第118話 ラピスラズリと迷路
デパート。
ある意味男には鬼門なんじゃなかろうか?
溢れる人、山積みの荷物。
一度迷いこんだら、二度とは出られないような気がするのは・・・・俺だけか?
☆★☆★
「あー、どうしよう!!迷う!!」
ディスプレイされたベビー服を見てしきりに呟く桜に、俺は反応に困った。
さっきの店でも同じこと言ってなかったか?
数分前の記憶を手繰り寄せるこちらを、桜が勢いよく振り返る。
なんとなく嫌な予感がする。
「・・・どう思う?」
やっぱり来た。
「選ぶのはお前に任せるって言ってるだろー。俺にベビー服の良し悪しが分かると思うかぁ?」
「・・・思わないけど、意見は聞いとこうかと思ったのよ」
「あーそう」
「やっぱりさっきのお店かなぁ・・・でも、柄はこっちのが可愛いし・・・ねえ、とりあえず、ベビー服は後回しにしてプレゼントの食器見に行ってもいい?」
ベビー服は生まれてくる赤ちゃんに。プレゼントは母親となる幸さんに贈るらしい。
お互いが子供を産むときは、出産を頑張ったご褒美として大好きなティーセットを贈り合う約束をしたのだとか。
幸さんにはしっかり
「まあ、さぁちゃんにプレゼントするのはずっと先だけど!」
と俺の方を見て釘を刺されたけど。
ヘタ打つなよということらしい。
女子高時代の桜に関しては洗練潔白を証明できるが、聖琳女子の制服を脱いだ後の彼女に関しては、ノーコメントを通すよりほかにない。
無事に桜は短大を卒業して、予定通り俺の婚約者となった。
約束通り、大学在学中に妊娠させるようなヘマはしなかったし、結婚後も暫くそのつもりはない。
桜の年齢を考えると、4、5年は二人で過ごしても誰にも文句は言われないだろうと踏んでいる。
浅海の両親は早く孫を抱きたがるだろうが、俺としても大っぴらに新婚だと胸を張れる時間はやっぱり欲しいのだ。
だから、幸さんから桜に出産の贈り物が届けられるのは、彼女が二人目を妊娠した後になる予定だった。
「昴」
名前を呼ばれて我に返る。
ブランド食器コーナーで手を振る桜の声だ。
「ああ・・・どうした?」
「一鷹くんって食器の好み煩かったっけ?って訊いたの」
「いや・・・あいつは幸さんがいいって言えばなんでも許容範囲内」
「だと思った。一応聞いてみただけ」
呆れ顔で言って桜が綺麗にディスプレイされた食器に向き直る。
その横顔を眺めながら、その昔一鷹に言われた台詞を思い出していた。
☆★☆★
京極の家で暮らし始めて暫く経った頃、浅海の実家に桜を連れていったついでに、志堂本家にも足を伸ばした。
いずれは幸さんが仕切ることになる大本家だ。
今のうちから一鷹の両親たちに慣れておくのも悪くない。
筆頭分家として名を連ねる浅海の人間になる以上避けて通れない人たちであるということも理由のひとつではあったけれど。
幸さんの従妹という肩書を前に出すことで、志堂の両親を懐柔する意味もあった。
あの頑なな一鷹の心を掴んだ女性が溺愛している相手なのだ。
興味がないわけがない。
今はまだ、志堂のすべてを掌握できるわけではない一鷹の
後ろですべてを支える志堂柾鷹とその妻。
ふたりの後ろ盾があれば、桜を浅海に迎え入れることに何の不安もなくなる。
俺や浅海の家としても、安心材料は多ければ多いほどいい。
桜が志堂の一族にかかわることで生まれる不安の芽はどんなに小さな物でも潰しておきたかったのだ。
通された応接のソファで向かい合って座った志堂夫妻は桜に向かって穏やかに問いかけた。
「引っ越しは無事に終わったかい?」
「はい。お祝いまで頂いてありがとうございました」
ペコリと桜が頭を下げる。
一鷹とは別に志堂夫妻からも贈り物が届いたのだ。
「よかったよかった。昴も隅に置けないよ。こんな可愛い子を隠しておくなんて、私にそんなそぶりも見せずに」
「落ち着いてからご挨拶には伺うつもりでしたよ」
しれっと言い返してみせる。
何もかも把握済みの癖に・・・こういうところが食えないのだ。
「婚約は?」
「桜が二十歳になるまでは待つつもりです」
「そのほうがいいだろう。二年の間に一鷹としっかり基盤作りに励みなさい。盤石になったところで浅海を名乗らせる方が安心だから」
彼の言う”安心”は分家間の抗争を懸念してのことだ。
気を抜けば足元を掬われかねない今の状況では、浅海家は桜にとって完全に安全な場所とは言いきれない。
一鷹が後継者としての実力を培っていくその横で俺は分家を完全掌握する。
いずれは、一族全ての実権を一鷹がその手で握れるようにすること。
本当の意味での本家当主にすること。
それが俺の役目でもある。
俺の父親が作り上げてきた親世代の基盤をさらに強化し、当主交代後も変わらぬ安寧を守ることが一鷹と俺の望みだった。
「尽力します」
俺の言葉に、社長がにやりと意地悪く微笑む。
「ようやく、一鷹だけじゃなく、志堂も受け入れる覚悟が出来たみたいだね」
・・・・そこまでお見通しでしたか。
内心舌打ちしつつ顔には出さない。
一鷹が万一この場所を捨てるなら、留まる理由はないと思っていた事をこの人はすべて知っていたらしい。
