第113話 お姫様の宥め方 


それぞれの家庭に”暗黙のルール”があるようにそれぞれの家庭によって”基本(ベース)”となる事柄は違う。


それを目の当たりにしたときに、初めて”我が家”との違いに気づいて愕然としたり、羨ましくなったりするのだ。




幸が結婚して、新居となった駅近くのマンションに住まうようになってから、月1回の”お泊まり会”は定例となった。


最初は、昴の出張の際に桜を家で1人にしておきたくない幸が、半ば強引に桜を迎えに行ったのが始まり。


久しぶりに布団を並べて二人で色んな話をした。


桜の大学のこと、志堂本家のこと、新婚生活のこと始まったばかりの昴との生活のこと・・・


あっという間に朝が来て、寝不足な顔でリビングに顔を出したら、一鷹に”まるで修学旅行みたいだね”と笑われた。


先生の見回りに見つからないように、声を顰めて眠たくなるまでずっとおしゃべりを続けた、眠れない夜。


一鷹の指摘に、顔を見合わせて二人で笑って”またお泊まり会しようね”と約束をした。



そんなわけで、今回も桜は”志堂一鷹&幸”の新婚家庭にお邪魔しているのだ。





「んー・・・もぉ起きるの・・・?みゆ姉」


柔らかい羽根布団の中に頭まで潜り込みながら隣りで体を起こした幸に問いかける。


陽はすっかり昇っているようだが、起きるにはまだ早い。


今日は10時ごろに家を出ればよいスケジュールだ。


幸も美容院の予約があるので一緒に出かける予定だった。


「あ・・ごめんね。寝てていいわよ。イチ君、本家に呼ばれてるのよ。見送って来るから、まだ寝てらっしゃい」


「んー・・・」


一鷹が本家に呼ばれるのはいつものことだ。


頷いて桜は暖かい布団に潜り込む。


肩口を包み込むように羽根布団をかけなおしてから幸は部屋を出た。


昨夜も眠ったのは3時前だった。


電話やメールもしょっちゅうだし、マメに会ってもいる。


けれど、なぜか会うと話すことが尽きないのだから、女同士は本当に不思議だ。


掛け直された布団は心地よくて、まだまだ眠ることが出来る。


・・・・ずなのに、どうしてか目が冴えてしまった。


この家にお布団にも慣れた筈なのに。


布団の中で2回、3回とゴロゴロ転がってから勢いよく布団を跳ね上げる。


「どーしよー・・・・起きよっかぁ・・」


枕元の携帯で時間を確認すると、8時半を過ぎたところだった。


幸のところに泊まりに行くときは、昴からの連絡はない。


基本的に決してマメなほうではないのでメールも連絡があるとき位しか使わない。


電話のほうが手間が省けるらしい。


だから、着信メールが1件もないのはいつものことだ。


「幸さんによろしくな。ゆっくりしてこい」


昨日の朝そういって出かけて行った昴。


あっさりしたもんだ。


桜と幸が姉妹のように仲が良いことは一鷹も昴も嫌というほどわかっているのでこの対応は正しい。


けれど、昨日から一鷹の幸に対する溺愛ぶりを目の当たりにしている桜としてはあまり面白くない。


初めての妊娠が分かってから、今まで以上に幸に対して過保護度が増した一鷹。


悪阻の時期を過ぎてからも、幸の体調を気遣う様子は変わらない。


従妹としては、実の姉のように大切な幸が大事にされているのを見てほほえましい気持ちになる。


けど・・・


”うち”って淡泊なのかなぁ・・?


