみろよ、ちゃんとお前の歳の数あるだろ」
瞬きして桜が腕の中のバラに視線を送る。
確かに桜の歳の数だけバラが包んである。
その蕾の一つに、蛍光灯を受けて光る指輪を見つけた。
「ちゃんと考えてるよ。前のダイヤは予約だったから、こっちが本物のエンゲージだな」
左手の青いサファイヤと対照的な愛らしいピンクサファイヤの光沢。
「で?」
「え?」
イキナリすぎて頭が回らない。
問い返した桜と視線を合わせて、花束が潰れない程度に緩く抱きしめる。
「プロポーズの返事は?」
耳元で囁かれた。
思い切り抱きつきたいのを堪えて桜は昴の腕を引く。
「耳かして」
言葉通り屈んだ昴にそっと誓いの言葉を告げた。
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