第79話 アルバムと思い出とこれからの記憶

「女子大生はっけえーん」


大学の最寄り駅で手を振る中性的な美人を見つけて桜は声を上げた。


「貴美さん!!」


「久しぶり・・元気・・そうだね」


「そっちこそ!相変わらず細っこいね」


華奢すぎる体を包んだ柔らかいモヘアのセーター。


首元に巻いた上品な黒のストールが基の色白さを際立たせる。


「細っこいって・・これでも肉付け強化月間開催中なんだけどな」


「これでー?」


「まあまあ、こっちの話はいいじゃん。とりあえず、久々の再会なんだしさ。はい、抱っこさせて」


細い腕が背中に回される。


幸に抱きしめられるような安心感はない。


けれど、どこか懐かしい匂いがする。


そして、言いようもない庇護欲にとらわれる。


多分、彼女の育ちがそうだから。


誰からも愛され、守られる場所に生きていたお姫様。


どんなに貴美だった頃の形を壊しても、彼女の健やかで純粋な”心”はいつだって人を惹き付ける。


「これじゃあ、あたしが抱っこしてる側だけどね」


桜がぎゅうっと貴美を抱きしめる。


間違いなく、この人は”守られる人”だ。


相変わらず短い基の髪に頬を埋めたらいつもセットの人間がいない事に気づいた。


いつも貴美の後を歩く彼の姿が何処にも見当たらない。


「大地さんは?」


「弟からかって遊んでる」


揶揄われているだろう昴をちらっと頭に思い浮かべて、喧嘩してませんようにと祈っておく。


「・・んで、一人で来たの?」


「ばっちり一人でも電車乗れるようになったんだよ」


マトモな大人の言う事ではない。


人ごみに酔う貴美の基本移動手段は車だ。


バスも電車も殆ど使わない。


そんな貴美の口から出た言葉に桜は驚きを隠せない。


「いつのまに!?成長したね!」


「おーおー生意気言うのはこの口かしらー?ん?」


桜の唇を遠慮なく両手で挟んで貴美が問う。


ただでさえ美人で人目を引く容姿なのに彼女の行動理念は未だに驚くほど子供っぽい。


桜は突き刺さる視線を受けながらゲッソリと言い返す。


「見られてるーう」


「関係なーし。なんならチュウしちゃう?」


「あのねーえ・・」


呆れた桜の頬に次の瞬間音を立ててキスをして、満足げに笑った貴美は桜から離れた。


「も・・もうっ」


美人から不意打ちのキスとか。


同性相手にドキドキしてどうすると思うけれど仕方ない。


「一人でねー行ける場所が増えたんだよ。だから、今度は列車モノ描く予定」


「仕事順調なんだ?」


「まーね」


「で、兄弟の時間を邪魔しちゃ悪いからさ。こっそり一人で出てきたんだよ」


「え・・ちょっと・・大地さんたちに言った?」


「言ってない」


「携帯は?」


「持ってない」


「もう!何考えてるのよ!」


慌てて桜が携帯を引っ張り出す。


こういうところは相変わらずだ。


「財布持ってるから平気だってば。子供じゃなんだし」


「子供じゃないなら行き先位言って来なさい!」


ピシャリと言いきって携帯を開く。


やっぱり。


予想通り大地と昴から着信が残っている。


「とりあえずあたしと一緒って言っとかないと・・」


履歴を引っ張って大急ぎでリダイヤルする。


ものの数秒で大地が出た。


「あいついる?」


「いる」


「・・良かった・・なら、後はヨロシク。夕飯には戻っておいで」


「え・・あ・・ちょ・・」


挨拶もなく一方的に大地から電話を切られた。


携帯を見てポカンとする桜の手を引いて貴美が切符売り場に向かう。


「何て?」


「夕飯には戻っておいでって」


「あーそう、なら、それまで遊ばなきゃねーえ」


「え・・」


「とりあえず、買い物に行こう」


