第92話 キミの呼ぶ声Ⅱ

きっかけは実に些細なことだった。


桜より少し早く目を覚まして、隣りに眠る彼女の髪をいつものように暇つぶしに弄んでいたら心地良さそうに寝息を立てる彼女が小さく呟いたのだ。


「みゆ姉・・・もちょっと・・寝かせて」


幸せそうなその表情を眺めながら俺の中に生まれたのは小さな嫉妬。




☆★☆★



「おはよー。日曜なのに早かったのね」


「ああ。ここんとこずっと朝早かったからな」


リビングに顔を出した寝ぼけまなこの桜に向かって手招きする。


紙パックの野菜ジュースを手に戻ってきた桜がすんなりと昴の隣りに腰を下ろした。


と同時に耳たぶを撫でられる。


「・・・くすぐったいよ」


笑った桜の腰に腕を回して引き寄せた。


そこでようやく目を開けた桜が困惑気味で呟く。


「な・・なに・・・?」


「・・べつに」


呟いて桜の耳元の髪を掬いあげた。


指に絡めた後で解く。


視線を合わせた後で、意味深に笑って唇を重ねた。


まったく理由が分からずにキスの合間に桜が問い返す。


「別に・・じゃないからっ」


絡めた指をほどこうとする桜の手を強引に掴む。


喧嘩をした後でも無いのに、なぜこうなのか?


らしくない程の甘ったるい雰囲気。


意味が分からずに怪訝な顔をする。


「・・・昨夜、夢見た?」


「あーうん・・・忘れたけど、なんかすっごい楽しい夢」


「・・・」


桜の言葉に、昴が一瞬剣呑な顔をした。


けれど、すぐに何事もなかったかのように桜の額に唇を寄せる。


「ふーん・・・」


「ふーんて何?」


素っ気ない昴の反応に、今度は桜が怪訝な顔をする。


いつもなら”楽しい夢を見た”と告げれば”良かったな”と返事が返ってきたのに。


「・・・楽しい夢か」


ため息交じりに呟いて昴が前髪をかきあげた。


「なんで溜息?」


意味が分からずに桜が問い返す。


この前、風邪をひいて寝込んだ時に、うわごとで一鷹の名前を呼んだらしく、その後さんざん桜にイヤミを言われたのだ。


あの時、夢を見たのだからしょうがない。


と不貞腐れた桜の機嫌を取ったのは自分でだから、今回の件で怒る権利は俺には無いのだ。


それでも・・・


やっぱり面白くは無い。


「・・・いいから。言ったらどーせお前怒るし」


「なんで怒るのよ」


「・・・・」


「あ、また都合悪くなったら黙り込む!」


すかさず突っ込まれて昴は半ばげっそりしながら桜の顎を捕えた。


言い訳をしても、火に油を注ぐだけなので別の手段を取ることにする。


「・・・んじゃぁ、お前も口閉じろ」


言うが早いかキスで唇を塞いでしまった。


焦った桜が昴の腕を叩いたが、大した抵抗にはならなかった。


逆に抱え込まれてしまう。


逃げまどう桜の唇と指を追いかけては絡め取る。


深くなるキスに桜の体の力が徐々に抜けて行く。


背中に回されていた腕が緩んだ途端、ソファに沈みかけた桜の体を慌てたように昴の左腕が支えた。


肩に凭れるように抱き寄せられて、整わない呼吸のままで桜が告げる。


「り・・理由がわかんないよ」


こうされるワケを問いかけてきた彼女の髪を優しく撫でて昴がこめかみに唇を押しあてた。


それから耳元にキスした後で問いかけには答えずに囁いた。


「・・・今日は俺の夢見る?」


「え・・?」


急に甘えるようにそう言われて、桜は思わずたじろいだ。


「ゆ・・・夢・・?」


そりゃあ、好きな人の夢を見られたら嬉しいし幸せだ。


けれど、眠る前からその日見る夢を選べるわけじゃない。


テレビみたいに”予約”機能なんてついていないのだ。


だから、”夢見る?”と言われても困る。


けど。


いつもめちゃくちゃ”大人”な昴が


こうやって桜に子供みたいに甘えることなんて滅多に無くて。


だから、余計に。


嬉しいけど・・・めちゃくちゃ照れるっ!!


そして、困る!


強く抱きしめられたままでおずおずと昴の背中に腕を回す。


いつもは甘えてばかりの広い背中が、今日はなんだから心細げに見える。


幸がいつか言っていた


「たまーに甘えるイチ君が、すっごーく可愛いのよ」


という意味深な台詞を思い出す。



ものすごく・・・分かるかもしれない・・・


昴のこと、可愛いなんて思ったの初めてかも。


「ゆ・・夢見れるように・・今日は一緒に寝よ?」


「・・・」


めちゃくちゃ勇気を振り絞ったのに、返って来たのはポカンとする表情ただそれだけ。


不安そうにこちらを見つめる真っ赤な桜の頬を撫でてしばらく後、昴が困ったように笑った。


「おっまえはー・・・どこで覚えてくんの?そんな殺し文句」


「え!?」


ぎょっとなった桜の唇に、笑ったままの昴が啄ばむようなキスをした。


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