第91話 恋心メランコリック 

支店の視察を終えて大通りに戻ると、すでに午後14時を回っていた。


昼飯食いっぱぐれたなと思いつつ、携帯を取り出す。


着信履歴もメールもなし。


緊急の用件はとりあえず無いらしいので、このままスケジュールを勧められるらしい。


ここで急に予定が切り替わったり加わったりすると、急いで各方面に調整が必要になるのだが、変更がないというのはそれだけでありがたい。


日差しはまだまだ強い。


通りを行き交う女性は皆日傘や帽子で紫外線を避けている。


肌の露出が増えるこの時期に、首元を鮮やかに彩る淡水の新作がヒットした事はこの夏の一番嬉しいニュースだった。


企画段階から一鷹と加わっていたプロジェクトだ。


社長も副社長もこの結果に満足しているようだった。


後継者教育は概ね順調というわけだ。


照りつける太陽に目を顰めながら、駐車場に止めた車の室温を思うと滅入りそうになった。


一鷹は、まだ支店長と話をしている。


夕方からは本社に戻って会議だ。


どこかで昼食を摂らなくてはならないがゆっくり店で、というのは難しそうだ。


ここ最近立て込んでいるスケジュールのせいで、まともに昼飯を食べれた試しが無い。


車の中でコンビニ飯をかき込むか、会議前に軽食を摘む程度だ。


幸から”どんなに忙しくても食事だけはちゃんと摂らせて”と再三言われている。


そうしたいのは山々ですけどねぇ。


ため息交じりに上着のポケットを探る。


と煙草が切れていた。


車にストックがあったかな?と思いつつスーツのポケットから車のキーを取り出した。


と、反対車線の歩道を歩く人物に気づいた。


桜だー。


大学からも程近い駅にある大通りは、若者に人気のショップがいくつも並んでいる。


いつもの仲良し3人組で遊んでいるのかと思いきや、違った。


「・・・?」


目を眇めて桜の方向を凝視する。


桜は一人だった。


いや、違う、冴梨でも絢花でもない他の人間と一緒だ。


「男・・?」


声に出して、その自分の声音に驚く。


ウィンドウショッピングでもしているようで、ガラス越しに店を指差して何やら楽しそうに話しをしている。


恐らく相手も大学生だろう。


どこにでもいる学生カップルのようだ。


桜にも大学のサークルか何かで友人位いるだろう。


別に不思議でも何でもない。


自分が気にする事ではない。




「あれ、浅海さんまだ車に戻って無かったんですね」


いつの間にか追いついて来た一鷹が並んでくる。


そして、昴の顔を覗き込んで驚いた。


「どうしたんですか?」


「・・え?」


「眉間に皺寄せて、店でなんかありました?」


「いや、何でもねえよ。行こう」


手を振って桜から視線を離す。


桜と連れの男性は何処かの店に入っていったようだ。


これ以上気にしても仕方ない。


雑念を追い払うように目を伏せる。


「スケジュール変更大丈夫ですか?」


「問題ないですよ」


「なら良かった。このままいけば19時過ぎには帰れますよね?」


「まー大丈夫だろ?たまには早く帰りたい?」


チラッと一鷹に意地悪い視線を向ける。


もうすっかりいつも通りの昴だった。


「当然です。最近夕飯も一緒に食べて無いし。幸さんが眠ってる事すらあるんですよ」


「ここんとこ午前様だったしな。今日は無理やりにでも早く帰りましょう」


「ぜひ、そうして下さい。俺は、そろそろ妻不足です」


「そりゃ、気の毒に」


肩を竦めて見せた昴に、一鷹が視線を送る。


「桜ちゃんは?寂しがってません?」


揶揄するようなその視線から逃れるように足早に駐車場を目指す。


「さぁー・・・どーだろうなぁ」


ちらりと脳裏にさっきの光景が浮かんだ。


自分がとうの昔に通り過ぎてきた学生時代をいま、まさに全力で謳歌する桜。


同じ時代を、同じように生きていても、歳が違うだけで、こんなにも違うのか。


桜が、社会人だったら?


自分が、学生だったら?


あり得ない設定を思い浮かべる。


そもそも、お互いがこの場所以外で生きていたら、間違いなく二人は出逢っていない。


今も互いの存在を知る事は無い。


それを知っていても尚、思わずにはいられなかった。


鮮やかに咲き誇る桜の笑顔。


朝も昼も、そばで見ていられたらどんなにかいいだろう。


桜が望んでいるのは、本当はこういう恋愛じゃないのか?


朝、大学で落ち合って、授業が終われば街へ繰り出す。


ランチして昼間の街をブラついて、買い物して・・


この現実を手放したいなんて考えた事はない。


それでも、あんな桜の顔を見たら思わずにはいられなかった。


これから先も、絶対にありえない”もしも”




「もしもし?どうしたのーまだ会社?」


携帯から聞こえてきたのは、のんびりとした桜の声だ。


その声にホッとして、昴は電話をした理由を考えていなかった事気にづいて慌てた。


「いや・・別に・・つか、お前家?」


「そーだけど?みゆ姉のとこ行くとか言ってたっけ?」


「何時に・・」


「え?」


何時に戻って来た?どこか寄って来たのか?


