第14話 咲くのは花火かときめきか

屋台の前にはずらりと行列が出来ている。


いつもは静かな神社も、人で埋め尽くされてベンチはすでにいっぱいだ。


そこかしこから漂ってくる、鉄板焼きやタコ焼きのいいにおいと、喧噪。


鳥居をくぐってすぐに桜と幸は足を止めた。


予想以上の賑わいに顔を見合わせる。


「すごい人・・・」


桜の呟きに幸が眉をひそめた。


せっかく綺麗に着付けしたのに、こんな人ゴミでは着崩れてしまう。


少しでも人の少ない場所を歩こうと視線を彷徨わせるけれど、どこもかしこも人だらけだ。


「花火が始まったら身動きとれないわ。今のうちに食べ物買い込まなくちゃね」


「お腹空いてすから、何でも入るよ!」


「おやつ食べて無かったものねー、ちょっと摘んでても良かったのに」


いつも自宅のリビングには焼き菓子が置いてある。


定期的に一鷹が送ってくれるのだ。


”女の子には甘い物でしょ”と言うのが彼の持論らしい。


と言うのも、一鷹の親友である亮誠の受け売りであるらしいが。


「折角お祭り行くんだから、お腹空かせなきゃと思って」


「楽しみにしてたんだ」


「かなりねー」


桜の言葉に頷く幸の耳元には小さなトンボ玉のピアス。


紅い小さな金魚が揺れている。


髪には大ぶりの赤い花。


黒髪に鮮やかに咲いている様は視線を集める。


淡いピンクの簪と同じ色のピアスを付けた桜の髪は緩く巻いてあって、歩くたびにふわふわと揺れる。


コテで綺麗に仕上げてくれた幸に感謝しつつ、桜は知らない人に溢れた屋台通りをぼんやりと見やる。


当然の事ながら、昴は居ない。


やっぱり、一緒に花火を見たいなと思ってしまう。


きっと仕事だし、忙しいの知ってるし・・


吹っ切るように視線の先にある焼きそばの屋台を指差した。


「焼きそば食べたいなー」


「ソース大丈夫?お箸だし、座れないかもしれないから、一口で食べれるものの方が良くない?」


歩きながらでも摘めるものの方が良いのではと幸が提案してきた。


「あ、そっか、じゃあたこ焼きは?勿論青のり抜きで」


可愛い浴衣なのに、歯に青のりは頂けない。


「うん、そっちにしましょ」


「あと綿あめー」


「浴衣、べたべたにしない?」


尚も心配そうに尋ねられて桜は顔をしかめた。


その表情を見て、幸が小さく笑う。


「だって、さぁちゃん昔っから綿あめ食べるのヘタクソでしょ?最後はいっつも残してお砂糖で汚れた手で浴衣触ってはおばさんに怒られてたじゃない」


「そんなことあったっけ・・・?」


「あったわよう。それで、いっつも手を洗いに連れて行くのはあたしの役目・・・ふふっ・・懐かしい」


幸は自分の腰くらいまでしか背丈が無かった頃の小さな桜を思い浮かべる。


ボンボンのゴムからピョコンと跳ねた髪を揺らしてテクテク歩いて来た桜。


その手には、すっかりぺしゃんこになった綿あめ。


おばさんはあんまり髪を結うのが上手な人じゃ無かったから・・いっつも直してあげてたのよね・・・・


三つ編みすら四苦八苦する叔母を見るに見かねて、発表会や入学式に卒業式、学校行事のたびに幸は助っ人として呼ばれた。


今日はおだんごリボンにしようねー。


可愛い髪ゴム持って来たよー。


たまには編み込みにしよっか?



