第98話 シュークリームの行方

「みゆ姉が、お菓子作り失敗するなんて、珍しーね」


仕切りに首を傾げる桜の手に、籐のバスケットに入ったシュークリームを渡しながら、幸は曖昧に微笑んだ。


「ちょっと、ぼーっとしてたみたい」


玄関先まで出迎えてくれた志堂夫妻は、仲睦まじい笑みを浮かべている。


一鷹が穏やかな笑みのままで付けくわえた。


「俺が機嫌損ねちゃったみたいでね」


「え、ケンカしたの?」


「ち、違うわよ、さぁちゃん!」


慌てて首を振った幸の手を握って一鷹が意味深に笑う。


「さっき、仲直りしたから大丈夫」


「・・・・なんだか物凄くお邪魔しちゃった感じするんだけど」


「全く全然そんな事無いわよ。ほんとよ!」


慌てて否定する幸と、答えない一鷹。


恐らくその無言は肯定という事だろう。


桜は、即座に回れ右をした。


「ごめんね!バスケットはまた返しに来るから!お邪魔様ー」


「さぁちゃん、お茶位飲んで行ったら?」


引き留める幸を振り返って桜が首を振る。


「昴が車で待ってるし、今日は帰るよ。ふたりでごゆっくり」


にこりと笑ってドアを開く。


「浅海さんによろしくね」


「はーい」


見送りもそこそこに、ドアを閉めて桜は足早にエレベーターに向かった。


エントランスを出ると、ハザードを焚いている昴の車に乗り込む。


「お待たせ」


「早かったな」


「二人の時間を邪魔しちゃったみたいで、急いで帰って来た」


「へー・・・タイミング悪かったな。出すぞ」


「はーい」


苦笑いした桜が、膝に載せたバスケットに掛けられていたペーパーナプキンを外す。


「膨らんでないけど、見た目そんな悪くないじゃん」


ドライブ途中に家に寄るようにと連絡を受けたのだ。


帰り途で寄る事にしたのだが、タイミングが悪かったらしい。


手のひらサイズのシュークリームを一口齧った桜が、笑みを浮かべる。


「美味しい」


「どれ」


「食べる?」


差し出した桜の手にあるシュークリームに齧りついた昴が、頷く。


「うん、美味いな」


「ね。何か、みゆ姉が機嫌悪いままで作ったから、膨らまなかったんだって」


「んで、仲直りしたって?」


「そうみたい」


「ふーん、まぁ、間違いなくお前に邪魔されたんだろうな」


「え!」


インターホンを鳴らしてから、1階エントランスのオートロックが開くまでに時間がかかったのは、そういう事情なのかと思い出して顔を赤くなる。


「いーんじゃねェの?こっちも邪魔された訳だし」


呟いて昴がチラリと桜を横目に見て笑う。


その視線を避けるように、桜が俯いた。


「邪魔って・・・もう何でそういう事言うの!?」


「事実だろ?」


「知らないっ」


フイっと背けた桜の頬に昴が指を滑らせる。


冷めた筈の熱が蘇って来て、桜が視線を泳がせた。


膝に置かれた手を包み込むように昴が自らの手を重ねる。


この手に、どうしようもなく自分を乱された事を思い出すと、桜は逃げ出したくなった。





★★★★★★★★★★★★★




夕飯は外食ですませる事にして、馴染みの店を予約した。


いつもなら、個室でのんびりと二人きりの食事を愉しむのだが、タイミング悪く個室が開いていなかったのだ。


半個室の座敷で、和食をコースを食べて車に戻ると、さっきまでの鬱憤を晴らすかの様に、昴の手が伸びて来た。


店の地下にある駐車場は、薄暗く人目にもつかない。


それでも、いつ人が来るか分からない状況で抱き締められて、大人しくしておける訳が無い。


助手席に押し付けた桜の体を、昴の手が服の上からラインを確かめるように這う。


「ちょ・・・っ」


