第13話 浴衣デートまで、カウントダウン!
秋展の最終確認の打ち合わせから戻るとすぐにメールのチェックを始める。
今週は分刻みのスケジュールが立て込んでいるので、メールや資料を確認する時間も取れない。
持っていた書類の束を机に乗せて、椅子には腰かけることなく、締めていたネクタイを緩める。
クールビスの流行で、社内では部署によってはノーネクタイも許可されているが、いかんせん外出が多いので外してしまうわけにいかない。
本来なら、上着も放り出してしまいたいところだ。
今日に限って言えば、席には荷物を置きに来たようなものだった。
後は、殆ど一鷹の部屋に詰めている。
「会議終わったンすか?」
「なんとかなー。来場記念品はギリギリ間に合うみたいでよかったよ」
隣の席の営業が安心したように頷いて立ち上がる。
「浅海さんも、一服行きません?」
煙草を取り出して言う後輩に首を振る。
確かに口が寂しくはあるが、それどころではない。
「まだ上への連絡残ってんだ」
「最近、本数減ってますよね?」
「そうか?」
「あんなにしょっちゅう喫煙室で顔合わせてたのに。あ、もしかして彼女が煙草嫌いとかですか?」
「ばぁか。違うって、単に忙しいだけ」
適当にあしらって、再びメールに視線を戻す。
・・・・たしかに本数減ったよなぁ・・
全く吸いたくないのかと言えばそんな事は無い。
けれど、暇さえあれば煙草を咥えると言う事は無くなった。
きっかけは、間違いなく桜だ。
一鷹からの頼みで、時間の許す限り病院に見舞いに行くようになった。
桜の様子は勿論、幸を適度に息抜きさせる事が目的だった。
初めは眠ったままだった桜が目を開けて、無表情だった彼女が少しずつが表情を取り戻して・・・
そして、桜の変化と合わせて幸の表情もどんどん明るくなって行った。
桜が動けるようになるにつれ、一緒にいる時間が増えていって、その分喫煙時間が減って行ったというわけだ。
一鷹たっての願いで、桜の面倒を見ているのだが、健康増進するとは思わなかった。
桜が笑うと、幸も笑う。
そんな彼女を見ていると、一鷹が幸せになれる。
志堂の家、一族、会社云々差し置いて、まずいの一番に考えるのは一鷹の幸せ。
それ以上望むことなんてなにもない。
使い慣れたパソコンで、上司に連絡メールを送る。
件名は本日のスケジュール変更。
★☆★☆
「これなんだ?」
喫煙室の前を通りかかった一鷹を捕まえて戦利品の写メを見せた時の、弟分の顔を思い出す。
一瞬目を眇めて、そこに映る想い人の姿を認めた途端、携帯を奪い取った一鷹。
「どうしたんですか!?」
滅多なことで声を荒げない彼が、らしくなく取りみだしている様が可笑しくて笑いをこらえるのが大変だった。
「偶然な」
あの日、車に戻ると同時に携帯が鳴った。
勿論、一鷹からの”無事に任務完了しましたか?”という確認だ。
『ああ、ちゃんと届けた、よろしく言っといたよ』
それだけ告げた。
だから、一鷹は何も知らなかったのだ。
ニヤリと笑って見下ろすと、自分より少し下にある茶色の目がスっと細められた。
珍しく敵意むき出してこちらを見返して来る。
「なんで偶然こんな写真撮れるんですか?」
「・・・そう怒るなって。こないだ、佐代子さんのおつかいで夜に行ったときにさ・・・」
冷たい視線で睨まれて、言葉足らずに気づく。
「5分としないうちに帰ったって。玄関からは上がってねーよ。お前の電話取った時は正真正銘車の中だったの。ったくお前も、くだんねーことで妬くな」
昴は溜息をついて、年下の弟分の頭を軽く小突く。
上下関係を考えたらありえない絵図だが、昔からこうなので仕方無い。
一鷹にとって昴は、物心付いた時から”年上のお兄さん”なのだ。
一鷹が不貞腐れた顔で呟いた。
「本当は俺が届けたかったんですよ・・」
零れた本音。
たとえ5分でも、一瞬顔を見てすぐに別れることになっても。
たとえどんなに離れ難くなったとしても。
それでも、一鷹自身が、会いたかったのだ。
昴ではなく。
春先に軽く揺さぶりをかけた時の、彼女の態度でなんとなく自信が付いたのか最近の一鷹は嫉妬心剥き出しだ。
思いのほか動揺した幸の顔にこれまで見た事のなかった表情を見つけたらしい。
”幸さんが、いつもみたいに躱さなかったんですよ。俺の顔を見て、言葉に迷って何も言わなかったんです”
欲しい言葉は何も貰えなかった。
けれど、今の立ち位置を否定する言葉も聞こえては来なかった。
それが、何より嬉しい。
