第7話 それは愛情と同じ

買い込んだ荷物と、桜を送り届けて会社に戻ると、ちょうど会議から一鷹が部屋に戻ってきた。


桜の事故以降、社員の目を気にせずすぐに動けるように、役員フロアに仮の個室を用意してもらっていた。


「ああ、お帰りなさい。ご苦労様です」


書類をデスクに投げて、上着をスタンドにかける。


個室のブラインドを下ろして、昴は言った。


「検査の結果も良好で、異常もなし」


その言葉に、一鷹が安堵した表情を浮かべる。


「これで、幸さんに電話出来ますよ」


「早く電話して、安心させてやれよ」


「浅海さんの方が、ホッとした顔してますけどね」


デスクに戻った一鷹が、頬杖をついて面白そうな顔でこちらを見てくる。


昴は顔を顰めて一鷹を見下ろした。


そういう風に見えるのは当然だ。


これは、自分に任された任務で、仕事で、責任ある事なのだから。


桜は、そもそも自分にとってもすでに他人ではない。


一鷹が、幸を手に入れると決めた以上、これから必然的に関わって来る相手なのだ。


この、志堂に。


「大事な幸さんの預かりものだからなぁ」


一鷹の、大事な、幸さんの。


それは口には出さずに心で付け加えた。


ソファに座って煙草に火をつけた昴の顔をじっと見ていた一鷹が口を開く。


「・・浅海さん」


神妙なその呼びかけ。


浅海家の二男である昴が、とある事件をきっかけに一鷹の側近になると決まった時からずっと、昴に対する姿勢を一鷹は変えていない。


名目上上司扱いとなっている今も。


「ん?」


まさかここでも禁煙にするんじゃないだろうなと、眉間に皺を寄せる昴。


彼の、全くいつもと同じ表情に、一鷹は言葉の続きを飲み込んだ。


本人が気づいていないのに、言っても仕方ない。


・・・というか、あまり言いたくない。


自分はどちらの味方かと訊かれたら答えに困る。


できればこのまま中立の立場に立っていたいのだ。


それにほら、他人の色恋に首突っ込んでる場合じゃないんだし・・・


むしろこっちは、もう崖っぷちなのだ。


迫る期限。


時限爆弾を抱えているのは自分の方だ。


彼女を一度、欲しいと思ってしまった以上もう引き返せない。


もとよりそのつもりもない。


「いえ・・・いいんです。あ、午後の会議時間変更になったんで、俺はちょっと抜けます。14時には戻るんで、こっちで仕事してて下さい」


「分かった。俺も午後は社長から呼ばれてるんだ。次の親族会の打ち合わせもあるし」


「判りました」



★★★★★★



13時過ぎに、近くまで行くんでちょっと会えませんか?


そんなメールが一鷹から届いたのは12時すぎ。


打ち合わせが終わったところだったので、大丈夫よ、と返事をして残りの仕事を片付ける。


どうせ午後は、新作の発注打ち合わせで生地店をいくつか回るつもりだったのだ。


気分転換にもなるしちょうど良い。


帰社予定をボードに書き込んで、少し早目にビルを出た。


・・・今頃みんなでご飯中かしら・・?