首を振って身を捩る桜を、いとも簡単にねじ伏せて、昴は唇を重ねる。


「さっき我慢しただろ」


あっさりと言い返されて、唇が首筋に触れれば、桜は吐息を漏らすしかない。


店内だし、半個室だし、我慢するのは当たり前だと思うのだが。


それでも、いつもの個室なら、キスのひとつやふたつは、していた。


でも、この状況を押し切らせる訳にはいかない。


昴のキスは巧みで甘い。


迷う桜の理性を振り切ってしまう位に、濃密で蕩けそうになる彼の熱。


桜の項を撫でる指は、柔肌を求めて彼女のワンピースの上に羽織っていたカーディガンを肌蹴させた。


肩から滑り落ちるカーディガンが肘で溜まる。


むき出しになった桜の白い肌に昴が唇を寄せた。


吸いつくように強く触れる。


肩に二の腕に下りて行く唇の熱に囚われて、桜は言葉を紡ぐ事も出来ない。


「桜・・・っ」


「っ・・・」


昴の硬い黒髪が桜の肩口を擽る。


昴の唇は留まる所を知らない。


桜が声を上げる場所を的確に攻めて来る。


顔を背けてこみ上げる快感をやり過ごそうとする桜の唇から零れるのはあえかな吐息だけ。


「っ・・・ぁ」


「こっち向け・・桜・・」


頬にキスした昴が桜の顎を引き寄せた。



見つめ合う昴の視線は、桜を求めて焦がれている。


近づいてくる唇を受け入れてしまえば、逃げられない事は判り切っていた。


絡めていた指を解いても、桜は抵抗しなかった。


昴が啄ばむようなキスを繰り返しながら、徐々に角度を変えてキスを深くしていく。


歯列を割って舌を差し入れられると、素直に桜が応えた。


甘やかなリップ音が車内に満ちる。


「ん・・・っ・・・ん」


昴の髪を撫でる桜の手が、昴の理性を押しやる。


胸元に結ばれていたワンピースのリボンを解いた昴の指が、一つ目のボタンにかかった。


さすがにこれ以上はマズイ。


止められなくなる。


それでも、桜から漂う甘い香りは、昴を引き寄せて止まない。


「す・・・昴、待って」


「無理だ・・」


桜の弱々しい抵抗虚しく、昴の指はボタンをあっさりと外して見せた。


開いた胸元に昴が顔を埋める。


暗闇の中で白く映る柔らかな感触を愉しむように昴が唇で触れた。


「ぁっ・・ん」


身を捩らせた桜の指先を捕えて昴が更に自由を奪う。


「もーちょっと・・・な?」


「ちょっとじゃ・・・ない!」


必死に言い返した桜を見上げて昴がチラリと笑う。


と、車内に着信音が響いた。


「あ・・・電話」


「ほっとけよ」


昴の言葉に桜が首を振って体を起こそうと試みる。


が、体格の差で少しも身動きが取れない。


「駄目!この音みゆ姉だもん!」


なら尚更ほっとけ、と言おうとしたが、桜が尚も言い募る。


「何かあったのかもしれないしっ」


「ったく・・・」


呆れ顔で呟いて、後部座席に手を伸ばした昴が桜のカバンを手繰り寄せる。


鳴り続ける携帯電話を桜に手渡してやった。


ホッとしたように桜が通話ボタンを押した。


「あ、もしもし?みゆ姉?」


桜が話し始めるのを他所に、昴が彼女の頬にキスをする。


ギョッとなった桜がすぐに睨み返してきたが知った事かと言い返す。


「後で覚えとけよ」


「なっ!え、何でも無い、うん。シュークリーム?作ったの?すごーい!食べたい。今から取りに行っていい?」


慌てたように話し続けながらボタンを留めた桜が、リボンを結ぼうと視線を胸元に下ろして、そこで声を上げた。


「あー!」


赤く咲いたキスの痕に桜が仰天して真っ赤になるのを横目に、少しだけ溜飲が下がった昴は車を発進させたのだった。

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