第8話 彼女と彼女のお友達
校門を出てすぐの角で、いつものようにハザードをたいて車を停める。
紺のワンピースという今時珍しいくらい古風な制服に身を包んだ、聖琳女子の名に恥じない可憐な女子高生たちがグループで、あるいは1人で昴の車の横を通り過ぎて行く。
完全に守られたエスカレーターで育つとああゆうのが出来あがんのか?
世間を騒がす今時の女子高生とは正反対の清く正しく美しくを地で行く彼女たちのほとんどは、大学までの8年間をこの学園で過ごす。
幸もこの学園の卒業生らしい。
だから、歳の離れた従妹が同じ高校に通うと知った時はとても喜んだそうだ。
あまり彼女の学生時分の話は聞いた事がないがさぞや目を引くお嬢さんだったことだろう。
校門の前で立ち止まって、キョロキョロとあたりを見回す桜の姿がバックミラー越しに見えた。
友達に手を振ってすぐに昴の車に気づいて小走りで掛けてくる。
助手席のドアが開いて、新緑に撥ねる眩しい日差しと共に桜が乗り込んできた。
運転手が昴であることを確認して、ホッと息を吐く。
その様子に昴が怪訝な顔をした。
カバンを後部座席に放り込んだ後、シートベルトをつける桜の方に視線を向ける。
ウィンカーの音が車内に響く。
「どうした?」
「え?」
「やったら険しい顔でこっち見るから」
「ええ?あー・・・うん・・・」
「なんだよ、車酔いしそうとか?」
最近ずっと体調が良いと聞いていたけれど、今日は具合が悪かったのだろうか?
桜は最初に自宅へ連れて帰って以来、一度も自分から弱音を吐いた事が無い。
病院で目覚めた時も、取り乱す事も、我儘を言う事も、塞ぎこむ事もなかった。
いつでも、自分の中に溜めこんで限界まで我慢する。
そして、必死に押し隠す。
相手が大切な人であればあるほどに。
それは、幸に余計な心配をかけまいとする桜の姿で簡単に見て取れた。
そして、幸も同じ性分なのだ。
桜の為なら、どんな苦労もいとわない。
大好きな仕事も二の次にして、桜の為に全力を尽くす。
そんな二人だから、見ているこちらは気が気でないのだ。
いつか、無理がたたって倒れるんじゃないかと思う。
なので、昴は桜と出会ってからずっと彼女の小さな表情の変化も見落とさないようにと務めてきた。
きっと、一鷹も幸に対して同じ事を考えているはずだ。
昴の言葉に桜は思いっきり首を振って答えた。
「違う違う!ってゆうか、車酔いとかちょっとの間言わないで」
「は?」
ますます怪訝な顔をする昴。
意味が解らない。
けれど、桜は急かすように昴の腕を叩いた。
いつまでも停まっている車に、女子高生たちの視線が集まってくるのは困る。
「とにかく、行こう、ね?」
「あ・・ああ・・」
仕方なく車を車道に戻した。
長い坂道を抜けて、大通りに入る。
16時過ぎの駅前は人もまばらで、学生ばかりが目立っていた。
膝上10センチが平均のスカート丈の他高生と打って変わって、こちらはひざ下5センチをきちんと守ったお嬢様スタイル。
けれども、その制服にそぐわないほど表情をゆがめて、健やかとは言い難い口調で桜は話し始めた。
週末の悪夢を。
☆★☆★
日曜の朝、遅めのブランチを取っていた11時。
ワイドショーの芸能ニュースをぼんやり眺めていた桜の前に、デザートの苺のお皿を押しだして、幸はお姉ちゃん仕様の極上の笑みを浮かべていた。
おそらく、ここに一鷹が居たならうっかり見惚れてコーヒーカップを取り落としてしまったに違いない。
それ位威力のある完璧な微笑みだった。