今日は冴梨ちゃんたちは?


訊きたい事は沢山ある。


けれど、どれも言葉には出来ない。


問い返してきた桜に


「いや、今から帰るから、そんだけだ」


と素っ気なく告げる。


「いっつも電話なんかしないじゃん。早いのね」


「何だよ、電話したらマズイ事でもあんのか?」


まさか家に誰かいるのではあるまいなと一瞬思う。


そしてそんな自分に幻滅する。


「マズイってなによ、じゃあ気を付けてね」


「ああ」


通話を終えた携帯を握りしめて、重たい溜息を吐く。


何があったワケでもあるまいに。


「子供か、俺は・・」


前髪をかきあげて腕時計に視線を送る。


一鷹を先に帰らせて、残務処理をしていたので20時過ぎている。


それでも、いつもよりは早い位だ。


真っ先に帰って問いただしたいような、そんなみっともない真似は死んでもしたくないからもっと仕事をしてから帰りたいような。


複雑な気持ちのまま昴は会社を後にした。



☆★☆★



玄関まで迎えに出て来た桜はすでに風呂に入った後のようで部屋着姿だった。


まだ少し濡れている髪をくしゃりと撫でてやると、お帰りと笑う。


「飲むー?」


「いや、今日はいい」


リビングに入ると、ローテーブルの上にアイスクリーム店の箱が置かれていた。


「アイス買って来たのか?」


「大学帰りに絢花の彼氏と、そのお友達と駅前に出たの。その時、皆で寄ったんだー。本当は買って帰るつもりなかったんだけど。この間絢花とケンカになりかけた時フォローしたお礼にって、彼氏のカズくんが買ってくれたの、お土産にって」


桜が溶けかけのストロベリーアイスを口に運ぶ。


「二人じゃなかったのか?」


「え?」


スプーンをぺろりと舐めた桜がきょとんと問い返す。


「大通りで見かけたんだよ、お前と男が一緒に居るの」


「そーなの!?」


「店の中指差して楽しそうにしてたけどな」


嫌みたっぷりで言ってやるも、桜は少しも気にした素振りを見せない。


平然と答えた。


「ああ、アイスクリーム屋さんの前でしょ?あんまりお店寒いから、先に出て待ってたの」


「一緒に居たのが絢花ちゃんの彼氏か?」


「外で喋ってた相手?加賀谷君かな?」


「ふーん」


「気になる?」


ここに来て桜が反撃に出た。


ソファに凭れたままで上目使いに昴を見上げる。


上着を脱いだ昴が小さくため息を吐いた。


「アホらし」


短く呟いて、上着を桜の隣りに放り出す。


「何がよ?」


てっきりに隣りに腰かけると思っていた桜は、スーツの行方を視線で追った。


無造作に落ちてきたそれに手を伸ばそうとして、昴の腕に阻まれる。


桜を囲い込むようにソファの背もたれに置かれた手。


視線を合わせるように屈みこんだ昴が短く言った。


「お前な・・・俺が、自分の女が街中で他の男と歩いてるの見て、平然としてられる男だと思ってんのか?」


「え・・?」


「俺が、嫉妬しないと思ってた?」


唇が触れる距離で囁かれて、問い返す間もなく唇が重なる。


息つく間もないとはまさにこの事で、桜は咄嗟に目を閉じることしかできなかった。


性急に求められるようにキスが深くなる。


さすがに焦って桜が昴の肩を押し返したがびくともしない。


文字通り翻弄されて、思考が回らなくなってから、漸く唇を解放された。


俯いて肩で息をする桜の顎を捕えて昴が視線を合わせて来る。


「焦るわ、みっともないわ、情けないわ。ほんっとろくな事ねェな」


「・・っ」


ドサリと隣りに腰を下ろした昴が、息を飲んだ桜を抱きしめて耳元で囁く。


「何で側に置いとけねんだろ・・」


「や、だ、だから、加賀谷君って彼女いるよ?すんごい美人さんの」


「違う」


「何が?」


「お前の側に居る男がフリーかどうかじゃない。お前の側に誰が居ても、結局は腹立つって話」


首筋に触れた唇が紡いだ言葉が脳内をめぐる。


一気に上がった桜の心拍数。


普段の昴からは想像できない位甘ったるいセリフに泣きそうになる。


「す・・昴・・喜んでいい?」


「ムカつくから忘れろ」


拗ねたような一言が可愛くて桜が笑う。


「そんなの無理」


即座に言い返したら


「じゃあ、忘れさせる」


そんな言葉と共にさっきよりも熱っぽいキスが降って来た。

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