第106話 ホワイト×チョコ 

車が停車すると同時に、大急ぎで降りようとした桜を、昴が引き留めた。


待っとけ、と短く告げて、先に車を降りる。


ワイパーが止まったフロントガラスには、後から後から雪が舞い降りてくる。


数年ぶりの大雪に見舞われた町は、一面の銀世界。


幼い頃から慣れ親しんだ町が、今日は別の顔を見せている。


不思議な感覚でそれを眺めていたら、助手席のドアが開いた。


「ほら、降りて来いよ」


ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、差し出された右手。


桜が濡れないようにと差し掛けられた大きな傘。


なんでわざわざこんな雪の日に買い物に行くんだよ・・・


数十分前まで思い切り顰め面していた人と同一人物とは思えない。


優しいね、と言えば、馬鹿、とか言って怒るに決まっているので黙っておく。


昴は志堂を地で行く男なので、一鷹同様にフェミニストだ。


が、見た目も仕草も上を行く一鷹の影に隠れてあまり知られていない。


こうして悪天候の日には、迷わず傘を差し掛けることも。


そういう昴を独占していると思うたび、ちょっとした優越感に浸ってしまう桜なのだが。


「雪に見惚れてんなよ、転ぶぞ」


いつまでも降りようとしない桜にしびれを切らした昴が、桜の腕を引いた。


「あ、ごめん」


慌てて車から降りる。


大粒の雪が傘に当たってパラパラと弾ける。


べちゃっとした牡丹雪で無い事がせめてもの救いだ。


「どうせなら、明日の分も買い物しろよ」


この様子だと明日も積もるぞ、と昴が告げる。


「はいはい。そうしますー」


「で、何買うって?」


「美味しいチョコの材料」


「・・・」


色々言いたいことはあるけれど、黙っておくことにする。


そんな表情で見つめられて、桜がぴっと人差し指を立てた。


真面目な顔で昴に向き直る。


「昴に食べて欲しいから、作るのよ」


「わーかってるつの」


「駅前だし、一人で行くって言ったのに」


「こんな天気の日に一人で行かせるかよ」


「・・・トッピングのリクエストなら受け付けるけど?」


照れ隠しで尋ねたら、昴が桜の肩を抱いた。


「はいはい、いいから、行くぞ」


「ホントはちゃんと考えてたのよ。トリュフ!」


前日に材料も準備して、レシピも確認済みだった。


が、深夜見たテレビのせいで、どうしてもフォンダンショコラが食べたくなったのだ。


悩んだ結果、急遽予定を変更することにした。


深夜2時の出来事。


翌朝、大雪の中買い物に行くから、と言い出した桜に唖然としつつも、付き合う以外の選択肢が無かった昴だ。


バレンタインだからといって、別段チョコはいらない、なんて言える筈も無い。


お姫様の仰せのままに、ご希望のスーパーまで車を走らせることになった。


「呆れた?」


店内を回りながら、桜が尋ねる。


さすがにいつも忙しい昴を朝から引っ張り回して、罪悪感を抱かないわけがない。


「なにが?」


「朝から振り回して・・・」


「いいって、俺が好きでやってんだ」


昴が言葉と同時に桜の髪を優しく撫でた。


素っ気ない言葉を綺麗に補って、あまりある優しい触れ方。


この手が好きだな、と何度も何度も思う。


名残惜しそうに髪を離れた手が、桜の頬を包んだ。


体温が高い指先が、桜の唇をなぞる。


息を呑む桜の表情をつぶさに見つめた昴が、満足げに息を吐いた。


自分の指先ひとつで桜が表情を変えることが嬉しくて堪らない、そんな顔。


「そーかもしれないけど・・・今日休みだったし」


平日の多忙さを知ってる桜としては、申し訳なくないわけがない。


「目の届くとこに置いときたんだよ」


「・・・」


思わず漏れた、そんな感じの昴の一言。


瞬きを繰り返す桜の表情がみるみる赤く染まっていく。


大したことない一言なのに。


物凄く重要な一言に思えて。


「俯くなよ」


どうしてよいか分からずに視線を下げた桜の耳に、呆れた様な昴の声。


「聞き流せって」


離れた指が、桜の手を包み込む。


照れくささが電線したのか、昴の頬も心なしか紅い。


「それは無理!」


「・・・珍しく早起きしたから、まだ頭回ってねぇんだよ」


言い訳のように昴がぼやいた。


「だから、なによ」


「だから、つい・・・」


紡ぎかけた言葉を止めて、昴が桜の顔を覗き込む。


躊躇うみたいに、何度か視線を巡らせてから、もう一度桜を見つめた。


強い視線に、桜の方が緊張して、指先が強張ってしまう。


待つこと3秒。


昴が溜息と共に吐き出した言葉。


「本音が、出た」


物凄く嫌そうな声とは裏腹に、やっぱり絡めた指は優しかった。

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