第76話 そばにいるよ
体調が良くないとき程、人恋しくなるのってなんでだろう?
そんなときだけ、誰かに熱を分けて欲しいと思ってしまうのは、物凄く身勝手で不条理な事だと、分かっているのだけれど。
どうしても傍にいて欲しい時って、あると思う。
素直に言えなくても・・・
桜は布団を鼻まで引っ張り上げて、こちらを見下ろしてくる昴に向けて、不安げな視線を送った。
薬を飲ませた昴は、桜を寝かしつけようと布団に再び押し込めたばかりだ。
薬が効いてくるまでの間、傍についているつもりだったが、桜の眼差しから不安の色は消えていない。
「なんだ、まだしてほしい事あんのか?」
額を覆う前髪を優しく梳いて問いかければ桜が時計を見て黙り込む。
「別に・・ない」
「別にって顔じゃねぇけどな。時間なら気にするな、お前が寝るまでついててやるよ。仕事は遅れても問題ない」
あっさり答えた昴の言葉に桜が小さく頷いた。
目を閉じて、眠りにつこうとする。
桜の髪に触れていた手を外して、昴がベッドサイドの明かりを落とした。
布団をしっかりかけ直してやると、桜がふいに手を伸ばした。
「ん?どうした」
「っ・・・いい、大丈夫、寝るから」
何か欲しいものがあるのかと視線を巡らせるが、眠りを妨げない様にと携帯はドレッサーの上に置いてあるし、別段桜が欲しがりそうなものが見つからない。
首を傾げる昴に向かって桜は首を横に振った。
唇を引き結んだその表情を見て昴が目を細める。
今にも泣きだしそうな子供の様な顔。
「手ぇ繋いでてやろうか」
布団から出たままの桜の指先を掴む。
思いのほか熱を帯びていて、昴が顔を顰めた。
微熱のうちに気づいてやれなかった事を今さらながら後悔する。
早く薬が効いてくれれば良いが、万一熱が下がらないようなら、救急病院に連れていく方が良いだろう。
握られた指先を、昴の指の隙間から抜き取って桜が平気、と言った。
「なんで」
「・・・そんな事して貰わなくても寝れるから」
「心細い癖に」
昴がベッドに身を乗り出して頬杖を突いた。
呆れた顔で溜息を零す。
強情っぷりもここまでくればあっぱれだ。
もともと一人っ子で、両親は共働きだったので、留守番も慣れて居るとは聞いていた。
「・・・だって、一人は不安って言ったって、どうせ、昴は言っちゃうくせに・・・」
桜の言葉に昴が瞠目して一瞬押し黙った。
そう来たか、と小さく呟いてすぐさま指先を再び絡め取る。
そんな昴に向かって桜が言った。
「繋いでた手が、解かれてるの確かめるのって、結構辛いんだからね。だから、いいの、手は繋がないで平気。一人で寝れるから」
「言い切ったわりには、寂しそうだけどな」
「そんなことないし、平気だって言ってるでしょ」
上から覗き込むように、桜の顔の両端に手をついて昴が笑う。
「そーかよ」
繋がれたままの右手を離そうとしたら、反射的に桜が指に力を込めた。
「お前なぁ、言ってる事とやってる事が反対だろ」
「ち、違うの、これは癖で!」
勢いよく指先を離した桜が、昴の視線から逃れるように身を捩る。
横向きになると、布団に潜りこもうと俯いた。
「寝るから、出てって」
会話は終わりとばかりに目を閉じて丸くなる桜。
「言い逃げかよ」
突いていた両手を離して、体を起こすと昴が腕時計を確認した。
確かに、眠りについた桜を残して仕事に行くのは不安が残る。
無理を承知で、浅海の母親を呼ぶつもりだったのだが・・・
こうもいじらしく拗ねられると構いたくなって仕方ない。
桜が真っ赤になって否定するのは覚悟の上で昴は赤い耳たぶに唇を寄せた。
「なぁ、桜。お前、俺に傍にいて欲しいか?」
「だから、平気って・・・」
「さーくーら」
即座に返ってきた否定を遮る様に名前を呼ぶ。
「・・・母親に来て貰おうかと思ってたけど、俺が傍にいんのとどっちがいい?」
「・・・言っても居てくれない癖に」
小さな反論が返ってきて、昴は思わず笑みを浮かべた。
「いるよ」
「嘘」
「嘘じゃねぇよ。お前が俺がいいってんなら、一日傍にいる」
「・・ほんとに?」
不安そうな問いかけに何度も頷く。
「ほんとに決まってるだろ。だから・・・ほら、こっち向けって」
昴は相変わらず横を向いたままの桜の肩に手をかけた。
再び仰向けに寝かせて今度こそ手を握る。
さっきよりも更に火照った頬にキスを落として前髪を撫でた。
「安心しろよ、目が覚めるまでちゃんとこうして繋いでてやる」
絡めた指を持ち上げて見せた昴に、桜泣きそうに微笑んだ。
「手だけじゃ嫌。抱きしめて」
「っは!?」
桜の口から出たとは思えない大胆なセリフに昴が仰天する。
熱に浮かされているとしか思えない発言。
真に受けて、痛い目を見るのは自分だと分かり切っているのに。
すぐさま頬に触れてしまった左手が憎い。
そういう状況でないと分かっていても、桜が傍に居れば、手を伸ばしてしまうのは、もう体に染みついた習慣の様なもので。
彼女を常に目の届くところに置いておきたいと思ってしまうのも、どうしようもない習性だ。
もう、桜の全ては自分のもので、知らないことなど無いはずなのに。
何度抱いても減るどころか増えるばかりの独占欲。
愛情を”注ぐ”という経験をしてこなかった昴が、手探りで向ける愛おしさを、桜は両手で受け止めて抱きしめる。
決して器用とは言えない昴の無骨ともいえる愛情表現は、桜にだから届く。
こっちの都合お構いなしで、特大の我儘を言ってのけたお姫様に向かって、昴は咎めるような視線を送った。
「お前なぁ、状況を考えろ」
低い声で凄まれて桜が逃れる様に目を閉じる。
「だ、だって!一人で寝られないんだもん!そういう風にしたのは昴なんだから!責任取って今日位一緒に寝てよ!」
「今日位って、あのなぁ・・・俺にも都合があるんだよ」
「今日はあたしを優先させてくれるんでしょう?」
更に食い下がられて、昴が重たい溜息を吐いて、結局は折れた。
「お前が寝るまでだからな」
何度も念を押してベッドに入る。
熱のせいで体温の高い桜の体が遠慮なくくっついて来た。
いつものように腕枕の定位置に収まった桜が嬉々として指を絡めてくる。
どうして、普段は積極性のかけらもないのに、今日に限って!
嘆きたい気持ちをぐっと堪えつつ昴が桜の背中を撫でた。
子供をあやす様にリズムよく背中を行き来する掌。
「いっつもそうやってくれたら、すぐに寝れそうなんだけどな・・・」
笑った桜の唇に音を立ててキスをして昴が呆れた口調で言い返した。
「今日だけだ、今日だけ。毎日こんな事してたら俺の身が持たねぇよ」
「ひっどい」
「酷くねぇよ、事実だ」
きっぱり言い返して昴が桜の髪を優しく梳いた。
「酷くてもいい・・・こうしててくれるなら」
「熱が下がるんなら、何でもしてやる」
「ありがと」
心地よさそうに目を閉じて身を委ねる桜のこめかみにキスをして、昴が静かに囁いた。
「熱が下がったら、覚悟しとけよ」
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