比べたいわけじゃないし、不満があるわけじゃない。


ずっと気にかけていてほしいわけじゃない。


携帯を手に客間を出ながら呟く。


「今日は早く帰れるって言ってたっけ・・」


”会いたい”とか言ったらどーするんだろ・・昴・・・・





廊下に出ると、玄関から楽しそうな話し声が聴こえた。


いつも以上に甘い一鷹の声。


廊下に立つ妻を見下ろして、ようやく目立ち始めた腹部に触れる。


「今日のご機嫌はいかがかな?」


「とってもいいわ。さぁちゃんといっぱい喋ったからかなー?あ・・でも、おしゃべりなママに呆れてるかしら?」


「顔色もいいし・・でも、やっぱり寝不足みたいだね?」


「学生の頃みたいに話しこんじゃうのよねー」


「楽しかったならなにより。でも、やっぱり俺はひとりで寝るのは寂しいな」


呟いて幸のことを抱き寄せる。


背中に流れる長い黒髪に唇を寄せてから耳元にもキスをした。


「あたし、今日はきっとぐっすりよ?」


「いいよ。隣りで眠ってくれるだけで十分」


幸がくすくすと幸せそうに笑って一鷹のネクタイを直す。


と、廊下に出た桜の姿を一鷹が見つけた。


「桜ちゃん、起しちゃったかな?」


「ううん。そろそろ起きなきゃいけないの。一鷹くん、もう行くの?」


「本家の重鎮がお待ちなんでね」


「ご苦労様です」


「いえいえ。浅海さんに何か伝言あるかな?」


「・・・・いえ・・」


言いかけた言葉を飲み込んで、首を振ったらにっこり笑って心得たとばかりに頷かれてしまう。


一鷹は昔から人の気持ちをくみ取るのが上手い。


「まだ時間あるんでしょ?ゆっくりしていってね」


「はーい。ありがとー一鷹くんも気を付けて」


桜の言葉に”ありがとう”と答えてから幸に視線を向ける。


桜と話をしている間も、幸は一鷹の腕の中だ。


「今日、出かけるんだったよね?」


「ネイルサロンにね。でもお昼すぎには戻ります」


「気を付けて。体調悪くなったら、すぐ帰って来るんだよ?」


「はーい。大丈夫よ」


「じゃあ、行ってきます」


一鷹は笑顔で告げてから、幸の唇に軽くキスを落とした。




★★★★★★★★★★★★★




結局、桜が眠るまでに昴は帰宅しなかった。


先に眠っておくようにと電話があったのが深夜23時過ぎ。


昴は分家の連中に捕まってしまったらしい。


志堂の当主が一鷹に移れば、それに伴い分家も代替わりが行われる。


現分家筆頭である昴の父親から昴に。


それに伴い今よりもずっと浅海家が、志堂に近い力を持つようになる。


今のうちに少しでも昴を通じて浅海家と良好な関係を作り上げておきたい連中は大勢いる。


日付が変わるまでには戻れそうにないと連絡を受けた時にも、桜はある程度覚悟していたので、あっさりと返事を返した。


『遅くまでご苦労様』


『はいはい。どーも。んで、昨日楽しかったかぁ?』


『うん・・楽しかった』


『そりゃー良かったな・・・やべ、呼ばれた。戸締りちゃんとしろよ?』


遠くから昴を呼ぶ声が携帯越しに聴こえた。


まだまだ宴会は続いているらしい。


戻りが遅い時は必ずこうして戸締りの事を口煩く言われる。


桜が京極の家に戻るより前に、すでに一鷹によってセキュリティは万全な状態にしてあるのだが、それでもこの一言が無くなることは無い。


桜としても飽きる程聞いた台詞だが、今日もいつものように素直に返事をした。


『はーい。おやすみなさい』


そうして携帯を閉じたのが23時半のこと。



☆★☆★



カーテンの隙間から零れる朝陽に気づいて目を覚ます。


「昴ー・・・」


ベッドを抜け出してすぐに名前を呼ぶも、すでに彼の眠っていた形跡はなかった。


深夜帰宅からの早朝出勤はもう彼の専売特許になりつつある。


幸が無事に出産するまでは、出来るだけ一鷹の負担を軽くするように動いている事も知っていた。


リビングに下りれば、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを口に運ぶ昴の姿を見つけた。


「起きたのか?」


「んー・・・もう行くの?」


「もう行くよ」


そう言って桜に向かって手招きする。


寝ぼけ眼のままで昴に近づくと腕を掴んで柔らかく抱きしめられる。


「昨夜は早く帰れなくてごめん」


「・・・早く帰ってって言ったっけ?」


「いいや?一鷹から聞いた」


「!!!」


目を丸くしてぎょっとなった桜のことを見下ろして昴がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。


次に出る言葉が容易に想像出来てしまって桜は思い切り不貞腐れる。


「何も言ってない・・・っ」


一鷹が聡い事は知っていたが、何やら色々脚色されていそうでばつが悪い。


自分の気持ちをあっさり一鷹に読まれた悔しさとそれを伝えてくれた一鷹に対する感謝と、明らかに桜の様子を面白がっている昴に対する腹立たしさ。


ぐるぐる回る感情の波そのままに愚痴を口にした桜の顎を捕えて昴が唇を塞ぐ。


甘く食まれるとそれだけで、胸のわだかまりが溶け始めるから困る。


あっという間に大人しくなった桜の髪に楽しそうに指を絡めて昴が耳元で笑った。


「いーやぁ。可愛いな、と」


「・・・そ・・そんなこと言って機嫌取ろうとしても無駄!」


「あーそう」


溜息をひとつついて昴が桜の頬を引っ張る。


必然的に顔を上げることになった桜が眉を顰めた。


「ちゃんと顔見せろ。丸2日会ってねェんだから・・」


その言葉に思わず桜が口を開く。


「さ・・・っ・・・」


「んー?」


「・・・・さ・・・・」


「何?どしたぁ?」


「・・・なんでもないっ」


”寂しかった?”


そんな風に可愛く確かめることはできなくて口を閉ざす。


俯きかけた桜の頬を指でなぞって昴が前髪を避けてキスを落とした。


吐息が触れて桜の頬が赤く染まる。


「幸さんと一緒は楽しくてー・・・寂しかった?」


頭の上から聴こえて来た声が、いつもよりずっと甘くて桜は思わず顔を上げる。


見透かされたような一言が胸に届いてジュワっと広がった。


悔しいから必死になって切り返す。


「・・なんて言ってほしい?」


少しはたじろぐかと思ったのに、駄目だった。


「寂しかっただろ?」


言葉とともに何度目かのキスが降って来る。


「・・・・ん」


啄ばむようなキスの後で小さく頷いた桜に満足したように微笑んで、昴が言った。


「今日こそは定時で帰るから」


そんな一言で機嫌が直ってしまう自分が悔しい。桜は心の中で呟いた。

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