第108話 刻印を刻む

「これ、来週の俺のスケジュール」


差し出されたA4用紙を受け取って桜はざっと目を通す。


そして盛大な溜息とともにそれを昴に差し戻した。


「はい、ご苦労様」


「待て、他に言葉ねーのかよ」


「言葉なんてないわよー。年末まで休みなし、頑張って働いて頂戴。馬車馬のよーにね」


「ちょ・・・お前な・・・桜、俺に対する愛情のかけら位見せろ」


「どーやってよ?」


綺麗に埋め尽くされたタイムスケジュール。


この通り昴が動けば丸3日は会えない。


全国の主要取引先会社に年末の挨拶周り。


その合間を縫って分家と年始の志堂本家の新年会の打ち合わせ。


そして、忘年会の数々。


下手すれば5日はホテルで過ごすことになる。


桜とて暇ではない。


広い我が家の大掃除、レポートと学科。


バーゲンに年始の初売り。


冴梨たちとの忘年会。


両親のお墓参り。


幸と年末の買出し。


ネクタイを緩めながら昴が笑う。


「考えな」


「嫌よ」


プイっとそっぽ向いた桜の腕を掴んでソファに引っ張り込む。


上から見下ろされて、少し怯むが負けない。


キュッと唇を引き結んで昴を睨み返す。


「強気なのはいいけど・・」


ネクタイから指を外した昴が桜の顎を捕える。


仰のかせた彼女の額に唇で触れる。


桜の持つ体温は、いつも昴を穏やかにする。


そしていつも彼を満たし、焦がす。


昴に目を合わせて桜が言った。


「寂しいのはあたしなんだからね」


「・・・」


零れた言葉に昴が満足げに頷く。


そして唇にキスを落とした。


「よくできました」


「あっ・・なにその偉そうな態度・・」


文句を言おうとした桜の唇を再び塞いで今度は長めのキスになった。


最初は不満げだった桜の唇がやがて答えて昴に甘えるように腕を伸ばす。


欲しかった反応が返ってきて満足した昴が唇を離す頃には桜の頬は長いキスのせいで上気していた。


スーツを脱ぎかけた昴の腕を叩いて桜が止める。


「っ・・や」


「なんで」


「スーツ、皺になる」


「・・他に言う事ねェのかよ」


呆れたように昴が言って身を起こした。



★★★★★★★★★★★★★



桜を起こさないように、そっとベッドから抜け出した昴の気配に気づいたのは午前6時の事。


桜は重たい瞼をこすってベッドに起き上がる。


まだぬくもりが残る上掛けは、彼が起きてさほど時間が経っていない事を注げている。


「何時・・・?」


寝ぼけ眼で携帯で時刻を確かめてそれから慌ててベッドを飛び出す。


締めきったままのカーテンの向こうの空の様子は見えない。


キャミソールだけの肩が寒くてそばにあったブランケットを巻きつける。


昨夜眠る前に昴が出かける時間を話してくれた。


けれど、眠気が勝って記憶に残っていない。


昴に抱きしめられると、思考が止まる。


何も考えられなくなる。


温もりが心地よくて、ただただ甘えたくなる。


そんな事を思ったら、今日から3日間離れ離れなのに、不安になる。


もっと抱きついとけばよかった。


そんな風に思って、自分の思考にびっくりする。


「いや、もう十分だから」


慌てて蘇ってきた昨夜の記憶を払しょくするように足早に階段を降りる。


と、ちょうどリビングを出てきた昴が気づいた。


「起きたのか?」


「うん、もう行くの?」


桜の言葉に頷いて昴が手招きする。


抱きしめてくれるのだと思って足早になる自分が悔しい。


肩からずれたブランケットで桜をくるみこむように昴がぎゅっと抱きしめた。


「まだ早いぞ。陽も昇って無い」


「・・ほんとだ・・」


昴の肩越しに廊下の小窓の外を確かめる。


寝癖の残る桜の髪に頬を埋めて昴が言った。


「今日は・・冴梨ちゃんたちと忘年会か?」


「うん。ガーネットでケーキパーティー」


「楽しそうだな」


「VIPルーム開けてくれるって、亮誠さんが」


「あいつ・・冴梨ちゃんに甘いからな。夕方からだろ?もーちょっと寝とけよ。睡眠時間5時間切ると、お前すぐウトウトしだすだろ?」


「んー・・・あたし、昨日何時に寝た?」


「2時半・・くらいか?」


「そう・・あたしが寝た後で出かける準備したの?」


「そーだよ」


昴の言葉に頷いて、欠伸をした桜の顔を覗きこんで昴が笑う。


「だからもーちょい寝ろって」


「お布団冷たいもん」


「俺のベッドで寝りゃーいいだろ」


一緒に眠る時は主寝室が多いのだが、昨夜は昴の部屋になっている書斎で眠ったのだ。


けれど、桜は首を振る。


「ひとりで寝るの嫌だからいい」


「・・・」


基本は強がり。


けれど、時々驚く位素直になる。


出かけ際にこんなに可愛いと困る。


手離すのが惜しくなる。


抱きしめた腕に力を込める。


「くるしいよ・・」


桜が困ったように笑った。


「ぬいぐるみ抱き枕にしな」


「・・・」


不貞腐れたように黙り込む桜の耳たぶにキスをして昴が笑う。


「ぬいぐるみじゃ足りないか」


「も・・もうっ」


俯いたまま昴の背中を叩く桜の髪を撫でる。


「電話する」


「電話出来ないならメールして」


「分かった」


「ホテル着いたとか1行じゃないやつね」


「何書きゃいーんだよ」


「ご飯何食べたとか・・寂しい・・とか」


「書けるか」


溜息交じりに昴が言って肩口を覆うブランケットを少しずらした。


薄着のキャミソールから覗く鎖骨に唇を寄せる。


「な・・何っ?」


いきなりの事に桜が慌てたように声を上げた。


けれど、昴は離れない。


温もりを確かめるように触れた唇がやがて


刻印を残すように強くなって熱を伴った痛みが走る。


良く知っている感覚。


昴は気まぐれにこうして桜の体に痕を残す。


冬場のこの時期はまだいいが夏場は困る。


油断して冴梨たちに指摘されることもしばしばなのだ。


「よし、ついた」


唇を話した昴が浮かび上がった赤い痕に満足げに頷いた。


「ちょ・・」


桜自身では確かめようのない位置。


「3日間は消えないな」


そう言って昴が困惑気味の桜の唇に行ってきますのキスを落とす。


「じゃーな。戸締りちゃんとしろよ」


その言葉に我に返ったように桜が言った。


「き・・気をつけてね!」


その言葉に昴が頷いて桜から離れる。


残った温もりと刻まれた刻印に触れて桜は小さく呟いた。


「いってらっしゃい」

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