第100話 お姫様エスケープ!
来るんじゃなかった・・・
ざわめくパーティ会場を抜けだして、桜は盛大に溜息を吐いた。
何が”内輪の誕生日パーティー”だ。
額面通りの言葉と受け取った自分の浅はかさが憎らしい。
けれど何を言ってもあとのまつりだ。
唯一の味方である冴梨は、さっきから夫の取引先の社長に捕まっていた。
大学の同級生で、高校時代のクラスメイトでもある、彼女から”誕生日パーティーをするからぜひ来てほしい”と言われたのは1週間前の話だ。
同じクラスでも打ち解けた殆ど記憶は無い。
有名ホテルを経営する大会社の社長令嬢である彼女とは、住む世界が違うのだと思っていた。
きっと、名門と言われる女子高に恥じない家柄を持つ彼女にとって、中流家庭の娘は一線を画したい相手だったに違いない。
だから、挨拶は交わしてもそれ以上の交流はなかったのだ。
それが、志堂が後見についた途端一変した。
彼女にとっての友達は”同じレベルの生活水準”を持つ相手の事をいうらしい。
”両親が会社関係の人ばかり呼ぶから、話相手が全然いないの。ぜひ、いらしてね”
そう言って手渡された招待状を前に、冴梨と視線を合わせて黙り込んだ。
「篠宮の社長夫人と、志堂グループのお嬢さんが来てくれるなんて、きっと両親も喜ぶわ」
留めの一言は、二人に”辞退”の言葉を飲みこませるには十分な威力を持っていた。
彼女の父親の経営するホテルで行われたパーティーは、取引先が大勢押し掛け、話の通り若い人間は数える位しかいない。
規模こそ小さなパーティーだが、地元の有力企業の面々が顔を揃えていた。
娘のお披露目と、将来に向けての売り込みが目的とあからさまに分かるパーティーだ。
餌にされるとは思っていたけれど、初っ端の挨拶で彼女の両親に声高に志堂の後見を受けていると紹介された時にはさすがにげっそりした。
直接関係ないと言い返したい気持ちをぐっと堪える。
ここでの不要な一言が、万が一にも志堂を左右するかもしれないと思うと身動きが取れなくなるのだ。
対照的に、冴梨はずっと落ち着いていた。
婚約して1年も経つと、慣れてくるらしい。
愛想良く挨拶をしている冴梨の隣りから抜け出す。
会場を抜けても聴こえて来るざわめきから逃げるようにホテルの中庭に出た。
とても冴梨と同じ境地には至れそうになかった。
幸が見立てた濃紺のドレスから出た肩を夜風が包む。
羽織りものを迷って、薄手の藤色のストールだけにしたのだけれど、失敗だったかもしれない。
腕にかけていたそれを纏うと、ようやく息をつけた。
照明が灯された中庭は、誰もいない。
ひとりきりと言う事にホッとする。
木立と植え込みの間に小さなベンチを見つけて腰を下ろした。
冴梨に居場所を知らせるべく携帯を取り出す。
”ちょっと夜風に当たってから戻るね”
手短なメールを送るとすぐに携帯を閉じた。
手元が再び真っ暗になる。
いつもは忘れている現実を、こうやって目の前に突きつけられる度に、自分の居場所が怖くなる。
上手に目隠しされていた事に気づいて、自己嫌悪に陥る。
昴も、幸も一鷹も、志堂としての立場を一切桜に求めなかった。
むしろ、志堂の外で桜を守ろうと必死になっている。
こういう煩わしい事全てから。
「もー・・やだ」
呟くと同時に携帯が光る。メールかと思ったら着信だった。
「冴梨?」
「俺」
返って来た答えに思わず耳に当てた携帯を引き離して液晶画面を確かめる。
「昴!」
「静かだな、外にいんのか?」
「息苦しくなっちゃって中庭に抜けだしてきたトコ。昴は、今何処?」
「どこだと思う?」
「え?会社・・?」
時計が無いから分からないが、恐らく21時は回っている筈だ。
「白鳳ホテルの駐車場」
今、まさに桜がいるホテルの名前。
「え!?何で!?どうして!?」
矢継ぎ早に飛び出した質問に、電話越しに昴の苦笑が返って来る。
「そこの別会場で、志堂の分家が会社の創立記念パーティーしてるんだよ」
「そうなの?」
「ほんとは顔出すつもり無かったんだけどな」
「一鷹くん命令?」
上司命令なら渋々でも出向くしかないと思ったが、昴の答えは否だった。
「思いつく理由はそれだけか?」
「え・・?」
思いがけない問いかけに、答えに窮してしまう。
「お前な、未だに俺が動く理由はいつでも一鷹だけだと思ってるだろ?」
拗ねたような口調が返ってきた。
「なん・・で・・?だって昴が、一鷹君を大事にしてるのも知ってるし・・頼りにされてるのも分かってるし・・」
上司と部下、本家次期当主と分家筆頭なんて言葉では括れない程、2人の絆が強い事も十分理解していた。
話しているうちにこれは嫉妬だと気づいて、慌てて方向転換する。
「あ、でも、ちゃんと理解してるから。昴の仕事は本家と一鷹君達家族を守る事だし、立派な事だって思ってる。一鷹くんを支える事は、みゆ姉を支える事でもあるんだから、むしろ、あたしがお願いしたい位よ」
ちゃんと上手く言えただろうか。
ハラハラしていると、携帯越しではなく、昴の声が聴こえた。
「なんだ、面白くねェの」
素っ気ない一言と共に、昴が歩いてくる。
「なにが、面白くないのよ」
目の前までやってきた昴が、桜に向かって手を伸ばした。
前髪を撫でられて目を閉じると、指が顔の輪郭を撫でて行く。
首筋に触れた手が後ろ頭に回されて引き寄せられた。
昴が隣りに腰を下ろす気配がする。
そして、耳元に唇の感触。
「妬けよ」
「はっ!?」
反射で言い返して目を開けようとしたら瞼を押さえられた。
「俺も、たまには嫉妬されたい」
「あ、あのね、嫉妬する理由が無いでしょっっていうか、手、どけて」
「無理」
身を捩ってみるけれど昴の手は離れない。
「俺も時々嫌んなるよ」
呟いて、昴はそのまま桜の肩に凭れかかる。
ドレスの肩ひもを避けるように唇が鎖骨に触れた。
「なに・・?っや・・だ・・っ」
背中に回された腕のせいで身動きが取れない。
肌が粟立つ感触に桜が戸惑ったように昴の腕を叩いた。
「それはこっちのセリフな」
溜息交じりで呟いて、漸く昴が手を外す。
ホッと息を吐いて目を開けた桜は次の瞬間再び目を閉じる事になった。
コンマ数秒で唇を塞がれたからだ。
後ろから回された手が耳たぶを撫でて肩へと滑り落ちて来る。
非難の声を上げようとした隙に舌を絡め取られた。
流されまいと意地を張っても、逃げようとすればする程深くなる甘いキスに翻弄されてしまう。
長いキスから解放された時には、すっかり桜の体からは力が抜けてしまっていた。
「ほんっとに・・怒っていい?」
昴の肩に凭れかかって息を整える。
桜の反論には全く動じずに、昴は桜の緩く巻かれた髪に唇を寄せた。
「俺が今日此処に来たのは、お前の為だよ」
「え・・」
「いい加減分かれって」
「何を・・」
「お前が誰に一番愛されてるのか」
溜息交じりのセリフと共に額にさっきとは打って変わって優しいキスが落ちてきた。
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