第85話 どっちも取る

京極の親戚とは顔を合わせた記憶が殆ど無い。


両親の結婚を期に、京極の祖父母とは絶縁状態で、それに伴い親戚とも疎遠になっていた事は何と無く記憶にある。


それも、幸の家に泊まりに行った時に、子供たちを寝かした後、リビングで両親達が話しているのを零れ聞きした程度だ。


桜の両親も、幸の両親も、決して子供たちの前では京極の話を口にしなかった。


する必要も無かったと言った方が正しいかもしれない。


桜の両親は自分達が結婚した当初から、京極の親族が眠る墓に入るつもりは無かった。


別の場所に自分達だけがゆっくりと眠れる場所を選んでいたのだ。


勿論、桜はそんな事は知らなかった。


両親の事故の後、埋葬する墓地について幸から説明を受けた時に初めて知ったのだ。


『高台のすっごく景色の良い場所なのよ。ちゃんと、最後の場所まで決めてたみたい。お父さんが、書類なんかも預かってるらしくて、場所を知ってるわ。さぁちゃんは一人っ子だったから万一の事を考えて、頼んでたみたいね。きっと、最初から京極の親戚を頼るつもりは無かったのね』


そう言った幸も、桜を京極の親戚に渡すつもりは毛頭ないと最初から決めていた。


だから、目を覚ました桜を迷わず自分の元に引き取った。


半ば強引に押し切った、桜の引受先を決める席で、今まで見た事が無い位表情を険しくした幸の様子を、隣りでつぶさに見ていた一鷹は、今もあの時の光景を思い出すと怒りと虚しさでやり切れなくなる。


そして同時に、桜が当時、まだ目覚めていなかった事を心から感謝する。


万が一目を覚ましていて、この様子を目の当たりにしたらと思ったら、それだけで血の気が引く。


彼が恋焦がれて望んだ唯一の女性は、姉妹同然に桜の事を愛しているのだ。


その彼女が傷つけられる様を目の前で黙って見ている筈がない。


そして、ある意味桜以上にそんな状態を嘆き、自分を責めるに違いない。


勿論、幸にそんな思いをさせた連中を一鷹が見逃すはずもなく・・・


昴が全力で留めない限り、ありとあらゆる手段を持って、京極を潰した筈だ。


間違いなく。


だから、一鷹が志堂の力を以てして桜を幸の手元に残しておくように仕向けた事は、

彼の最大の良策であった。


これで、桜は京極から切り離される。


すでに”志堂”の庇護下に入った彼女を誰も手出し出来ない。


筈だったのだ。


★★★★★★★★★★★★★



「桜ちゃん、桜ちゃんよね?」


大学のキャンパスを出たところで、見知らぬ中年の女性に呼び止められた。


冴梨と絢花と話しこんでいた桜は気づかず、右隣を歩いていた冴梨が先に気づいた。


「桜、知り合い?」


近づいてくる女性には全く覚えが無い。


ふくよかな体を淡いクリーム色のツーピースで包んだその格好はまるでPTAの父兄のようだ。


「え・・知らない・・」


呟いた桜の声を綺麗に無視して、その女性は桜の前にやって来ると懐かしそうに目を細めた。


開かれた赤い唇がやけに大きく見える。


「おばさんの事覚えてる?」


「え?」


「京極のおじいさんのお葬式で会ったのよー。ああ、でもあの頃あなたはまだこーんなちいちゃい子供だったから・・」


覚えて無くても無理無いわねと一人ごちて、すかさず桜の腕を掴む。


京極のおじいさん。


いきなり飛び出てきた単語に桜は頭が真っ白になった。


父親にもちゃんと両親が居た事は知っている。


それでも、一度も会ったことのない祖父の存在は全く実感が湧かなかった。


「ひとりで京極の家に戻ってるそうじゃないの。おばさんもね、早く来れたら良かったんだけど・・なかなかそうもいかなくって・・ねえ、色々話したい事があるのよ、お父さん達のお墓にも行きたいし・・車を待たせてあるの、一緒に来て頂戴」


