第87話 荊の先で待ってる  

最近の桜の日課。


それは、去年植えた京極の家の桜の木に、僅かに芽生えた蕾を観察すること。


ここ数日気温が下がったせいで、綻びかけた蕾はまた硬くなってしまっていた。


春はまだ少し遠いらしい。


テレビのニュースで映し出される、東京の満開の桜を見るたびにため息を吐く彼女。


「まだもーちょっと先だな」


開化予測を確認しながら俺が告げると、不服そうな返事が返ってきた。


「いつ咲くのー?」


子供みたいな問いかけが返って来て笑ってしまう。


ソファでクッションを抱えて丸くなる桜の肩に手をかけて、抱き寄せる。


と。桜がダイニングのドアの方を覗った。


廊下の向こうが気になって仕方無いらしい。


俺は彼女の髪にキスを落としてから呟く。


「庭の桜に訊けよ」



今日は大学の後、浅海の家に来ていたので(問答無用の母親の呼び出しで)久しぶりに両親と桜と4人で夕飯を取ったのだ。


時計は22時を回っているのに、未だ実家にいるのはわけがある。


父親から仕事の書類を預かるためだ。


家の中に同じ会社に勤める人間がいるとこういうことがよくある。


明日は朝から得意先のレセプションに向かうらしく、社長(一鷹の父親)に渡す報告書を頼まれるのだ。


”すぐ取ってくるから”


そう告げて書斎に引き返した父親が消えてから


早15分が経過していた。



桜が上目づかいに俺を見て呟く。


「訊いたって答えないし。・・・っていうか、おじ様来るってば」


「足音で分かる」


「そういう問題じゃないでしょ」


「ここ俺の家だし」


「・・・だから?」


「どこで何しようと俺の自由」


きっぱり告げて、桜の両手の中にあったクッションを向かいのソファに投げてしまう。


空っぽになった彼女の少し冷たい指先を握ればやっぱり困ったような視線が返ってきた。


そんな胡乱な眼で見られても・・・


目を閉じるのを促すために、瞼の際に口づける。


「ほんっとに怒るよ?」


「・・・すでに口調が怒ってんぞ」


「あのね・・すば」


眉根を寄せた彼女の語尾を掬い取るように唇を重ねると同時に、廊下を歩く足音が聞こえてきた。


測ったかのようなタイミング。


溜息を飲み込んで、桜を解放する。


すかさず伸びてきた左手に、パシリと腕を叩かれた。


・・・コレ位いーだろが・・・


思わず言いかけて、慌てて口を閉ざす。


ここで機嫌を損ねると、後が怖い。色々と。


「やあごめんごめん、やっと見つかったよ。桜ちゃん待ちくたびれたんじゃないかい?」


ドアを開けるなり、書類を受け取る俺じゃなくまっすぐ桜に声をかけるのが、いかにも父親らしい。


桜は、正式婚約前からすでに我が家の最重要項目、不動の一位だ。


慌てて俺から離れた桜が、曖昧に笑って立ち上がる。


「い・・・いえ!全然大丈夫です、テレビ見てましたし!!」


「・・・そうかい?」


ちょっと桜を窺うように見つめてから、くるっと俺の方を向く。


相手の全部を見透かすみたいな視線。


分家の五月蠅い年寄り連中を黙らせてきた、その手腕が垣間見える瞬間だ。


この人の側で働くようになってから5年以上になるのに、未だひやっとする。


桜の様子から、大体何があったのか把握したんだろう。


肩を竦めて、俺にクリアファイルを差し出す。


「間が悪かったかな?」


これは俺への質問だ。


隠す必要もないのでいつも通り答える。


「ええ、まあ」


ギロっと桜から突き刺さるみたいな視線が飛んでくる。


「そりゃあ悪かったね」


あっさり謝った父親に、桜が慌てて口を開く。


「あのっ」


「桜ちゃーん」


和室の方から母親の呼ぶ声が聞こえてきて、一瞬口を噤んだ彼女がすぐに返事をした。


「はーい!!」


「ちょっと来てえー!!」


「はーい!!」



和室に向かう彼女の背中を見送りつつ、俺はこっそり溜息をひとつ。


浅海の家に居る限り、桜の所有権は両親ふたりに委ねられる。


というか、そうせざるを得ない。


ひっきりなしに桜を取り合う両親を前に、審判宜しく見ているしかない俺。


極力早く帰りたいのは、そんな理由からだ。





★★★★★★★★★★★★★




「すごい量だな」


助手席に座った桜が、膝の上に抱えている大量のバラ。


「どれもみーんなイングリッシュローズだって」


「一つの名前でそんな種類あんのか?」


「みたいだね」


形も色もまちまちの鮮やかなバラ。


花に関しては全く興味のない俺。


恐らく一鷹だったら、ここでマメ知識の一つも披露しただろうがあいにく俺の頭のどこを探しても、薔薇の種類や特徴なんて出てきそうにない。


「お袋もなんでこう沢山買ってくるかな」


二人暮らしなんだから、もう少し加減をすりゃいいのに。


あの人の”ちょっと多め”は世間一般の”大量”だ。


それを寛容に受け入れてしまう親父もどうかと思うけど・・・


「行きつけのお花屋さんで見つけたから、いつもみたいに”適当に”届けてって言ったらしいよ」


「・・・なるほど」


すでに20年近くの付き合いになる老舗の花屋。


恐らく店主は、お袋の言う”適当”に合わせて大量のバラを見繕ったんだろう。


世間一般の”適当”な量にしてくれりゃいいのに・・


「桜が咲くまでは、こっちで我慢だな」


「うん。家中に飾って楽しむ。ちょっと傷んでるのはみゆ姉に訊いて、ポプリとかにしよっかなー」


すでに開ききったバラをいくつか膝の上に載せ始める桜。


まるで花屋の店員のようだ。


「トゲ取ってあるだろうけど、気をつけろよ」


「あー・・うん。はいはい」


俺の言葉にも生返事。


バラの花束を後部座席に移して、桜は膝の上に広げたハンカチの上で選んだバラの花びらを取って行く。


「なにするつもりだ?」


「んー?こんなに沢山あるから、お風呂に入れようと思って」


「ふーん」


タイミングよく信号が赤になった。


横目で彼女を見ながら、ゆっくりブレーキを踏む。


「色んな色があって楽しいと思うし」


楽しそうに話す彼女の膝の上から、ベルベットの花びらを一掴み。


「どしたの?」


俺の手の動きを追って顔を上げた桜の頭の上からそれを降らせる。


暗い車内に鮮やかな花びらがふわりと舞った。


瞬きをひとつした彼女の顎を捕えて唇を重ねる。


ほのかにバラの甘い香りが広がった。


そして最後に言い訳をひとつ。


「・・・親父とバラに邪魔されたから」



荊をかき分けたんだから、コレ位いいだろう?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る