第81話 ひとりにしてごめんな

「ごめん、遅くなった!桜・・・」


飛び込んだリビングで膝を抱える桜を見て昴はタイミングを間違えた事を知った。


が、今更もう遅い。


桜は怒り心頭モードだし、到底冷静に話し合いなど出来ない。


が、再び外出するわけにもいかない。


「・・・・オカエリ」


短く呟いた後、桜は視線をテレビに戻す。


「ただいま・・・悪かった」


ここは素直に謝るしかない。


帰ると言ってから2時間。


駐車場に下りる手前でアクシデントが発生した。


分家の重鎮の1人が倒れたと連絡が入ったのだ。


そのまま病院に向かい、必要な手続きを済ませていたら、桜に連絡を入れる余裕が無かった。


「悪かった・・」


「いい。聞いてる。みゆ姉から連絡来たから」


先に家に戻っていた一鷹も、急きょ呼び出されたのでフォローが入ったらしい。


不安な思いをしていなかった事だけはほっとする。


が、自分の帰りが遅くなったことに変わりは無い。


しかも、連絡を入れなかったことも事実だ。


「そうじゃなくて・・」


ため息交じりに桜の隣りに腰を落とす。


上着を脱ごうとして、面倒になりネクタイだけ緩めることにする。


相変わらず膝を抱えたままの桜の肩を抱き寄せた。


桜が顔を上げる。


ソファに載せていた膝が降りて彼女の体が傾いた。


それを受け止めて昴が続ける。


「ひとりにして悪かった。ごめん」


「だから、みゆ姉から聞いたってば。志堂の家で大変なことがあったからって。ちゃんと分かってる。それを言えばいいでしょ?昴が悪いわけじゃないし。あたしだってそんな聞きわけ悪い子供じゃないよ。帰りが遅くなった位で目くじら立てて怒ったりしない。あたしをなんだと思ってんのよ」


「・・怒ってるくせに」


呟いたら、桜がじろっと昴を睨みつけた。


「それは、昴が言い訳しないから。志堂の家で何があったって話してくれたらあたしはいつだって・・ちゃんと・・ちゃんと訊くのに」


「お前が話聞くのは知ってる。馬鹿みたいに聞きわけいい事も。ひとりで寂しかった事も。そのくせ文句言えない事も」


「だったら言えばいいでしょ?言い訳してよ」


すでに桜のそれは言い訳を聞く体になっていた。


それなのに、昴は優しく桜の髪を撫でる。


そして黙ったままだ。


「なによ」


沈黙に耐えかねて桜が口を開いた。


本当はこんなつもりじゃなかったのだ。


帰ってきた昴を捕まえてどういうつもりだと怒鳴ってやる予定だったのに。


飛び出すはずの昴の言い訳は一言も聞こえてこなかった。


なんであたしの方が弱くなってんのよ。


『電話位できたはずでしょ!?』


とう食ってかかるつもりが


素直に謝られてしまっては考えた決め台詞も出てこない。


桜のやり場のない怒りは少しずつ冷えて隠していた”さみしかった”とか”心細かった”とかを露わにする。


一鷹に召集がかかった直後、気を利かせた幸から連絡があった時、一番に思ったのは”事故じゃなくて良かった”だった。


桜は両親を自動車事故で亡くしている。


奇跡的に生き残った桜が一番怖いのは”行ってくるよ”と言ってそれきり”ただいま”が聞こえてこないことだ。


当然のように繰り返されると思っていた毎日がある日突然プツンと途切れてしまった。


だから、昴がどんなに遅くても起きて待ってしまう。


”先に眠っていい”と言われてもなぜだか出来ないのだ。


どうしてもリビングで時間を潰してしまう。


そして、そのうち待ちくたびれて眠ってしまう。


そういうのは良い。


自分からベッドに入って”待たない”という姿勢を取る事が怖いのだ。


ああ、この子は一人で眠れるんだと神様が知ったら昴のことさえも連れて行ってしまうのではないかと思ってしまう。


口にするも怖いから、いつもなるべく考えないようにしている。


幸から話を聞いた時、胸の中の不安は消えてそして、代わりに生まれたのは怒りだった。


連絡が無かったことへの怒り。


帰って来ない昴への怒り。


どうしようもない現実への怒り。


怒っていないと、泣いてしまいそうだった。


「い・・言い訳ひとつもきけないような狭量な女だと思ってんの?」


尚も食ってかかった桜の額に唇を寄せて昴がそのままの距離で囁く。


「だから、思ってないって」


「じゃあ・・」


「言い訳はしない。そうやって決めてるから。お前の前で仕事と志堂の事を言い訳にしない。

だから、ごめん、謝るよ。機嫌直せ」


「・・・な・・なに・・・オトナぶってんの・・」


じわじわ浮かんできた涙を堪えるように桜が首を振る。


そんなこと言ったって許さないって思ってんのに。


理不尽な怒りは冷えて、どんどん胸の奥に沈んでいく。


代わりに鼻の奥がツンとなった。


ヤバイ泣く。


「そりゃーお前よりオトナよ」


「そんなの知ってるわよ!」


負けじと言い返したら、同時に涙腺が決壊した。


やれやれと呟いた昴が桜の涙を拭ってやる。


「だったら遠慮せず泣いとけ」


「怒ってるのになんで泣かなきゃなんないのよ!あたしはねえ!喧嘩するつもりで待ってたのにっ」


「うん。悪かった」


「これじゃあ・・喧嘩になんないでしょ」


「うん」


頷いて桜の髪を撫でる昴が優しく言った。


「けど、喧嘩はくたびれるからやめような」


「なんでよっ・・あたしの怒りはどこに持って行ったらいーのよっ」


「この期に及んでまだ怒る気力あんのか?」


「何よっ・・」


結局泣きじゃくって言いたい自体分からなくなってしまった桜を抱きしめて昴が続ける。


「俺が謝ってるのは、桜を不用心に1人で待たせた事に対してだから。だから、お前も一人で心細かったって泣けばいいよ。そしたら、すっきりするだろ?」


浅海昴と一緒にいることは”志堂”との関わりを認めることだ。


しがらみも、しきたりも総て認めて受け入れるということだ。


だから、本当は怒れない事を桜も知っていたし


そういう理由づけで自分を納得させようとするであろうことを昴も分かっていた。


けれど、気持ちはどんな簡単には納得しない。


不安は残るし、寂しさは消せない。


だから。


「桜、ひとりにしてごめんな」


そう言って昴は桜の背中を優しく撫でた。

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