「俺が生きてく場所はここなんで・・・」
「そう言ってくれてホッとしてるよ。あれには昴が必要だ」
この人もなんやかんや言って息子に甘い。
だから、この結果を誰よりも望んでいた筈だ。
「桜ちゃん」
「・・・はい」
「志堂も浅海も、名前で聞くよりずっと普通の家だから。心配することはないよ。うちの家内もね、しきたりや作法なんて全く苦手な人だったから」
社長の言葉に、志堂夫人がにこにこと笑う。
「行儀作法のお勉強は4回は逃げ出したし、お花もお茶も最初はさっぱり。でもねぇ、なんとかなるものだから。それに、浅海の家は全然口煩くないから大丈夫よ。ほんとウチとは大違い」
ホホホと聞き捨てならないことを言って、社長が慌てて
「うちだってそんなに煩くはないはずだよ」
と付け加える。
「だってあなた、ボンボンだもの」
と夫人に切って捨てられてしょぼくれる現当主を前に、途方に暮れる桜の横で俺はぼんやりと思った。
このふたりも相変わらずだなぁ。
スケジュールがぎっしりと詰まった志堂夫妻が、夫人が出展している生け花展に出かけるのを見送ってから浅海の家に戻る。
と、ほどなくして一鷹がやってきた。
本家に荷物を取りにやって来たら、俺たちが来た事を佐代子さんから聞いたらしい。
応接のソファに腰掛けるなり、一鷹が口を開いた。
「京極の家に戻れてよかったね」
「ありがとうございます」
「幸さんが、自分のことみたいに喜んでたよ」
「あの家は、みゆ姉にとってもすっごく思い出のある家だから・・」
「だろうね。あの庭でお茶するのが大好きだったって言ってたよ」
「そういや、アルバムにもそんな写真あったよな」
隣に座った桜の髪に無意識に手を伸ばす。
肩に零れたそれを払って、指先を絡めたら桜が視線を手元に戻した。
一鷹がいるのに・・・と思ったんだろう。
構うものかと絡めた指をそのまま強く握りしめる。
一鷹のところにはいつも見せつけられているのだ。
これくらいしたってバチは当たるまい。
一瞬迷うような視線をこちらに寄越して、けれどそのままこちらに凭れてきた。
肩にかかった重みを守るみたいに抱き寄せる。
触れることに躊躇しなくなったな・・・
抱きしめるのも、キスをするにも、なにか理由を探していたけれど。
手が届く距離に桜を置いておくことは俺の中でももう当たり前のことになっている。
・・・箍が外れたってことか・・・
一鷹と楽しそうに話す桜の横顔をぼんやり眺めていたらふいに桜が立ち上がった。
「あるんですよ。お茶会したときの写真」
「京極の庭で?」
「そう。まだおばさんも生きてた頃の写真です」
「・・って、お前アルバム家だろ?」
「ううん。何枚かはずっと持ち歩いてるの!取って来るね」
あっという間に廊下に消えた後ろ姿を見送って一鷹が可笑しそうに笑った。
「・・・離せなくなったでしょ?」
「え?」
一瞬なんのことか分からずに問い返せば。
「当分は手出さないのかと思ってたのに」
「・・・・」
思わず言葉を無くして、それが余計に図星だと悟られてしまう。
「桜嬢が完全に警戒解いてましたもん。あれ見たら、勘のいい人間はすぐにわかりますよ」
苦笑交じりで言って一鷹がコーヒーを口に運ぶ。
今さら取り繕うのも馬鹿らしくなって、俺は大げさにソファに凭れかかった。
「お前の言うとおり、当分はあのままでいるつもりだった」
性急に”恋人”になろうなんて思っていなかったし
時間をかけることに何の躊躇いもなかった。
「でかい家に独り暮らしってのも考えもんだな」
俺が呟いて、一鷹が笑う。
二人きりで過ごす時間が増えれば、必然的に距離は近くなるし、幸さんと離れた直後の桜は特に人恋しがっていつも俺の帰宅を待っていた。
甘えられれば甘やかすだけでは終われなくなる。
それでも、桜が19歳になるまでは待ったのだ。
「俺は、幸さんをあの家から連れ出すことばかり考えてましたけどね」
桜と二人暮らしだった頃のことだ。
二人きりになるには、一鷹のマンションで会うことが唯一の手段だったから。
でも俺は
「帰る理由が無くて困るんだよ」
保護者替わりの幸さんいるわけでもない。
俺が京極の家を出たら、桜はひとりで夜を過ごすことになる。
誰に憚ることも無い、望めば一晩中だって二人きりなわけだ。
だから、余計に困る。
桜が眠るのを見届けてから帰るから。
そんな理由で逃れようとした俺に、すかさず桜が
「朝起きて、浅海さんいなかったらあたし、泣くわよ!」
なんて言い返す。
数十分の押し問答の末、俺の手から京極の家の鍵を取り上げた
桜を抱きしめたら、絡み付いていた色んな柵が綺麗に消えて行った。
迷い込んでいた迷路はいつの間にかなくなって、目の前には桜一人だけが見えた。
一鷹が平気な顔でとんでもないことを口にする。
「もう、帰る理由は探さなくてもいいでしょう?むしろ、桜嬢を独占するための理由探したらどうですか?」
俺は苦虫を噛み潰した顔で憮然と言い返した。
「そんなもんずっと前から探してるよ」
たぶん、最初に会ったあの日から。
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