・・・気持ち分からんでもないけどな・・・
彼の恋が始まった頃から、ずっと見守ってきたのだ。
名前すら分からなかった頃からずっと。
少しずつ近くなる距離が余計に気持ちを強くする。
近づいても、並んでも、不自然でない距離にやっと辿り着いたんだと改めて実感できる。
それくらい、一鷹と幸は”お似合い”なふたりだった。
傍から見れば、ちっとも姉弟なんかに見えない。
それでも糠喜びはさせられないので、敢えて口には出さないけれど。
恐らく、幸は一鷹に恋をしている。
自分でも気付かないうちに。
あいつを男として見てる。たぶん・・・桜の、あの事故から。
★☆★☆
許可も取らずに、赤外線受信で自分の携帯にデータを送る一鷹の背中を見ながらライターをポケットにしまう。
「ボーナスで買ったって言ってたよ。よく似合ってた。あの人の雰囲気に和装って似合うよなぁ」
携帯カメラ越しに見た桜と幸の浴衣姿を思い出す。
花が咲いたように鮮やかで可憐な2人。
が、慌てたように昴が付け加えた。
「だから・・・一般論だ、一般論」
再び一鷹にぎろりと睨まれてしまったからだ。
「なんで俺より先に見てるんですか」
「そりゃー不可抗力だろうが。お前の代打で行ったんだから」
「分かってます、知ってます、八つ当たりですよ、すいませんね」
「ちっとも謝ってねェぞ、お前」
「笑顔でお礼でも言った方がいいですか?」
慇懃無礼この上ない一鷹の外面を嫌と言うほど知っているので、丁重にお断りする。
「いや、いいから、遠慮させろ。つか、お前行った事無いのかよ?2人で花火大会とかさ」
「縁側で花火した事ならありますよ」
「へー・・」
「幸さんが、佐代子さんに帯の結び方を教わりに来た事があったんです。ついでですよ、ついで」
この口調からして、恐らく幸は意中の相手との夏祭りデートに向けて、浴衣の帯結びを覚えようとしていたんだろう。
「拗ねるなって」
「世の中の男の8割はあの人に見惚れるでしょうね・・この浴衣着てどこいくんだろ・・・夏祭りとか近々ありましったけ?」
ふいに口にした一鷹の問いかけに、あやうく口から出そうになった言葉を必死に呑み込む。
堪えろ、我慢だ、逃げ切れ。
「さあ?」
こうしてざっと眺めて見ても、かなりタイトなスケジュールだ。
一鷹の処理能力は決して低くない。
むしろ、社会人経験1年目とは思えないほど手際が良い。
学生のうちから、社内に出入りし基礎知識を叩きこまれてきただけあって、商品知識も現時点では申し分ない。
まさにこれからの成長が楽しみな存在だ。
その分、望まれる成果も大きい。
今の間に、顔合わせをしておきたい取引先も大勢いる。
いつでも、時間は足りない。
なので、無い時間を更に絞って捻りだした空白の数時間の為に、無理やり日にち変更をした打ち合わせも幾つかはあったが、コネを使っても、無理を通しても全てが変更という訳にはいかず。
スケジュールが予定通り順調に進んでも、花火の時間に間に合うかどうか微妙な所だ。
黙っておくのも辛いが、行けないと知って落胆させるのも忍びない。
写真だけでこれなのだ。
大勢が集まる場所に、桜と2人で行ったことを知ったら、落胆だけでは済まないかもしれない。
幸さんにはとことん目がないからなぁ・・
変更理由については、先方の要望として適当に誤魔化しておく。
一鷹の方もイチイチそこまで気にしないだろう。
というか、気にする余裕はあるわけない。
メールを送ると同時に、内線を1本入れる。
「あ、一鷹?今日の午後の予定変更してっから。内容メールで今送った」
「了解しました」
いつもの事務的なやりとり。
受話器を置いて、溜まっていた書類の処理に取り掛かる。
展示会関係の報告書は何とか午前中に纏めないと外出どころではない。
時計を見ると、10時40分。
「・・・こっから2時間が勝負だなぁ・・」
集客データをまとめて、冬展に向けての新しいアイデアと企画のプロットを起こす。
その間に、父親である副社長のところに顔を出してライバル会社の情報を収集しつつ昼飯ご馳走させるつもりだ。
パソコンを叩く指は迷うことなく文章を打ち込んでいく。
いつもなら一服したくなる時間にも拘わらず、昴の頭に煙草のことは少しも思い浮かばなかった。
ただ、浴衣の鮮やかな紅い花が脳裏から離れない。
それが何故かは、今は考える時ではない。
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