第99話 昴の受難  

冷蔵庫を開けたら馬鹿みたいにカクテルやら酎ハイやらが場所を取っていた。


昴はソファでテレビを見ている桜を振り返る。


「これ・・なんだ?」


桜も成人してから酒を覚えはしたが自分から酒の類を買ってきた事は殆どない。


家でも滅多に飲まないし、外で食事をするときに付き合いで飲む程度だ。


決して弱いわけではないが、酒好きというわけでもない。


はずなのに。


「えー・・・ちょっと」


「ちょっとって・・おまえ・・・ちょっとって量じゃねーだろコレ」


そもそもこんな大量の酒をまだ免許もないのにどうやって持って帰って来たのか。


呆れかえった昴をジロリと睨んで桜が膨れ面で答える。


「ちょっとやさぐれたくなったの」


「や・・やさ・・?」


何にやさぐれるというのか?


昴は訳が分からず怪訝な顔になる。


心当たりが無いらしい彼の態度に、ますます桜の眉間の皺は深くなる。


「しらばっくれる気?」


「なにが」


「あたしが知らないと思ってたら大間違いよ。大学ってね、いっぱい色んな噂回ってくんの。聞きたくない事も、知りたくない事も」


「だからなに・・」


「悠木建設」


「は?」


飛び出した懇意の得意先の名前に


ミネラルウォーターを口にしようとした昴がその手を止めた。


悠木建設は志堂グループの本社ビルや店舗の建設、設計を依頼している大手ゼネコンだ。


昴としてはよく名前を聞く会社であるが一介の女子大生がこうも憎々しげに口にする名前としては相応しくない。


相変わらず意味が分からない昴のほうに桜が週刊誌の1ページを開いて見せた。


「社長令嬢としての顔も持つ人気モデルのお気に入りは得意先宝飾品メーカーの若手役員。深夜のパーティーを抜け出す仲睦ましい姿。この後二人は地下駐車場に消えて行った。・・油断してたんじゃないの?」


「・・・っは!?」


思わず駆け寄って桜の手から薄っぺらい週刊誌をひったくる。


遠巻めで後姿しか映っていないが確かに並んで歩く自分と悠木社長の二女だ。


けれどいつのまに。


「ガセだからな!」


昴が慌てたように否定する。


「そんなの分かってる!」


桜が怒鳴り返す。


「だったら・・」


「それでも嫌なの!」


「・・・」


「仕事の付き合いでも、どんな事情があっても」


「娘さんが酔って歩けないっていうから家まで送って行ったんだよ」


「・・あっそう」


「なんもないって」


「あったら困るわよ!」


ぴしゃりと言い返した桜にそっと昴が手を伸ばす。


「・・悪かった」


頬に触れた指はいつものように優しい。


そして、いつも以上に熱い。


その呟きに、桜が首を振る。


「なんであやまんの?」


「・・なんでって・・」


こういう時の桜は、何を言っても糠に釘。


「何もないならなんであやまんのよっ」


少し昴が口ごもっただけでこの通り。


思い切り不貞腐れる。


昴はこっそり内心溜息をついた。


正直・・疲れる。


どうやって桜の機嫌を取ろうか?


「なんでって・・・お前が怒るから」


考えながら呟いた一言。


桜がますます眉間のしわを深くした。


「あたしが怒るからって・・・!なにそれ!謝ればすむと思ってんの!?そんなのってまるで・・あたしのこと馬鹿にしてない!?」


「してねェよ」


「してるよ!」


「・・だから謝ってるだろ?」


怒らせたいわけでも、悲しませたいわけでもない。


大事にしたいだけなのに。




★★★★★★★★★★★★★



「っ・・・」


桜が表情を硬くした。


唇を噛み締めてギュッと俯く。


みるみるうちに潤んでいく瞳。


謝って欲しいわけじゃない。


こればっかりはどうしようもない。


仕方ない。


けれど、気持ちはそんなに綺麗に割り切れない。


「昴は・・悪くない・・悪くない・・・」


自分に言い聞かせるように呟く。


こんなことでグズグズ言ってやけ酒なんて情けないにもほどがある。


たまたま偶然、大学の食堂で目にした週刊誌。


うわさ好きな女子大生が好みそうな話題だ。


同じ大学内に志堂一族の娘と、篠宮の婚約者がいるのだ。


桜が写真に気づいた途端、側にいた冴梨と絢花もそれに気づいた。


そして、桜より先に冴梨が噂をしていた女子大生を睨みつけた。


そっか、怒る暇を絢花と冴梨がくれなかったから。


だから、まるで自分に関わりないことみたいに思えたんだ。


けれど、家に戻って1人になったらふと思い出して。


じっとしてられなくて、ひとりでコンビニに行って、馬鹿みたいにお酒買い込んで。


まるで当てつけみたいに。


どうしていいのか分からなくなって桜が手を伸ばす。


その手を昴が掴んで引き寄せた。


いつものように抱きしめられて、その事実にホッとする。


「ほら、何でもいいから。言ってみろ・・な」


宥めるようにポンと背中を叩かれると、込み上げて来た涙と感情が堰を切るように溢れ出した。


「お・・怒ってないし・・だけど・・昴に会ったら・・・色んな気持ち・・ごっちゃになって・・」


「不安になった?」


「ならない!」


言いきった桜がしがみつくように昴に抱きつく。


その長い髪をそっと撫でて、昴が言った。


「不安にさせたな・・ゴメンな」


「・・・あやまんの?」


泣き声で桜が問う。


「謝るよ、俺が迂闊だった、ごめん」


「・・車で送ったって・・昴の車?」


肩に額を預けたままで桜が呟く。


「車?ああ、違う。一鷹のお伴だから社用車だよ」


「・・・ならいい・・」


「いいのかよ?」


腕の中を覗きこんで桜の額に唇を寄せる。


「泣いたらスッキリした」


くすんと鼻を啜って涙が残る目尻を擦ったら、昴がその爪の先にもキスをした。


それから涙目の桜と視線を合わせて昴が笑う。


「してもいいけど?」


「なにを・・?」


室内を照らす蛍光灯が涙のせいでやけに眩しく見える。


目を閉じそうになる。


「うん?結婚」


「・・え?」


「そしたら、お前の心配も半減するだろ?」


「けど・・」


大学在学中は結婚も婚約もしないと言ったのは昴で。


「幸さんとはそうやって約束したけどな」


「でしょ?」


「けど、いいよ。約束反故って、一鷹と幸さんから睨まれても」


「みゆ姉・・けっこうしぶといよ?」


「知ってる」


笑って昴が桜の唇に軽くキスする。


乾いた唇が離れて、少し寂しく思う。


「けど、それでお前が泣かないならいいよ、別に」


「っ・・」


思わず息を詰めた桜の唇に二度目のキスが落ちてきた。

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