写真に残る桜の髪型はどれも幸の最高傑作だ。


口元に笑みを浮かべたままで、幸が桜の髪に手を伸ばす。


緩く波打つ栗色の髪。


耳の上でピョンピョン跳ねてきた柔らかい猫っ毛。


いつの間にかこんなに伸びたのね・・・あとで写真撮らなくちゃ。



「綿アメやめて人形焼きにする。これなら浴衣汚れないしね、いいでしょ?」


「いいの?」


「うん、あ、そこのお店でたこ焼き買お!大きいタコ入り、だって」


「どうしても食べたくなったら、帰り際にお土産にするのはどう?お家に帰ってからゆっくり食べるの」


「それいい!!」


ふたりでお店に向って歩き出す。


家族連れ、カップル・・色んな人とすれ違う。


行き交う人は皆揃って笑顔だ。


これから始まる花火を心待ちにしている様子が伺える。


桜は前からやってくる高校生のカップルに目をやった。


口いっぱいに食べ物を頬張る女の子。


食べる事に必死なようで、ちゃっかり周りの屋台もチェックしている。


その視線に抜かりは無い。


赤に白とピンクの撫子が咲き乱れている可愛らしい浴衣。


彼女の雰囲気に良く似合う、華やかな印象のそれ。


飾り帯も流行のヘコ帯で、まさにファッション雑誌から抜け出してきたような出で立ちだった。


そんな彼女の手から、たこ焼きのパックを受け取ったのは隣りを歩く彼だ。


呆れ口調で彼女に突っ込む。


「こら、茉梨、欲張るなって」


「んーへほ、ほひひひ」


理解不明な発言をきちんと聞き取って頷く彼。


「そりゃ良かったな。ん、こっち向け」


さっそく次のターゲットを探して目をキョロキョロさせる彼女の腕を引いた。


彼が彼女の口元を擦る。


「んー?」


「ソース付いてる」


「やばい!浴衣汚したら殺される!」


「だろうなあ・・・、無色のもん食えよ」


「えー・・・そんなもんどこにあるってのよ」


「ソーダとか、白いワタアメとかさ」


「それはなかなか出来ない相談ってやつね。さーって・・ところで勝さん」


「やめれ気持ち悪い・・・なに?」


怪訝な顔でそちらを振り向く彼に、手にしていた食べかけのりんご飴をずずいと差し出す。


「献上いたしますわよ」


「なーにが献上・・だっ!」


ピンと彼女の額を弾く彼。


当然目の前の彼女からは非難の声が上がった。


「いったーい!」


「・・・だーから小さいほうにしろっつったろ?」


「だって50円しか違わないんだもん!おっきい方が得でしょうよ!大は小を兼ねる!この名言知らんとでも!?」


「やかましい。こういうときだけ主婦ぶりやがって・・・ったく・・」


文句を言いつつリンゴ飴を齧る彼。


「うーわ・・甘すぎ・・虫歯なりそ・・」


「その甘さが癖になるんだよねー。ほら、見た目も可愛いし?持ってるとテンションあがるし?」


「でも、すぐに飽きると」


「さーって次どれ行こうかなあ」


「さっきからずーっと食ってる気がするのは俺の気のせいか?」


「どうしよう!あたし意外と底なし胃袋だったみたい!驚き驚き新発見」


「得意げに言うなっつの」


「食欲旺盛は健康的でいいじゃないのさ」


「健康的過ぎると思うのは俺だけか?」


