第112話 チョコの逆襲
「あれ、なんだこれ?」
一鷹の執務室に入るとソファの上に無造作に置かれたままの紙袋がひとつ目に止まった。
昴はファイルの山を一鷹の机に遠慮なく降ろしてからこれまた遠慮なく紙袋を持ち上げる。
一鷹は上着に袖を通しながら顔だけ振り返った。
「ああ・・さっきバイク便で亮誠から届いたんですよ」
「亮誠ぇ?・・なんでまた・・・チョコぉ!?」
中を確かめて昴が素っ頓狂な声を上げる。
バレンタインからすでに1週間経過してすでに社内はホワイトデー商戦一色だ。
乗り遅れたにしても程がある。
そもそも亮誠からチョコレートが届くなんて天変地異の前触れかもしれない。
「仕事関係の人から貰ったらしいですよ。処分に困って捨てるわけにもいかないからどーにかしろって。かなり有名なチョコらしいですけどね」
肩を竦めて見せた一鷹を横目に昴が丁寧に包装されたピンク色の箱を取り出す。
名の知れたチョコレート専門店。
数日前にテレビで流れていた限定ギフトのチョコレートを思い出して昴が頷いた。
「あー・・・桜が騒いでたなぁ」
予約殺到で、各店舗のみ100個ずつの注文販売だったとか。
今年一押しの商品だっけ・・?
「持って帰って貰えます?」
「幸さんへのお土産じゃないのかよ」
「・・・・」
昴の問いかけに一鷹が胡乱な眼で長年の相方を見返す。
盛大な溜息とともに辛辣な一言が返ってきた。
「持って帰れるわけないでしょう。そんなもん」
「・・・そーかぁ?」
「どんな形にせよ、バレンタインのチョコなんですから。幸さん以外の人からのモノは何であろうと要りませんよ」
しれっと言い返す弟分を見返して昴は呆れ顔で呟いた。
「・・・・あっそ」
★★★★★★★★★★★★★
「ただいまー。桜ぁー」
玄関のカギを開けるなり、すぐさま彼女の名前を呼ぶ。
一刻も早くこの“戦利品”を見せてやりたかった。
昴の声を聞きつけて、桜がリビング手前のキッチンから出てくる。
「はーい。お帰りー」
入浴した後らしくパジャマ姿の桜は裸足のままで玄関先までやってきた。
まじかで見るとまだ頬が赤い。
「ほら、お土産」
火照ったままの頬を指の背で撫でながら昴が紙袋を掲げて見せた。
「お土産!?」
声を弾ませた彼女の手に戦利品の入った紙袋を握らせる。
「正しく言えば、棚ぼたの戦利品」
「・・・?意味分かんないよ」
眉根を寄せた桜の僅かに湿っている髪を指に絡めて昴が意味深に笑って見せた。
「中開けてみりゃ分かるよ」
「・・・?うん」
桜を促してリビングに向かう。
荷物を置いて上着を脱いだら、キッチンから桜が問いかけてきた。
「お夕飯どーする?またカップ麺で終わらせちゃった?」
カップ麺=残業の友という不健康な食生活は桜と暮らし始めてから改善されつつあるが、それでも仕事が遅くなると、空腹を満たすためについついカップ麺に手を伸ばしてしまう。
「さっき車の中で菓子パン食っただけ」
「お夕飯の残りの八宝菜食べる?」
「食う」
昴の返事に気を良くしたのか、桜が嬉しそうに言った。
「良かった!!雑穀ご飯炊いて、おにぎりにしといたの。お夕飯くらいバランス良いご飯食べなきゃね」
まるで母親のようなセリフに思わず昴が笑う。
「お前もすっかり慣れたなぁ」
一緒に暮らし始めたころは”カップ麺なんて以ての外!”とさんざん怒られたものだけれど。
この1年ちょっとで融通が利くようになったらしい。
八宝菜、ほうれん草のおひたし、豆腐サラダ、雑穀おにぎり、具だくさん豚汁。
野菜中心の遅い夕飯を終えた昴の隣りで桜は”戦利品”のチョコレートを広げた。
「わぁ・・・・どーしたの、コレ?」
「貰った」
「そりゃそうだろうけど・・・すっごい高いのよ、コレ。バレンタイン限定商品だし。って・・・なんで今更?」
”誰から貰ったか”ではなく”どうしてこの時期なのか”に食いついた桜を横目に昴はしみじみ思う。
まーこーゆー反応するだろうとは思ってた。
付き合う前ならともかく、付き合って以降桜がこのテの話でヤキモチを妬いたり拗ねたりしたことは殆どない。
”不安にさせない”と幸に誓ったあの日の約束は無事に守られているようだ。
