第107話 恋紅(コイクレナイ) 

「ごめん、桜」


帰って来るなり免罪符のガーネットの紙袋を差し出して昴は両手を合わせた。


ガーネットのお得意様専用の上品なシルバーグレーの光沢が鮮やかな紙袋。


中身は昴が特別に頼んだであろう


桜の好物のケーキたちがずらりと並ぶ。


その紙袋を受け取ろうかしばし躊躇して桜は問い返した。


これを受け取ったら、なんだかヨロシクない気がする。


「なにが?」


「・・・」


「謝る様なことしたの?」


これではまるで浮気を問い詰める妻のようだ。


昼間に見たドロドロ愛憎劇の昼ドラを思い出す。


けれど、言ってしまったものはどうしようもない。


不貞腐れたままの桜にチラッと視線を送って昴が溜息交じりに呟く。


「イブ仕事入った」


その一言に桜はポカンとなる。


「今更でしょー?平日だし。あたしも大学行かなきゃだから・・」


そこまで言って桜が、昴の顔を見返す。


そして、気づいた。


「あー・・もしかして・・夜も?」


「悪い。取引先のクリスマスパーティーにどーしても顔出さなきゃなんねんだ。帰るのー・・」


「日付変わっちゃうとか?」


恨めしげに言われて昴が言葉に詰まる。


自分とて嬉々として参加するパーティーではない。


大人の事情とゆうやつだ。


それをイチイチ桜に説明するのも違う気がして黙り込む。


どちらにしても、イブの夜に桜を1人にすることに変わりは無い。


理由がなんであれ結果がこれなのだ。


非難は甘んじて受け入れるつもりでいた。


だから、とりあえずの免罪符として忙しい最中時間を取ってわざわざ亮誠に頼み込んでケーキを準備させたのだ。


毎年イブに買って帰っていたケーキも今年は贈れそうにないから。


せめてもの償いの気持ちというやつだ。


堪え切れなくなって、結局昴の手に残ったままの紙袋はダイニングテーブルに置いて空になった手で桜を抱き寄せる。


「たぶん午前様かな」


「やっぱりー」


「だから、先にケーキ一緒に食べようと思ってな。とりあえずお前の好きなの一通り買って来たから」


本当にほしいものは・・・


「ケーキじゃないのに」


呟いた桜の言葉に昴が笑う。


「ケーキもいるだろ?」


「一緒に居てくれるならね」


ガーネット一押しのケーキも肩なしだ。


昴が腕の中の桜を見下ろして呟く。


「珍しく素直だな」


「珍しくってなによ」


「いや・・いつもそーならいいのに」


「いつもこんなだったら困るでしょ?」


「なんで?」


「だって、あたしが甘えただったら昴ずっとあたしの心配してなきゃなんないでしょ?」


「・・ちょっと待て。それは誤解だと思うぞ」


背中に回された手が離されまいとするように昴のスーツをぎゅっと握る。


桜の気持ちは言葉よりもこういう態度のほうによく出る。


けれどそれを指摘した事は無い。


言ったが最後桜が甘えなくなる事が分かっているからだ。


無意識にでも、桜が甘えてくれることが嬉しい。


幸に甘える時とはまた違う一面がある事は昴しかしらない。


「何が違うのー?」


髪を梳く指が心地よくて目を閉じていた桜が問いかけす。


昴がため息交じりで言った。


「お前がしっかりしてても、しっかりしてなくて心配はする。ちゃんといつも考えてるよ」


ふとした時、一番に浮かぶのはやっぱり桜の事で。


彼女に会うまで、昴にとって一番の存在はいうまでもなく一鷹だった。


他に選びようもない。


自分が生涯かけて力を尽くして支えると決めた相手だ。


一鷹の幸せだけが昴の願い。


一鷹のことだけが気がかり。


それがずっと続いて行くと思っていたのに。


突然目の前に現れた桜は、あっという間に昴の心をさらっていた。


本人も気づかないうちに心のずっと奥まで。


そして、胸の奥で留まってずっと昴の心を支配する。


今なら何と無く”ハートが赤”な理由が分かる気がする。


心に火が灯る感覚が、おぼろげながらも分かるからだ。


「お前は俺を仕事一辺倒な男だと思ってんだろーけど・・」


「だって、一鷹君が一番じゃない」


「・・そうでもねーよ」


困ったように呟いて桜の髪にキスをひとつ。




★★★★★★★★★★★★★




数年ぶりのホワイトクリスマスに色めき立つ街。


当然クリスマスパーティーに呼ばれたのは昴だけではなかったので、幸と二人でクリスマスパーティーをして21時には自宅に戻ってきた。


心配した幸が泊まって行ってもかまわないと言ってくれたけれど。


昴が家に戻るなら、やっぱり家で待っていたいと思った。


「それこそ朝方になるかもしれないし。ひとりで平気?」


「だーいじょうぶだってば」


タクシーまで見送りに来た幸に手を振ってはみたものの。


家に帰ってリビングでひとりテレビをつけると心許ない寂しさが忍び寄って来る。


賑やかなクリスマス特番。


ロマンチックな恋愛映画。


「映画は・・却下」


とりあえず賑やかな方を選んでソファで丸くなる。


昴は何時になるとは言わなかった。


言えば、桜が期待して待っていると思ったからだ。


けれど。


「言われなくても待つってーの」


クッションを抱えてうずくまる。


去年はちゃんとクリスマスしたっけ。


ふたりでケーキ食べて、デートして。


いかにも恋人同士のクリスマスだった。


でも、ひとりになって、思う。


別にクリスマスだからって特別に何かしなくてもよかった。


一緒に居れたらそれで良かったのだ。


今更気づくなんて。


小さくため息をついて目を閉じる。


昴が言わないのなら、自分が言えば良かった。


"何時でも待ってる"


肝心な時に素直じゃない自分が恨めしい。





☆★☆★



人の気配がして、ひんやりとした空気が近づいてきたと思ったら、急に膝に重みがかかった。


そして冷たい指が頬に触れる。


「っ!」


「起きたか?」


「す・・すばる!」


膝枕状態でこちらを見上げて来るのは紛れもなく昴だ。


「急いで帰ってきたよ。ギリギリセーフ」


そう言って左手の腕時計を指差す。


時計は11時57分を指していた。


「ほんとだ」


笑った桜に安心したように昴が目を閉じる。


「ちょっとだけ寝かせろ」


「え・・疲れてるでしょ、部屋行きなよ」


「ここでいーよ」


「・・おかえり・・おやすみ」


何も言えなくなって桜は昴の冷たい髪をそっと撫でた。


「急いで帰ってきてくれて・・ありがと」

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