「あたしがタコ焼き1パックでご馳走様!とかい女の子だったら、あんまり面白くなくない!?」


真顔で返す彼女を、ジト目で見降ろして何か言いかけて、やめた彼。


無言で彼女の腕を引っ張って、海沿い脇道に入っていく。


終始カップルを目で追っていた桜が呟いた。


「・・・いいなー・・・」


楽しそうで。


「どうかした?」


たこ焼きを受け取った幸が問いかけてくる。


「ううん・・・なんでもない」


「そう?じゃあ、人形焼き買いに行ってどこか座ろうか?飲み物はペットボトルあるからいいわよねー」



すっかり空を覆った闇色に、屋台のライトが眩しく映る。


虫の声と波の音。


海上花火ならではのBGMだ。


花火が始まるまで15分を切っていた。



「高台の方がよく見えるよね?」


「そうねー・・浴衣だけど、坂道大丈夫かしら?」


「みゆ姉の運動神経じゃーちょっと心配かもねー」


桜が笑う。


幸は唇を尖らせて言い返した。


「さぁちゃんが転んだって助けてあげないわよ」


「あたしは平気だもん。みゆ姉より運動神経良いし!」


「あたしだって別にめちゃくちゃ運動神経悪いって訳じゃないのよ?そりゃあ決して運動は得意じゃないけど」


「だって、逆上がりも倒立もできないじゃん」


「あのねえ!さぁちゃん!!逆上がりも倒立も、大人になったらなんの役にも立たないの。別に出来なくたって平気よ。あたし、ちゃんと社会人やってるもの」


妙に自信たっぷりに言って幸が胸を張る。


「そうだよねー。けど、シスターが言ってたよ。あれで、体育の成績さえよければ文句なしだったのにーって」


「もう!」


珍しく子供のように膨れ面した幸の浴衣の袖を引いて桜が言った。


「ねえ、やっぱり綿あめ食べたくなっちゃった」


「いいわよう。もうさぁちゃんも大人だもんねー。浴衣汚したり、しないわよね?」


「当然でしょ」


桜の言葉に頷いて、幸が問いかける。


「一緒に行こうか?」


「ううん、大丈夫!たこ焼きとかあるし、人も多いから荷物持ってここで待ってて」


再び人ゴミに戻りながら桜は言った。


確かに荷物を持った幸が一緒に行ったら余計身動きが取れなくなりそうな気がする。


はぐれる可能性も高い。


「焦らなくていいからねー」




★★★★★★



あっという間に人波に消えた白い浴衣を見送って幸は花火が打ち上げられる海に視線をやった。


・・・ここの花火大会に来るのは学生以来かもしれない・・・・


仕事帰りみんなで行くことはあったし、恋人と花火を見に行ったこともある。


けれど、こうやって浴衣を着てちゃんと見に来るのは本当に久しぶり。


・・・この浴衣見たらなんていうかしら・・・?


ふと浮かんだ従弟の顔を慌てて打ち消す。


イチ君がなんで出てくるの!?この間から、やたらと意識しちゃうし!


いつだって一定の距離(自分にとって心地よい距離)を保ってくれていた筈の彼が、急に距離を縮めたりするから。


一瞬、ほんの一瞬だけ、一鷹が全然知らない人に見えた。


見たことの無い、男の人に見えた。


そして、彼の言葉の意味を考えたら、パニックになった。


だって、他意は無いって分かってるけど!