ちょうどCMに入って、春色の鮮やかな車の映像が流れる。
「さぁちゃん、買い物、行かない?」
唐突な幸の言葉に、桜は冷蔵庫と食料庫の在庫を思い出して首を傾げる。
「え、食材まだあるよ?」
週末に買い込んだ食材は、まだ残っているし、明日の夕飯は冷凍ストックのトマトピュレを使ったパスタだ。
付け合わせの野菜もスープの材料も十分にある。
けれど、桜の買い物と、幸の思う買い物は全く目的地が違ったのだ。
幸は桜の顔を覗き込んで、キラキラと目を輝かせて名案を口にした。
「そうじゃなくって、デパートよ」
「デパート!?」
「可愛い洋服欲しくない?」
「欲しいけど・・お姉ちゃんこないだ、ネットで買った服結構な額じゃなかった?」
「あれはあれよ」
あっさりと言ってのける幸は、ショップのバイヤーという立場もあっていつでもお洒落に気を使う。
ひと月の服飾代も相当な額だ。
それを考えても、つい先週のネット注文の金額はかなりの高額だったと思う。
思案中の桜の手をギュッと握って(恐らく一鷹なら即決だっただろう)言った。
「ね?行こう」
二人の住むマンションから、百貨店のある都心部へ出るためには、電車で40分と徒歩で10分ほどの時間がかかる。
そのため、たまに二人でショッピングに出かける時は、気を利かせた一鷹が車を出してくれていた。
というよりも、コブつきでも、休日を幸と一緒に過ごしたかっただけなのだろうが。
「志堂さんに車頼んでるの?」
車なら、高速を使えば30分足らずで向える。
すぐに準備をしなくちゃと立ち上がる桜に幸は満面の笑みで告げた。
「あたしと、ドライブしましょ」
幸の家に車があることは知っていた。
幸の父親がまだ日本の大学で教鞭をとっていたころ、車通勤をしていると聞いたことがあったからだ。
けれど、まさか幸が免許を持っているとは知らなかった。
「車ってどこに停めてあるの?」
「ここの駐車場はもう解約しちゃっててね。友達の仕事場に、置かせてもらってるの。普段は、その子に貸してあげてるんだけど」
「へー・・え」
曖昧に答えながら必死で頭をフル回転させる。
・・大丈夫なんだろうか?だって、バイパス走るんでしょ?
決して運動神経が良いとは言えない(本人はひたすら運動はちょっと苦手なだけ!と言い張るが)幸の普段の生活態度を見ている桜は一抹の不安を覚える。
それでも、幸の性格を考えると電車で行こうと言ったところで頷く訳がないのだ。
幸は柔らかい見た目とは裏腹で物凄く頑固だから。
桜は不安を抱えたまま、着替えるために自分の部屋へと戻って行った。
リビングには、鼻歌交じりで食器を洗うご機嫌な幸ひとりが残された。
☆★☆★
天気は良好。
まさにこういう日をドライブ日和と言うのだ。
多分、いつものように昴の運転や、一鷹の運転であれば
「わー良い天気!晴れて良かったねー!」
なんて鼻歌交じりに言えたであろう。
けれど、今日は違う。
隣りを歩く幸がハンドルを握るらしいのだ。
どれくらい運転したことある?
問いかけたいけど、問いかけたくない。
聞いたら、助手席には乗れない気がする。
隣りを歩く幸は、さっきから上機嫌で何を買おうかしきりに話しかけてくる。
適当に相槌を打ちながら、桜は酔い止めを飲んで来なかった事を今更後悔していた。
けれど、予想に反してマンションから徒歩5分の美容室の前で、なせか桜はスタッフらしき女性とご対面させられた。
ドライブの前にカットでもするつもりなんだろうか?