「え・・あの・・ちょっと」


呆然と掴まれたままの手を眺める桜。


親友の様子がおかしい事に気づいた絢花がすかさず口を挟んだ。


「失礼ですけど、桜の親戚の方ですか?」


冴梨が桜の腕を女性の手から引っこ抜く。


「え?ええ・・この子の父親の姉よ」


「姉・・・?」


どんなに記憶を遡っても、父親から兄弟の話なんて聞いた事はない。


「あの子ったら、何にも話してなかったのね」


呆れた様な口調が返って来る。


桜はその言葉に強い違和感を覚えた。


口にした言葉の何処にも、愛情も憐憫も哀愁もかけらだって感じられなかった。


遠い昔、布団に潜ってこっそり聞いた両親の途切れ途切れの話し声。


「そんな娘を・・・二度と・・・家族だなんて・・」


あっけらかんとした母の声。


そのすぐ後に聞こえてきた父の声。


「すまない・・君にも、義兄さん達にも本当に・・」


難しい言葉の中に覗く、知っている単語。


もう家族じゃない。


娘だとは認めない。


おぼろげな記憶でも、今ならその意味は容易に想像がつく。


両親の結婚を反対していた京極の祖父母、そして兄弟たちが、両親を酷く傷つけた事。


夏の雨、黒い服、抱きあげてくれた父親の険しい横顔といつも気丈な母親の涙。


差すような視線と、冷たい言葉。


恐らく、勘当同然で家を出た両親は、親族としての列席を許されなかったに違いない。


「あ・・あたしは、行きません」


声が震えた。


この人を拒絶する事は、父親に繋がる何かを否定する事になるのではないか?


心のどこかでそんな風に思う。


それでも、桜は続けた。


「家族は・・あたしの家族はちゃんと居ます・・」


「家族って・・お世話になってる志堂の家の事?」


幸と一鷹の顔が浮かんで消える。


そして、脳裏に焼きつくように浮かんだ昴の顔。


桜を”家族にする”と約束してくれたたったひとりの存在。


昴が、居てくれる。


名前を口に出しそうになって、止まった。


浅海の名前を出す事が躊躇われたのだ。


桜は、表向き志堂の庇護下にある。


浅海の籍に入るまでは・・・


京極を名乗る今、桜がその名前を口に出せばどうなるのだろう。


浅海にとって、不利な事態にならないのだろうか?


志堂親族内での分家の勢力図を桜は知らない。


昴の立場も朧げにしか理解できていない。


昴や幸は桜を極力志堂の親族から遠ざけて守ろうとしてきた。


志堂の柵の外で、桜の自由を守って来た。


自分の今いる場所は、志堂と浅海なくしては決して立てなかった場所だ。


志堂も、浅海も、大事な物は皆、あたしが守る。


「家族は他にいりません!」


一度でも両親を傷つけた人達を、家族だなんて認めたくなかった。


その言葉を聞いた絢花が、即座に冴梨に目配せする。


「失礼します」


絢花が言って先に歩き出す。


「桜」


冴梨が桜の名前を呼ぶ。


「一緒には行けません。ごめんなさい」


最後の台詞は父親に対してだ。


大好きな父親の肉親だとしても、あたしはこの人を認められない。


いいよって、言ってくれるよね?


足早に女性の横を通り過ぎる。


と同時に声が飛んで来た。


「志堂だってあなたの家族じゃないでしょう!?」


胸が焼けるように痛くなった。


振り向き様言い放つ。


「両親を先に切ったのは、京極の家でしょう」


すぐに唇を噛み締めたのは涙を堪えるためだった。


本当は、何もかも無かった事にして忘れてしまいたかった。


実際、そうしようかとも思った。


けれど、絢花の一言で桜の目論みは綺麗に消え去る事になった。


尾行させないために乗り換えたタクシーの中で絢花が気まずそうに問いかけてきたのだ。


「桜、知らなかったら良いんだけど・・おじさまのご実家の京極って会社経営してたりする?」


「え・・分かんない・・お父さんからそんな話は聞いた事無いし・・なんで?」


「老舗のお茶屋さんなのよ、京極堂って。業界にも懇意にしてるお得意さんが沢山あって、その中の一つが、確か志堂傘下の陶器メーカーだったと思う」


「桜、黙ってるのはナシだよ。ちゃんと浅海さんにも幸さんにも話した方が良いと思う」


冴梨が不安そうに続ける。


どこに余波が出るか分からない。


京極の家だけでなく、会社の事があるから幸達は桜を志堂の表に出さないようにしてきたのか?


