第101話 お姫様エスケープ! answer

「浮上したか?」


唇が離れてから暫く。


抱き寄せた桜の髪を撫でてやりながら昴が問いかけた。


「別に凹んでないし・・ちょっと・・気遅れしただけで・・・」


「お、そんだけ憎まれ口出てきたらもう大丈夫だな」


「憎まれ口って・・」


唇を尖らせたて言い返した桜が、反撃するかと思いきや、相変わらず昴の腕の中で大人しくしている。


甘えるように肩に凭れたままの彼女の事を見やって昴は小さく笑った。


やっぱり、都合を付けて来て良かったと思う。


スケジュール調整は決して楽では無かった。


それでも桜を一人にしなくて済んだ事に安堵している。


心細いとか、寂しかったとか、不安だったとか、絶対に桜は認めないだろうけれど。


必死になって意地を張るいつもの強がりな彼女の様子が目に浮かぶ。


そして、すぐ隣にいる桜とのギャップに驚いて、同時に嬉しくもなる。


「なによー?人の顔見てニヤニヤして」


見下ろす視線が甘やかな事に気づいた桜が慌てたようにホテルのロビーに視線を向ける。


何と無く、見つめ合うのがくすぐったい。


あんなキスをした後なら尚更だ。


昴は風下である事を確認して、煙草を取り出した。


ポケットからジッポを取り出したのを見つけて桜が手を伸ばす。


「貸して、火ぃ付けたげる」


「馬鹿、いらん。気安くそう言う事言うなって言ってるだろ」


桜の頭を軽く小突いて昴が火打石を擦った。


「他所では言って無いですー」


「当たり前だ、他所じゃなくて、他の人間の前で言うな」


素っ気ない一言。


昴の空の腕に腕を絡めて身を乗り出す。


反射で昴がタバコを持った手を遠ざける。


「こら、あんま寄るなよ。ドレスに匂い付くぞ」


「どうせクリーニング出すし、昴の煙草の匂いなら平気」


「・・・あのなぁ・・」


吸い込んだ煙を重たい溜息で綺麗に吐き出して昴が顔を顰める。


にこにこと回答を待つ桜の髪を無造作にくしゃりと撫でて答えを濁した。


予想外に素直なのは大歓迎だが、場所が場所だけに対処に困る。


手を伸ばせばすぐ届く場所に、最愛の相手がいるのに、どうしようもない。


無邪気なのも考えものだと思う。


外で愛想を振り撒かれないだけましかと思いつつ、自分が側に居ない時の桜の行動を勝手に想像してしまう。


桜が何処で誰と過ごそうと、一切気にならないはずなのに。


桜が誰より信頼する相手は昴で。


それは、桜と出会った瞬間から無意識に彼女の中に組み込まれたシステムの一部のようだ。


幸に対する家族の信頼とは違う、恋愛感情からくる信頼感。


桜の視線の先にはいつも自分の姿がある事を知っているのに。


それでも時々、自分の場所を確認したくなる。


桜の中にある自分の位置を確かめて安心したくなるのだ。


「一鷹にも言うなよ」


悔し紛れに言ったら、桜が瞬きをひとつしてから笑った。


「一鷹くんにも?」


だってあの人家族だよ?と付け加える桜に向かって告げる。


「それでもだ」


まだ半分程残っている煙草を備え付けの灰皿に押し付けて昴が振り返る。


ふわりと馴染みの煙草の香りに包まれた。


心地よくて目を閉じたら、向き合ったままで抱き寄せられる。


やっぱり昴の腕の中が一番安心する。


「挨拶行かなきゃだめなんでしょ?」


「そうだな」


「あたしもそろそろ戻った方がいいよね?」


時間は分からないが、冴梨がそろそろ心配しているかもしれない。


とは言っても、なかなか離れられない。


昴も同じようで、生返事をしたきり黙りこんだままだ。


桜の髪を撫でる手は相変わらず優しいから、なかなか踏ん切りが付かない。


「冴梨ちゃんも送ってやるから、呼んで来い」


「え?」


「迎えが来たから帰るって挨拶して来いよ」


「・・・」


「学生が遊んでていい時間じゃないぞ」


「まだ22時前だけど」


「我が家の門限は21時だっつって来な」


「は・・・早すぎ・・・イマドキ高校生でも門限もうちょっと遅いと思うけど」


笑った桜の額を弾いて昴が言った。


「外ウロウロしていいのは、オトナと一緒の時だけだぞ」


それから、桜の額にキスをした。


腕を解いて立ち上がると、桜に向かって手を差し出す。


「会場上だろ?送ってってやるよ」


「昴・・・」


「一人じゃ心細いんだろ?」


「大丈夫・・一人で戻れ・・」


僅かに屈みこんだ昴が、桜の顔を覗き込む。


その視線が優しいから、思わず口を噤んでしまう。


このタイミングで、狙ったみたいに微笑まないで欲しい。


「お連れしましょうか?お嬢さん」


「そ、そこまで言うならね!」


憮然と言い返して差しだされた手を掴む。


笑った昴がしっかりと桜の手を握り返した。


その手の温もりにホッとした事は内緒だ。

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