第6話 思い、願う事

予約はしていたものの、時間通りいかないのが病院の常だ。


やっぱり予定時刻を15分以上過ぎてから、名前を呼ばれた。


前回もそうだったので、もう慣れっこだ。


すっかりお馴染みになった中年の看護師がにこにこと手を振って来る。


待合い室の長椅子はほとんど埋まっていて、診察券片手に入ってくる人が後を絶たない。


面会時間も始まっているため、人の行き来も多い。


読んでいた雑誌を昴に押しつけて、桜は立ち上がる。


「持ってて」


「一緒に行こうか?」


至極当たり前のように昴が問い返した。


本当に桜の保護者が板について来たらしい。


逆に桜の方が戸惑ってしまう位だ。


幸なら、一緒に来て貰うのは当然だが、昴はそういうわけにはいかない。


いくら向こうが気にしないと言っても、やっぱり桜も年頃の女の子なのだ。


「大丈夫」


頷いて、看護師と共に診察室に入っていく。


昴は桜を見送って、手に残ったファッション誌をパラパラとめくる。


今年流行のワンピースにサンダル。


・・・さっぱりわかんね・・・


嫌、というか待合で大の男が女性ファッション誌読んでるのってどーなんだよ?


何と無くだが周りの視線が突き刺さる。


昴は仕方なく立ち上がって、喫煙室に向かった。


桜の側に居るようになってから、自然と本数が減った。


病み上がりの子供の前で、煙草を吸えるわけもなかったからだ。



☆★☆★


「先生こんにちはー」


診察室に入るなり笑みを浮かべて挨拶した桜に、カルテから視線を上げて白衣の医師は安心したような笑みを返した。


「元気になったね」


気持も、体も、確実に回復しつつある。


病室で目を開けた時の、心もとない表情からは想像もできない位、今の桜は感情豊かだった。


「よく眠れてるかな?食事は?」


「おかげさまでもりもり食べてます。従姉のご飯が美味しくって・・ちょっと太ったかも」


「それ位がちょうどいいね」


「心配してくれる人が沢山いるから、メソメソしてる暇ないです」


これは嘘じゃない。


皆が桜を気遣い、大切にしてくれている。


それを思うと、ここでまた病人に戻るわけにはいかない。


早く、学校に行って授業を受けて今まで通りの日常を取り戻したい。


気持ちばかりが焦ってしまう。


それでも、何か目的や目標がある方がずっと良い。


毎日抱きしめてくれる幸。


欠かさず顔を見に来てくれる昴。


忙しい中気にかけてくれる一鷹。


メールで毎日励ましてくれる冴梨と絢花。


幸の家は、暖かくて、怖いこと全部から自分を守ってくれる。


安心して眠れる。


ひとりにしないと、言ってくれた人がいる。


うん、大丈夫だ。


自然とそんな風に思えた。


目覚めた瞬間の心細さや、京極の家に戻った時の寂しさはすぐには消えない。


それでも、途方に暮れる事はもう無い。


「あまり走り過ぎないように。ちゃんとガス抜きして、時には泣いてもいいんだよ」


「・・・!」


反射的に顔を両手で覆った。


思いきり大泣きした、退院の日を思い出す。


脇目もふらず、抱きついた桜をちゃんと抱きしめてくれた昴。


あんな風に、泣いたこと無かったな・・・


人前で泣くなんて、絶対許せなかったし。


昔から、友達とケンカしても、親に怒られても、絶対に泣かなかった。


泣いたら負けだと思っていたのだ。


どうしても堪え切れない時は、いつだって、自分の部屋で、布団の中で、誰にも見られずに泣いていたのに。


桜の表情をつぶさに見ていた医師が微笑む。


「泣かせてくれる人がいるなら安心だ」


にこりと笑ったままで、意味深に頬を指さされる。


赤い!?