不思議に思って幸と女性スタッフを見やる桜に向かって幸が隣りの女性を示す。
「さぁちゃん、こちらは、あたしの高校時代からのお友達の、武内エリカさん」
「はじめまして、いっつも幸から車ぶんどってる友達のエリカです」
見た目通りのさばさばした口調が返って来た。
「やーねぇー飾っててもしょうがないじゃない。乗って貰って丁度いいのよー」
話が見えないままで、桜は軽く会釈した。
「はじめまして、京極桜です」
改めて目の前に立つエリカを見た。
すらりと長い手足、中世的な顔立ちに、淡いブラウンベージュの短い髪。
耳に飾られたシンプルなピアスがキラキラしている。
・・・・格好いい人だなー・・・
きっと女子高生の頃は大人気だったことだろう。
演劇部とかに入ってたら、アイドル扱いされそうだ。
「あなたが、幸の秘蔵っ子のさぁちゃん、ね。話はずっと聞いてたよー。可愛い従妹がいるってしきりにいうから。いつか会いたいって思ってたの。会えてよかった」
にこりと微笑まれて、女性と知っていても赤くなってしまう。
「んで、どこまで行くの?」
「んーとりあえず、夏物見たいから、中央百貨店かなー」
「ふーん、オッケいいよ。いっつも車借りてるし、今日は一日お付き合いしましょう」
「・・・なんだ、運転手は武内さんなのね」
幸のドライブだとばかり思っていた桜はホッと肩の力を抜いた。
「さぁちゃんも知ってるでしょ。あたしが免許持ってないの」
「そだっけ?」
「そうよー、だから今日は運転手お願いしたのよ。エリカにも会わせたかったし」
「幸にハンドルなんて握らせられないわ。あんたが持っていいのは包丁くらいね」
「失礼ねー。仕事が落ち着いたら免許取るわよ」
「やめなさいって!高校まで自転車乗れなかったくせに何言ってんのよ!」
「え!そうなの!?」
「ちょっともう!さぁちゃんの前で変なこと言わないでよー!」
「へんな事って事実でしょうがー」
幸の悲鳴を無視して、エリカは大笑いしながら学生時代の面白エピソードを話して聞かせた。
「・・・その友達の運転で行ったんなら、楽しいドライブになったんじゃないのか?高校卒業してからなら、相当運転歴もあるだろうしなー」
赤信号に引っかかって、昴はゆっくりとブレーキを踏んだ。
急に減速することも無く、滑らかに車は止まる。
ぎゅっと唇を引き結んでいた桜が、車が止まるのを待ってから口を開いた。
「・・・違ったの・・・あたしが今まで乗った中で、一番デンジャラスドライブだったのよ」
「なんだそりゃ?車酔いでもしたか?」
「ジェットコースターに3回連続乗ったときみたいな・・・」
「そりゃすごい体験だな」
「人ゴトだと思って・・・浅海さんって車酔いしたことある?」
桜の問いかけに昴が記憶を巡らせる。
「無いなぁ・・一鷹が免許取り立ての頃は練習に付き合うとたまーに酔ってたけど。基本俺、自分の運転でしか出かけないからな」
運転好きだし、と付け加えた昴の言葉に桜が盛大に頷いた。
「もう、あたし絶対、浅海さん以外の人の運転する車に乗らない!!」
熱く語る桜の横顔をチラリと見て、昴は言おうとした言葉を飲み込む。
きっとなんてことない、そのままの意味だ。
「一鷹も、運転上手いよ。あいつのが丁寧だから、大丈夫だ」
確かに、言われてみれば一鷹の運転は性格そのままの、滑らかで優しい運転だった。
法定速度きっちり守る完璧な安全運転。
「なら、志堂さんと浅海さん以外の人とはドライブしない!」
昴が苦笑いしながら、桜の頭をいつものように撫でた。
「そうだな、それがいい」
その手が離れるのを待ってから桜が不思議そうに言った。
「でもね、不思議なのが、車には傷一つ付いてないのよ。あんっなにガタガタ揺れるのに、どーやって避けてるのかほんっと不思議・・・」
「ある意味運転上手いんだろうなぁ」
「あたしが免許取って、そのうちみゆ姉をドライブに連れてってあげようと思ったわ。あんな危険な人に任せておけない!しかもエリカさんの運転でも全然怖くないっていうみゆ姉の神経もどうかと思うし!!ほんとの安全運転がどんなもんかあたしが見せてあげるのよ!」
「そりゃー・・立派な心がけだ」
おそらく幸も免許を取ってドライブに連れて行ってやろうと考えているだろうと想いながら、昴はちらりと横目で桜を見て笑った。
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