第78話 桜のアルバム

「あ、そうだ・・桜!」


玄関に向かう昴が荷物片手に何かを思い出したように振り返った。


「はーい」


「バレンタイン、どうする?どっか行きたいとこは?」


洗面所から桜がコテを髪に巻きつかせて答えた。


「なーい!」


「・・・は?」


昴が目を丸くする。


「ちょ・・待て、俺もう時間ないんだよ。妙な捻りは要らんから。行きたいとこ言えよ」


「今年のバレンタインはお家でまったり!」


「まじで?」


「まーじーでー」


「なんで?」


「なんでって・・もう行かなきゃ一鷹くん待ってるんじゃないの?」


「あ・・ああー・・じゃあ出かけないんだな?」


「うん、お気遣いなく。行ってらっしゃーい」


ひらひらと手を振って昴を見送る。


腑に落ちない顔の昴だったけれどいよいよ時間が迫っているので諦めて家を出ていった。


ドアが閉まる音を聞いて桜が眉根を寄せる。


「なんでそんなにびっくりするかなー」


世の中のカップルみんなが毎年バレンタインにお出かけデートをしているわけでもあるまいに。


昴はどうも桜との付き合いを”王道スタンス”で固めようとする傾向がある。


クリスマス、お正月、夏季休暇、GWはいつもふたりで出かけるのが定番だ。


勿論それは楽しいし、2人の想い出が増えていくのは間違いなく幸せなことだ。


だけど、別に。


「王道じゃなくっていいのに」


どこにも出かけないバレンタインもきっと楽しい。


二人でのんびり過ごす休日だって悪くない。


だけど、昴はいつも時間が空くとすぐに問う。


「どこ行きたい?」


まるで休みの前日のパパみたい。


桜が、考える間楽しそうに答えを待つ。


その期待に満ちた表情を見ると何と無く”目的地”を探してしまうのだ。


窮屈なわけじゃない。


退屈なわけじゃない。


でも、何にもしないデートも良いと思うのだ。


身近に暇さえあれば二人でいるベタ甘夫婦がいることだし?


一鷹は口癖のように言う。


「一日中家に居ても外に行ってもどっちでもいいよ。幸さんが一緒ならね」


初めて訊いた時は耳を疑ったが


この数年ですっかり慣れた。


一鷹の脳内時計を動かすのは常に幸なのだ。


つまり、世間一般が朝でも幸が一言まだ夜中よと言えばあっという間に志堂家は深夜になる。




★★★★★★★★★★★★★




「へー・・浅海さんにそんな事言ったの」


取引先から直帰で戻った一鷹がスーツを脱ぎながら微笑んだ。


幸が淹れたてのコーヒーを一鷹の前に。


良い香りのオレンジぺコーを本日のお客様である桜の前に置いた。


「マズかった?」


ティーカップを持ち上げて桜がおずおず問い返してくる。


昴が桜の為にイベント関係の情報は逐一チェックしていることも知っているだけに、次の答えには少し悩んだ。


「いや・・・・」


「昴君は、さぁちゃんを色んなとこに連れて行ってあげたいのね」


自分用のカフェオレボウルを両手に包み込んで、幸がくすぐったい表情になる。


一瞬、一鷹が寂しそうな顔をしたけれど口には出さなかった。


「家族サービスするパパみたい」


「そうだね」


一鷹が小さく頷く。


「浅海さんは、桜ちゃんの事になると色々欲張りになるからなぁ。あれもこれもって、思ってしまうのかもしれないよ」


「有難いんだけどね。何も特別なお出かけじゃなくてもいいと思うの。もう一緒に暮らしてるわけだし。例えば、みゆ姉達みたいにお家で一緒にお菓子作ったり、ケーキ焼いたり。そういうバレンタインも楽しいし」


「うん・・そうねー・・でも、さぁちゃんは昴君のおかげで沢山笑うようになったし、外にも出かけるようになったわよね。・・・昔みたいに、写真撮る機会も増えたし」


言葉を止めた幸がおもむろに桜の髪を撫でる。


桜が京極の家から、幸のマンションに移り住んだ時、持って来たアルバムはずっと閉じられたままだった。


両親との記憶を振り返る余裕も、新しい記憶を積み重ねる余裕も当時の桜には残っていなかった。


思えば、幸も桜と進んで写真を撮ろうとはしなかった。


けれど。


「・・写真」


「うん、沢山撮ったでしょ?あたしたちともだけど・・昴君とも」


「撮った」


大きなツリーの下。


花火の夜。


夕焼けの浜辺。


アルバムには桜の笑顔が溢れている。


「それが、浅海さんの答えじゃない?」


一鷹が笑って告げる。


桜の笑顔の記憶。


季節とともに増える想い出。


消えない記録。


開けなかったアルバム。


家族の事。




★★★★★★★★★★★★★




桜の部屋に大切にしまわれている何冊ものアルバム。


桜の成長と家族の記憶。


泣きじゃくる桜が抱えていたそれを見た時、ここに眠る記憶をいつか懐かしめるようになれば良いと思った。


時間が傷を癒して、この記憶も過去になりいつか記憶の一部として溶けていくだろうから。




★☆★☆




「あれ、写真、趣味になったの?」


久しぶりにやって来た京極の家のリビングで、並べてあるアルバムを見つけた貴美が、それを手に取りながら問いかけた。


「趣味じゃねーよ、俺の仕事みたいなもん」


「何だそれ、プロ舐めんなよ」


大地が一眼レフを手に笑う。


急に”駅前にいるから迎えに来い”と呼び出すなんて、相変わらずの傍若無人ぶりだ。


「わー・・桜良い顔して笑ってるねー」


「桜がさ、この家で作って来たアルバムが8冊あるんだよ」


「生まれた時からの?」


「そう。それを、超えるのが目標」


「張り合ってんの?」


貴美の問いかけに、昴が笑う。


「桜の楽しい記憶を、残してやりたいから。俺が好きでやってる」


悲しい記憶を無くす事は出来ない。


”無かった事”に出来ないなら悲しい記憶を思い出す暇が無い位楽しい記憶で埋め尽くしてやろうと思った。


単純なことだ。


桜との毎日を鮮やかに彩って残していく。


1日でも多く。


「俺に出来る事は、何でもやる。全部」


「決めてるんだ?」


「とっくの昔にな」


にやりと笑った貴美の意地悪い顔。


昴は無表情のままで貴美の頬を引っ張る。


「ひょっひょー(ちょっと!)」


ブスっと膨れた貴美がこちらを睨んで来た


次の瞬間大地が昴の手を叩いた。


「ちょっかいかける相手が違うだろ」


「そーだぞー。身代りにすんなばか」


「うるせ。お前じゃ代わりになんねーよ」


言い返して貴美の手からアルバムを取り上げる。


「で、桜ちゃんのアルバム作成は順調かい?」


「まーな・・」


「なに?ケンカでもした?」


「そこで身を乗り出すな」


ジロリと昴が貴美を見下ろす。


「そんなんじゃねーよ」


「じゃあなんだ?」


「うるせ」


”付き合って初めてのバレンタインにどこにもいかなくていい”と言われた


とは言いだせずに昴は黙り込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る