第93話 背伸び   

大学の入学祝に一鷹夫婦から貰ったノートパソコン。


桜仕様のピンクのそれは、彼女の大のお気に入りだ。


レポートや論文なんかも必ず愛用のパソコンで作るし、最近は冴梨ちゃんたちと大学のサークルのサイトなんかも作っているらしい。


携帯片手に制服来てはしゃいでいた頃の桜から随分と成長したもんだ。


ネットを繋いでやっただけでも、キャーキャー騒いでいたのに。


今ではすっかりパソコンを使いこなして買い物までこなしている。


その愛用のパソコンを抱えて彼女が部屋に籠ったのは夕方の事。


レポートがあると言っていたのでその間に持ち帰りの仕事を片づけることにした。


次の会議で決議予定の展示会のコンセプトについての報告書を纏めなくてはならない。


副社長から頼まれた別件の案件と分家の仕事もある。


正直言って時間がどれだけあっても足りないような状況だ。



2時間ほどでひとまずひと段落ついた。


書類を束ねて、メールを送信した後で部屋を出る。


午後19時半。


夕飯は外に行くと決めてあるので頃合いを見計らって桜の部屋に向かう。


「さーくらー・・夕飯」


ノックと共にドアを開けるとノートパソコンを前に、なぜか洋服の上から帯を巻き付けた桜が

驚いたように振り向いた。


「あ、もうそんな時間?」


「何してんだ、それ」


「浴衣の帯の練習・・」


「浴衣ぁ?」


そう思ってみれば梅雨明けは目の前だ。


地方情報誌でも、花火大会の特集が組まれていた。


7月、8月はイベント目白押しだ。


「そんなもん、お袋に頼めばいいだろ」


喜んで着飾ってくれるに違いない。


あの夫婦はいつだって桜を構いたくて仕方ないんだから。


「そりゃーそうだけど・・」


歯切れの悪い桜に向かって2つめの提案。


「おふくろが気ぃ使うなら、幸さんにでも頼めよ」


一鷹の妻であり、桜の従姉でもある彼女になら、桜は遠慮なく甘えられる。


家族同然で暮らしてきたのだしずっと気兼ねもなく頼めるだろう。


けれど、桜の表情は未だ暗い。


・・・いや、違う。


拗ねてる・・・


「ん?そーじゃなくて?」


膨らませた柔らかい頬を突く。


ぶすっと唇を尖らせて桜が言った。


「誰かに頼むんじゃなくって・・ちゃんと自分で着たいの」


「・・・ふーん」


着るのも大変だし、洗うのも面倒そうな浴衣を嬉々として着たがる女心というやつは俺には到底理解しがたい。


が、浴衣を着て出かけたい気持ちは分かる。


というか、浴衣を来た彼女を連れて歩きたいという気持ちなら理解できる。


「自分で着れたら・・・花火大会だけじゃなくって、お祭りも浴衣着て出かけられるし・・・」


そう言って視線を逸らした桜。


その表情から言わんとしていることは十分に理解できた。


必死に平静を装うその様子が可愛くて思わずこみ上げてきた笑いを必死に堪える。


さも興味なさげな風を装って腕を組む。


「それ、誰と行くんだ?」


昔から桜が使っていたというアイボリーのチェストに凭れて問いかける。


枕元には今も無くなった両親の写真が飾ってある。


すぐ隣には、一鷹たち夫婦と一緒に4人で取った本家での花見の写真が並ぶ。


桜が一番大切にしている思い出。


それと同じ位に大事されていることが


素直に嬉しい。


「・・・そ・・・それはー・・・冴梨たちとも行くし・・・」


聞こえてきたのはしどろもどろの返事。


「冴梨ちゃんたちと行くのかぁ」


「・・・・冴梨たちとも行くけどっ。み・・みゆ姉とも行くしっ・・・それに・・・」


「それに?」


「・・・昴も一緒に行ってくれるでしょ?」


おそるおそるこちらを見上げてきた桜が俺の顔を見て眉を吊り上げた。


「わっわざと言わせたでしょ!!」


やばい。


笑っているのに気付かれたらしい。


今更シラを切るのもおかしいので開き直ることにする。


「だったらどーする?」


「性格悪いっ!」


「そーゆうこと言うかぁ」


伸ばした指で桜の額を弾いたら何すんの!と睨み返された。


強気な視線そのままで挑むみたいに桜が告げる。


「だって、あたしがどうしたいかなんて一番昴が分かってるでしょ!!」


「・・・」


咄嗟に言葉が出なかった。


「な・・・なによ・・」


言い返されると思っていたらしい桜がたじろいだ様子でこちらを見返して来るう。


たまに、こうやって急に大人びるんだよなぁ・・・


度肝を抜かれると言うか・・・


桜が手にしていた赤い帯を解いてベッドに放り投げる。


空になった手で彼女のことを抱きしめた。


桜が開きっぱなしのノートパソコンでは浴衣の着つけ方法が動画で流れている。


「子供だ子供だと思ってたのに・・」


いつの間にか、なんでも自分で出来るようになるんだよなぁ・・・


なんとなく寂しい気がしてしまうのは俺のエゴだよな・・


俺の発言に桜が眉根を寄せる。


「あ、失礼ねー。もう20歳だし、お酒も飲めるし大人ですー」


「背伸びしてるって思ってたのは俺だけかぁ・・・」


「え・・背伸びしてる?」


肩に凭れながら桜が問い返して来る。


「いや・・・」


短く返してから彼女の耳たぶにキスをした。


背伸びをして追いかけて欲しいと勝手に願ってたのは俺の方だ。


”子供”のままの桜をいつでも守ってやれる場所に居たいと思っていた。


けれど。


桜が大人になって、自分で選んで自分で見つけた新しい世界も全部。


みんな守ってやれるようにならないと。


幸さんにも、今は亡き桜の両親にも、認めては貰えないんだろう。


俺の中だけで留めておこうなんて無理な話だ。


”高校生”でも”未成年”でもない。どこにでもいる普通の”女子大生”になった腕の中の桜。


あどけない表情は少しも変わらないけれど。


その中に宿る希望とか、夢とか、そういうものみんな。


「大人になるに決まってるよな・・」


「・・・昴?」


こちらを見上げてきた桜の唇にキスを落とす。


「ゆっくり大人になっていいよ」



俺の僅かな願いも込めて。

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