「遅ればせのバレンタインデーチョコを亮誠が貰ったんだと」
「篠宮さん!?」
飛び出した名前に桜が身を乗り出す。
篠宮亮誠は桜の高校時代からの親友、高遠冴梨の恋人なのだ。
「断れない筋から貰ったプレゼントらしくて処分に困って、一鷹んとこに送ってきたんだよ」
「冴梨知ってるのかなぁ・・」
「冴梨ちゃんが食べるなってさんざん騒いだらしいけど」
「・・・あー・・そうなの・・・なら納得」
「んで、一鷹も持って帰りたくないって言うからさ」
「勿体無い!なかなか食べれるもんじゃないのにねーここの限定チョコ」
「と思って、俺が貰って来た。お前なら気にしないだろうしな」
「うん、もちろん」
ニコニコ笑って、8個入りのチョコレートのひとつを摘む。
「あー食べるの勿体無い・・・」
「溶けるぞ」
1個数百円は下らないであろうチョコレートをそっと口に運ぶ。
舌の上で蕩ける滑らかな甘さにうっとりと目を細める桜。
「お味は?」
「最高」
予想通りの答えが返ってきて昴はつられて微笑む。
”戦利品”は大当たりだったようだ。
「良かったな」
「ほんっとに美味しいから、食べてみて?市販のチョコと全然違うの!!もう・・・なんっていうか・・すごく上品な味」
差し出された箱の中から手前のひとつを適当に選ぶ。
ナッツが入ったチョコを口に運びながら昴が言った。
「ふーん・・亮誠にお礼言っとくかぁ」
「うん、あたしもすごく喜んでたって言っておいて」
「あ、ほんとだ。美味い」
「でしょ?」
「へー・・・さすが老舗だなぁ。息長いメーカーは客が逃げないそれなりの理由があるもんだよな」
しみじみ呟いた昴の顔を見ていた桜が何かに気づいて腕を引いた。
「ねえ、こないだあたしが作った生チョコとどっちが美味しい?」
プロと貼りあうつもりは毛頭ない。
が、彼女としては”愛情”に勝るものなしと確認したいところだ。
素直に”桜が作ったほうがずっと美味かった”とは言ってくれないことは予想できるけれど。
小首を傾げて尋ねられて、昴が意地悪な笑みを浮かべた。
「何て言ってほしい?」
そんな問いかけとともに桜の手にあったチョコの箱が昴によって取り上げられた。
テーブルに置かれた箱に視線を送ったら左手の指を絡め取られる。
「・・・それ訊くの・・・?」
こうなると逃げられないことはこれまでの経験で知っている。
爪の先にキスをして昴が笑った。
「ご要望があればお応えしますよ?」
「そういう言い方ズルイ!」
「なんでだよ?」
クスクス笑いながら、実に楽しそうに昴が問い返す。
その手に乗ってたまるかと桜は何とかこの状態を打破しようと必死に頭を動かす。
「あ・・・あたしが欲しい言葉、知ってるくせに」
言わなくても、伝わってるくせに。
でも、いつも最後まで昴は言わない。
一鷹のように毎日”愛情表現”してほしいわけじゃない。
でも、こういう時は確かめたい。
「うん」
あっさり頷いて昴が桜の顎を捉えた。
俯くことが出来なくなって必然的に視線がぶつかる。
「・・・開き直んないのっ・・性格悪いっ」
考えを見透かされていることを実感させられてしまう。
悔し紛れに言ったら、昴がしれっと切り返した。
「性格悪くても俺がいーんだろ?」
「・・・」
言い返せなくて黙り込んだ桜の額に唇を寄せた昴が瞼、頬とキスを落とす。
「もう言い返さねーの?」
「・・・い・・言い返す言葉考えてるのよ!」
「ふーん。じゃあ、もう黙っとけ」
そう言って止めとばかりに唇を重ねる。
チョコの甘さと、また別の甘さが広がる。
長いキスの後で赤くなった桜の耳に昴が唇を寄せた。
「このチョコも甘かったけど、桜が作ったチョコの方が甘かったな」
耳たぶに触れた唇の感触にますます頬が熱くなる。
「・・・甘さ控えめのほうがいい?」
肩に凭れたままで問いかけたら、昴が一層深く桜を抱きしめた。
「いや。この甘さが俺にはちょうど良いよ」
背中に回された腕と、その言葉の持つ意味に桜はますます赤くなって黙り込む。
そんな彼女の頬を撫でて、昴が愛おしそうにキスをした。
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