楽しんでいるならいいと思いながら、携帯を開いて、桜の番号を呼び出す。


すぐに電話は繋がった。


「もしもし、みゆ姉?」


明るい第一声に、自然と笑顔になる。


「メール見たわ。異常見つからなくてよかった」


「うん、ありがと・・・あと、お昼も」


後ろから聞こえる女の子の話し声。


何度か病院に尋ねて来てくれた、絢花と冴梨の声だろう。


「賑やかそうねェ。楽しんでる?」


「久しぶりに喋り通しだよ、声枯れそう。学校の事とか、授業の事聞いてたら、早く学校行きたくなっちゃった。皆から手紙も預かって来てくれたの」


「良いことよ、女の子同士で騒ぐのもいいじゃない。手紙良かったね。お返事書いて持って行かなきゃね」


「うん、便せん買いに行く」


「あ、じゃあ駅前のお店は?この間ラッピンググッズ見に行ったじゃない、また一緒に行こうか?」


「行きたいー。あ、帰ってきたら、あまりの散らかりようにびっくりしちゃうかもよー?」


「じゃあ、気合い入れて帰るから、一緒に掃除しようね」


桜が元気になるなら、部屋の掃除位なんてことない。


「はーい。あ、さっきね、洋菓子の詰め合わせが届いたの、志堂さんから・・」


「イチ君には、あたしからお礼言っておくわ。ちょうど今からランチに行く予定なの」


「え、ランチ?」


「うん、お礼もしたいし、ほらイチ君もずっと忙しかったから。なかなかゆっくり会えなかったのよ」


「そっか・・わざわざ会いに来て貰って本当に喜んでたって伝えてね」


「うん」


「お菓子、みんなで頂きますってのも伝えね。すごく喜んでたって」


「分かったわ。今日は、19時には帰れるから。また電話するね?」


「うん、ありがとう。仕事頑張ってね」


桜の言葉に、素直に頷いて電話を切る。


タイミング良くビルの前に滑り込んでくる一鷹の車が見えた。


助手席に乗り込むなり、幸が言った。


「イチ君が、さぁちゃんに甘いのはあたしに似たせいかしら?」


車道に戻ろうとウィンカーを出した一鷹はハンドルを動かす手を止めて、きょとんとした顔で、数年来の想い人を見返した。


「はい?」


「わざわざ篠宮さんのお店のお菓子、届けてくれたんでしょう?ありがとう。すごく喜んでたわ」


「・・ああ、快気祝いですよ。喜んでたならよかった」


「昔からホントに気が利く子だったけど」


「そうかなぁ?」


笑いながら一鷹が今度こそハンドルを切る。


助手席の幸は悔しそうに呟いた。


「何でもあたしの上を行っちゃうのよね、イチ君って」


「そんな事ないですよ」


「あ、でも、さぁちゃんに関しては、負けないから絶対に」


妙にキッパリ言われてしまう。


そんなの、あなたを喜ばせたいからにきまってるでしょう?


そう言いたいのを必死に堪えて、車を走らせる。


昼時の道路は、思いのほか混んでいて裏道を通るべく交差点を左折する。


「幸さんと張り合おうなんて思ってませんよ。むしろ、俺は桜嬢と張り合おうとしてますから」


さっきの仕返しとばかりに、言ってやる。


鈍い彼女は気付かないだろうけど・・・


「・・やーね。大丈夫よー。二人とも大事なイトコだから。そんなとこで張り合わないで」


クスクスと笑いだした幸。


「張り合うって言うか、俺が悔しいのかな?」


真顔で言ったのに、幸は笑って取り合おうとしない。


「子供みたいな事言って」


なんてあっさり躱して見せる。


そんな彼女の横顔を眺めながら、予想通りの答えにこっそり肩を落としつつ、けれど今、彼女の内側に間違いなく存在する自分を確認して、安心する一鷹だった。


裏道に出るとさっきの渋滞が嘘のように車の流れが速くなった。


これなら、少し位ゆっくり出来そうだ。


「幸さん、午後からの予定は?」


「この後、琴緒町の生地店で打ち合わせなの」


「じゃあ、東方面の店にしましょうか」


「お勧めのお店ある?」


「リクエストは?」


「お夕飯が和食だから、それ以外で」


「了解しました。食事の後は目的地まで送るか」


「ありがとう」


一鷹の言葉に頷いて、幸は窓越しに流れて行く道路脇の街路樹に目をやった。



★★★★★★




「っきゃー!!美味しそう!!」


包装を解くなり現われた焼き菓子の数々に嬉しい悲鳴を上げたのは絢花だ。


紅茶を入れながら、覗きこんだ冴梨は目ざとく新作の焼き菓子が入っていることをチ

ェックする。


内輪の試食会などではすでにお目見えしているらしいが、これからパッケージなども決める予定と聞いていた。


勿論試作品でも、新作でもいの一番に食べられる立場にある冴梨は、どれがよりお勧めかすでに熟知している。


亮誠に言って、新しいお菓子は必ず届けて貰うようにしてあるのだ。


さっそく焼き菓子を摘む桜の手元を見ながら思う。


まだ商品化は結構先って言ってたのに・・


さすがに上お得意様にはお出しするんだ。



そう思ってみれば、一昨日デート中に誰かから電話でケーキを注文されてたなぁ・・やけに砕けた口調で話していたので、友達だろうと思っていたけど・・・


志堂さんの事だったのか。


「幸さんの従弟って、優しい人ねー」


マドレーヌを頬張りながら絢花が感心したように呟く。


馴染みのまろやかな生地が口いっぱいに広がった。


「んー・・ほんっと気が利く・・・っていうか出来る人だと思う。仕事忙しいのに、あたしのことまで気を回してくれて、病院のこととかも手配してくれるし・・」


「でも、なんで幸さんは、そんなハイスペな従弟さんから熱烈アプローチ受けててコロっと行かないのかなあ?」


絢花が腑に落ちないと言った表情で空のティーカップを押し出した。


冴梨が紅茶を注いでやって、同じように自分のカップに紅茶とミルクを注いだ。


やっぱり洋菓子には紅茶だと思う。


桜が頬づえをつきながら口を開いた。


自分でも不思議で仕方ないのだ。


だってあんなに完璧な王子様なのに。


みゆ姉ってばなんで、ときめかないのか?