「買い物って!?何買うの?」


「女の子の買い物って言ったら決まってるだろ?可愛い洋服と、おしゃれな小物。美味しいケーキのフルコース。さあ行くよ!」


「え!!ちょっと貴美さん!」


引っ張られながらも困惑気味の桜に向かって貴美が決定打を放った。


「今晩には帰らなきゃならなんだ。それまで、一緒にいようよ?」


「・・・」


真っ赤になって頷いた桜の手を引いて貴美はずんずん歩き出す。


確信犯としか思えない。


こんな台詞を言われて頷かない女子はいない。


相手が同性であってもだ。


作家ってズルイな。


そんな事を思って貴美の薄っぺらい背中を睨む。


淡いミントブルーのふわふわのニット。


「え・・ちょっと貴美さん!上着も着ずに出てきたの!?」


「あーなんか、色々考えたら忘れてた。けど、ほら京極の家から駅って10分ちょいだし」


「いま何月だと思ってんのよ!とりあえず、まず上着買いに行くよ!目的地はデパート!」


大慌てで言った桜に嬉しそうに基が頷いた。


「買い物する気になってくれた?」


「あたしのじゃなくて、貴美さんのね!!」


こうして二人は隣り駅の近くにあるデパートに向かった。




★★★★★★★★★★★★★



「んで・・最後は寝落ちか」


後部座席で熟睡中の貴美をバックミラー越しに眺めて昴が呆れ顔で言った。


すっかり空は闇色に染まっている。


助手席の大地が苦笑いしながら貴美の隣りでこちらを見つめる桜に言った。


「それにしても買い込んだな」


「知らないよ。試着室から出たらすでにレジ行ってるんだもん。カード凄い金額かもよ?」


「問題ないよ。最近カンヅメだったから」


「上着も着ないで飛び出すなんて・・ほんっとに浮世離れしたお姫様だな」


しっかり握られたままの手を眺めて桜はほんとにその通りだと頷いた。




★★★★★★★★★★★★★



貴美と桜の洋服が詰まった紙袋5つ抱えてお茶をしに入った喫茶店でいきなり彼女が執筆モードに入った。


「パソコン!あー・・紙とペン!」


慌ててカバンからルーズリーフとペンを取り出して貴美に渡す。


と同時に一心不乱にペンを走らせ始め彼女基はそのまま2時間動かなかった。


最初はポツリポツリと話しかけていた貴美がやがて無言になり、桜が時間つぶしにレポートをやり始めて、気づいたらいつの間にか目の前の貴美が電池が切れたようにテーブルに突っ伏して眠っていたのだ。


「なかなか貴重な経験したな」


昴が滑らかにハンドルを切りながら笑う。


「ほんとにね」


桜が伏し目がちに笑った。


ペンを動かす手を止めずに貴美が呟いた言葉を思い出す。






『昴はアレだよ。桜のお父さんでも兄弟でも友達でも恋人でもありたいんだよ。桜が失くしたもの全部を埋められる存在になりたいんだよ。桜の望みをいつでも知って叶えたいんだよ。写真はその記録だよね。桜がちゃんと幸せだったって、いつか振り返る為の。昴は言葉足らずだけど、その分を補う愛情はちゃんと持ってる人だから。そこは信じて大丈夫だよ。分かってるとは思うけどね』


小さく笑って、泣いた桜の事を見上げもせずに貴美は続けた。


『桜はとっても幸せな女の子だよ。これまでもこれからも』


物語を作る彼女の声は、桜の心に魔法のように響いて弾けた。


約束された眩い明日が見えるようだ。







スケジュール調整の電話を架ける大地の邪魔にならないように、桜が運転席に身を乗り出す。


「ねえ、昴?」


「どうした?」


ちらっと昴が視線を上げた。


「二人ならお家写真もあたしは好き」


その言葉に昴が目を瞠って、笑った。


「そうか」

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