不意打ちにしては強すぎる言葉だ。


4つも年下の従弟にドキドキするなんてどうかしている。


しっかりしなくっちゃ・・・彼は、頼りになるし・・・もう昔みたいに弟扱い出来ない位、ちゃんとした男の人だけど・・・・


ってそうじゃなくって。



何だか、最近自分の立ち位置が分からなくなっている。


これまでは”お姉ちゃん”と”弟”だったのに。


一気にその立場が逆転してしまった。


姉と弟、従妹と従弟。


その立ち位置が変わったら、あたし達は何なんだろう。


友達よりはずっと近しくて、姉弟でもなくて、家族だけど、家族じゃ無くて。


ぐるぐると考え出した幸の肩に伸びてくる腕があった。


一瞬遅れて声がかかる。


「幸さん?」


「はい!」


反射的に返事をしてから気づいた。


いるはずのない人が、そこにいた。



★☆★☆


「はい!お待たせ!!ちょっと大きめにしといたよー」


渡された袋を受け取って、桜は歓声を上げた。


かなり大きな綿アメだ。


「すっごいおっきい!!嬉しいーおじさんありがとー!!」


桜の笑顔に、店のおじさんもまんざらでも無く笑みを浮かべる。


時計をしていないから分からないが、急がないと花火が始まってしまうかもしれない。


屋台前の人通りはさっきよりも増えていた。


ここから目視で幸の居場所は分からない。


一応携帯を鳴らした方が良いかもしれない。


足早に店を離れた桜は、幸のもとへ向かおうと方向を変えた。


綿アメを片手に空いている方の手で巾着の口を開けようとすると、急にその手を掴まれた。


「やっと見つけた!」


一番聞きたかった声が耳元でして思わず夢じゃないかと思ってしまう。


振り向くのが怖い。


でも、この煙草の香りを知ってる。


うん。


間違いない。


「浅海さん・・なんで・・?」


意を決して振り向いた視線の先に、ネクタイを緩めながら桜の顔を覗き込んでくる彼を見つけた。


「仕事が早く終わってさ。っつーのは嘘で、無理やり終わらせたんだけど」


「え・・なんで・・」


「何でって・・そりゃー、2人で花火大会行かせるのはマズイだろ。虫除けだ、虫除け」


「誰も寄って来ないよ、あたしが目を光らせてるから」


さっだってちらちらと幸に視線を送る数人の男の子のグループを無言で威嚇してやったのだと桜が言った。


「威嚇って・・危ない事すんなよ・・幸さん狙いとは限らんだろ」


呆れ顔で言った昴の言葉は喧騒にかき消されてしまう。


「え?」


「何でもない、とにかく、ヘンなのに捕まらなくて良かったよ」


「平気よ、慣れてるから」


と言ってのけた桜が思い出したように続ける。


「あのね、みゆ姉が」


「ああ、知ってる、幸さんを先に見つけてお前の居場所を聞いたんだ。あの人には一鷹が付いてるから心配ないよ」


「そっか」


桜が明らかに安堵の表情を浮かべた。


さっきのグループだけじゃない。


店を物色する最中もずっと視線が集中していたのだ。


幸を長時間ひとりにしておくのは非常にまずい。


そんな桜を見て昴が口元を緩める。


「一鷹の代わりにボディーガードしてくれてたんだな」


「あの人、自分のことになると途端ダメだから」


「あー・・・ちょっと無防備なとこあるよな」


「でしょ?」


腰に手を当てて言う桜の首元に揺れる柔らかく巻いた髪を昴の指が撫でた。


ドキンと跳ねた心臓を慌てて押さえる桜。


意味なんて無いと自分に言い聞かせる。


くしゃりと撫でようとしたのだが、髪が結いあげられていたので、いつものように撫でられなかったらしい。


頬が赤くなる。


体が熱い。


気付かれたらどうしよう。


距離を取ろうにもこの人ごみだ、上手くいかない。


もし、上手く離れられたとしても、はぐれてしまう可能性が高い。


そして、何より、離れたくない。


頭と心が違う指令を出す。


体はどっちにも動けない。


掴まれた手を滑らせて手を繋がれる。


そのまま引かれるように人ごみを抜けた。


・・・夜で良かった。


きっとお店のライトで赤くなった頬は分からない筈だ。


「可愛いな。どーやってんの?これ」


「編みこみにした髪を結んで、裾は緩く巻いてねじってピンでとめるの。雑誌見ながら2人で一緒にしたんだ。これはみゆ姉が巻いてくれたの」


「へー・・女は器用だなぁ・・・」


「でしょ?」


満足気に頷いた桜の手を引いて昴が時計を確認する。


「んで、綿アメ以外にはもういらんのか?」


「あと、人形焼き!」


「たこ焼きも買ったんだろ?入るのか?」


「全然余裕だよ、まだまだ入るもん」


「すっかり食欲戻ったな」


入院中は小食だった桜の様子を一鷹から聞いていたのだ。


「前より食欲旺盛になった位」


「良かったな」


素直に喜んで微笑む昴。


その視線はどこまでもただただ優しい。


彼と自分の立場を忘れて勘違いしそうになる。


この手に意味なんか無いのに。


「じゃあ、それ買って、のんびり戻るかぁ」


事も無げに手を繋いだままで昴が元来た道を歩き出す。


「のんびりって・・」


「ちょっと位ふたりきりにしてやってもいいだろ?」


「あ・・そーだね」


「なんだ、もう姉恋しい病か?」


「そんなこと無いよ」


笑って言い返す。


そのまま繋がれた手に視線を落とした。




自然に納まったあたしの手。


きっと、何でもない。


人が多いからだし。


”可愛い”も特別じゃない。


愛情は入ってない。


それでも、それでも。


カケラの期待にすがってしまう。




恋にならなくてもいい。


変わらなくてもいい。


繋いだ手は、離さないで。


もっともっと遠くまで。

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