「多分だけど、みゆ・・幸さんって、こーなんてゆうか・・自分のことには無頓着なトコがあって。たぶん、これまでもそれとなーくアタックしてくる人がいたんだと思うんだけど、気付かずにスルーしちゃったんじゃないかなぁ?まして志堂さんって家族みたいなもんだし・・やっぱり、異性として見る前に弟って思ってるのかもしれない・・・ほんっと分かりやすいくらい好きって伝えてるんだけどね・・・でも、無意識にでも、幸さん志堂さん頼りにしてるし、脈アリだと思うんだけど・・なあ」


間違いなくお似合いの二人だし、どうにか背中を押してあげられないだろうかと悩む桜だった。



★★★★★★



亮誠がお勧めだと言っていた洋食店に到着したのは1時間程前だ。


昼はカフェで夜にはバーになるという洒落た店内はシックな家具で纏められている。


落ち着いた雰囲気で、子供連れや学生は敬遠してしまうだろうが、大人のランチには丁度良い。


幸は店の外観から気に入ったようで、メニューが届くまでもしきりに装飾品をチェックしていた。


職業病らしい。


いつでもアンテナを広げている幸は気になるととことん追求するタチだった。


さっきもアンティーク風の照明の事を店員に確かめていた位だ。



「っくしゅん!」


「寒い?」


小さなくしゃみをした幸に、一鷹が問いかける。


天気がいいからと、テラス席にしたけれど、店内の窓際の席にしてもらった方がよかったのかもしれない。


「ごめんなさい、大丈夫。誰か噂してるのかも」


春野菜のドレッシングがかかった柔らかい白アスパラガスを口に運びながら幸が呟く。


「桜嬢じゃないかな?」


コーヒーの入ったカップを持ち上げて一鷹が笑った。


たしかに、そうかもしれない。


「女の子3人でにぎやかにやってるみたい。良い友達がいて、本当に良かった」


まるで母親のようなその口調に込められた労りと、慈しみの気持ちが伝わってくる。


「来週からは学校に行くんでしょう?」


桜の通う聖琳女子は所謂お嬢様学校だ。


復学に当たって、少しでも桜に有利な状態を作って貰えるように一鷹と二人で足を運んだのはつい先日の事。


幸が卒業生でもあったこと、一鷹が志堂からの寄付金についても言及した事で、最善の状況を作り出す事が出来た。


「うん、授業もこれ以上遅れるとまずいし。まあ、元からストレートで短大に行くつもりだったから成績とかに問題はないんだけど、出席日数だけはどうしようもないから。あまり、無理はさせられないんだけど。あんまり家に閉じ込めとくのもどうかと思うし。あたしもずっと一緒にいてやれる訳じゃないから・・とりあえず、ちょっとずつ新しい生活リズムを作って行けばいいかなって・・思案中なの」


幸を安心させるように一鷹が頷いた。


「大丈夫、頼りになる保護者がいるから」


「保護者になれてる?なんだか全然自信がないのよね・・・危ないことはして欲しくないし、でも色んな事して、ゆっくり大人になってほしいし。いつまでも一緒にいたいし・・・ちゃんと守れてるか、不安なの。あ、内緒ね?絶対に、あたしがさぁちゃんを守っていくってあの子にも伝えてあるし。だから、あたしが、弱音吐いてる場合じゃないの」


強い、決意に満ちた目でまっすぐ見つめられる。


けれど、その瞳にわずかに覗く、心細い感情の色を一鷹はちゃと読み取っていた。


「一緒にいることで、桜嬢はずっと救われてると思いますよ?じゃなきゃ、こんなに短期間であんなに回復したりしない。幸さんが、愛情をかけた分、あの子はちゃんと自分を強くして、返してくれますよ」


「ほんとに・・そう思う?」


「俺は、嘘はつきませんよ」


きっぱりと告げる。


(あなたにだけは)と内心で付け加えた。


肩の力を抜いて微笑んだ幸がグラスの水を口に運ぶ。


「・・・あたしより、イチ君の方がさぁちゃんを分かってるみたいで、悔しいな・・」


「俺は、幸さんを通して、桜嬢を見てるから。きっと外側から見た方が、状況は理解しやすい。大抵の事がそうでしょう?当事者になると、見落としがちな事って意外と多いんですよ」


的を得た回答があっさり返ってきて、ますます幸は年上の自信をなくしてしまいそうになる。


「・・・あっという間に、何もかも追い越されちゃったなぁ・・・背も、経験も、知識も」


悔しそうにつぶやく幸。


自分が姉貴面をしていられた期間は本当に短い、とぼやいてみせた。


「俺は、いろんな事教えて貰いましたよ」


それまで知らなかった感情を、抱えきれないほど。


「だから・・・」


カップをソーサーに戻した一鷹が、右手を伸ばす。


風になびいた幸の髪を掬った。


「そろそろ、俺にも、あなたを守ることが出来ると思うんですよ?」


聴き流してしまいそうなくらい、いつも通りの口調で一鷹が言った。


特別な意味を持つ言葉なのか、純粋に言葉通りの意味なのか。


掴みかねる位、自然な流れだった。


「っ・・・」


思わず言葉を無くした幸は、慌てて一鷹の指から髪を抜き取って耳にかける。


咄嗟に違うと否定した。


彼の、この態度は、家族としてだと、何度も言い聞かせる。


自分と彼は生きている場所がそもそも違うのだ。


桜の事故の時、嫌という程自覚した事。


けれど、跳ねた心臓はそう簡単に落ち着きを取り戻してはくれない。


こういうとき、本当ならにこりと笑ってありがとう、と言えたらいいんだろうが、とてもそんな余裕は出てこない。


「う、うん・・」


妙な返事を返して俯いた幸を、一鷹は優しい笑顔で見つめ返す。


その仕草がやけに大人びていて、余計に幸はどぎまぎした。

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