「分かってる・・ちゃんと話すよ」


乾いた声で応えて、窓に映った自分と視線を合わせる。


まるで迷子になった子供のような顔をしていた。



☆★☆★



今日、大学に親戚のおばさんが尋ねてきた。


帰って来た昴にそれだけ告げると、即座に質問が返って来た。


「京極のか?」


「お父さんのお姉さんって言ってたけど?」


どうでもいいような口調で応える。


昴が顔を顰めて桜の方を向き直った。


「お前は何処にもやらない」


決定事項のように告げられた言葉。


一気に涙腺が緩むのを感じる。


どうして昴はいつも、桜が一番欲しい言葉を言い当てるんだろう。


「・・そ・・そんな事言われてない」


「嘘つけ、京極の家に住んでるのも調べて来たんだろうが。最終的にはそこに行きつくに決まってる。志堂との繋がりを利用するつもりで近づいたんだろな」


溜息交じりに昴が言っ前髪をかきあげた。


「京極の家ってお茶屋さんなの?」


「やっぱり・・知らなかったのか。幸さんの言ったとおりだな。彼女自身・・・事故の時まで一切知らなかったらしいから。余計な事言って、不安にさせたくなかったから黙ってたけど・・ちゃんと話しとくべきだったな。悪い。お前ひとりが傷つけられた」


桜の顔を見れば、何があったかは簡単に想像がつく。


桜の一番深い心の柔らかい場所を抉った事も。


その場に一緒に居られれば、むざむざ傷つけさせるような事にはならなかった。


何としてでも守ったのに。


必死に平静を装う桜を抱き寄せてやる。


こんな時ですら、何でも無い事のように口にする桜が歯痒い。


泣いて、怒って、詰る権利は彼女にしかないのに。


志堂の中に囲い込む事で守ろうとした。


けれど、その囲いから桜を連れだしたのは他ならぬ昴自身だ。


志堂ではなく、浅海で桜を守る。


そう決めた筈なのに。


「絢花から聞いた。京極堂の大口取引先に志堂傘下の会社があるって。それって・・」


「ウチじゃない。確かに志堂の分家が取引してる会社の一つではあるけどな。だから、その事でお前が気に病む事ねェよ。お前は志堂じゃなくて、浅海桜になるんだ」


「あたしが、何処に居るかで・・昴や一鷹くんが不利になったりしないの!?」


「そんな事心配してたのか?」


顔を覗きこまれ、桜は俯く。


その後ろ頭を撫でた昴が頭に顎を載せた。


「昴が、何を大事に思ってるか・・あたしにだって分かる。だから、あたしも大事にしたいからっ」


昴が口に出さなくても、一鷹を、一鷹が背負う志堂を、どれだけ大切に思っているか。


そして、浅海の家を、志堂を守る場所に生まれた事を、誰より誇りに思っているか。


桜は痛い位知っている。


だから、その妨げになるものは絶対に持ちたくなかったし、自分自身がそれになるなんて以ての外だった。


「あのなぁ・・桜。お前ね、俺が浅海との間に挟まれて身動きとれなくなると思ったんだろうけど、それは違うぞ」


抱え込んだ桜の髪を何度も梳きながら、小さい子に言い聞かせるように昴が言った。


その声音が優しくて、このままでは涙腺が持ちこたえてくれそうにない。


「何でよっ違わないでしょ!あたしちゃんと見てるから知ってる、分かっちゃうんだもん」


気づきたく無くても、見ないフリしたくても。


どうしたって視線は昴を追ってしまうのだ。


とうとう泣きだしたらしい気配を察知した昴が腕を解いた。


案の定潤んでいる桜の眦に光る涙を指先で拭う。


「ちゃんと見てるなら分かるだろ?」


「え?」


「お前は俺を呼べばいい」


「何言って・・」


「浅海も志堂も関係ねェよ。迷うなよ、一瞬も。俺が選ぶ答えなんかすぐに分かるだろ」


昴がいつものように笑って言った。


「どっちも取る」

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