「え!なっ・・・いませんよっ」


そんなんじゃない。


咄嗟に心で付け加える。


あれは、親が子供を慰めるのと同じ。


泣いた子を、宥めるのと・・・同じ。


純粋に慰めて貰ったんだ。


1人で赤くなる桜の肩を軽く叩いて、医師はカルテになにやら記入し始める。


「まあ、あんまり追及はしません。思春期の女の子には、色々思い悩むこともあるだろうしね」


トドメとばかりに片目を瞑られて、桜は余計に真っ赤になる。


「もう!先生からかわないで下さい!!」


「そんなんじゃないよ。でも、それだけ大声出せるなら安心だ。学校も、慣れるまでは無理しないようにね」


「・・・はい」


問診と言うよりはまるで尋問を受けたみたいだ。


だって診察前よりずっと心臓はばくばくいっている。


さっきから、京極の家でのシーンがぐるぐる頭を回る。


忘れようとするたびに髪を撫でられた感覚が蘇ってどうしようもない。


恋愛だってした事はある。


それでも、あんな風に男の人に抱き締められた事はなかった。


医師と看護師の笑顔に見送られて、待合い室に戻ったら、昴の姿が無かった。


相変わらず人でいっぱいのロビーに桜の居場所は無さそうだ。


会計番号と、処方箋番号がひっきりなしに点滅する電光掲示板。


染みついた消毒液の匂い。


慣れたと思っていたけれど、やっぱり元気になってから来ると、違和感を覚える。


少し前までここで過ごしていたなんて嘘のようだ。


そう思える位、体も心も健康になったと言う事だ。


何と無く、ここに不似合いな自分が嬉しい。


会計待ちの子供連れの家族やお年寄りで埋まったロビーから視線を足元に戻す。


心当たりならあった。


唯一と言ってもいい場所。



ここに居ないとなると・・・あそこしかないわよね・・・


桜はロビーを通り過ぎて、食堂が入った入院棟に向かって歩き出した。



☆★☆★


「みつけたー」


煙を吸う吸煙機と、空気清浄機がフル稼働の喫煙室を覗き込んで、桜が昴を指さす。


病院前の庭園スペースを散歩する入院患者たちをぼんやり眺めていた昴は、振り向いてすぐに煙草を持った手を桜から遠ざけた。


腕時計で時間を確かめる。


予想以上に早く診察が終わったらしい。


体調も良いみたいだし、経過は良好といったところか?


「悪い、探したか?」


「ううん、待合いに居なかったからこっちだろうって思ったから」


煙を吐き出して、煙草を灰皿に押しつけると昴は足早に喫煙室から出た。


廊下の壁に凭れて待っていた桜の髪をくしゃりと撫でて歩きだす。


「先生なんて?」


「もうすっかり健康ですって」


「よかったな。一鷹も、幸さんも喜ぶよ」


別に何て事無い言葉だったのに。


ふと思って桜は問い返した。


「みゆ姉と志堂さんだけ?」


「ん?」


「浅海さんは?」


昴が喜ばない訳がないとは思う。


それでも、何だか何かが足りないと思った。


桜の方を見た昴が、頭から離した手を再び桜の頭に落下させる。


ぽんぽんと叩いた。


「俺も嬉しいよ」


「・・ありがと」


漸く欲しい言葉が聞こえて来てほっとする。


こういう子供扱いなら悪くないかな?何て思ってしまう。


「あ、今度から喫煙室に来んな。いらん副溜煙吸うことないから」


昴が思い出したように言った。


喫煙室なんて、正直子供を一番近づかせたくない場所である。


「煙草の匂いも慣れたのに」


困ったような顔をして、昴は桜の髪を再びかき混ぜる。


遠慮のないその仕草に桜が恨めしそうな眼差しとともに非難の声を上げたが無視された。


「あー・・・そーゆーもんには慣れんでいいから。つーか、おまえ、幸さんに余計なこと言うなよ」


桜に煙草の匂いが付いていたらすぐに、足が着く。


喫煙スペースに連れていくなんて!!と昴が一鷹と幸からダブルで怒られるのは目に見えている。


「余計なことってねェ・・」


上目遣いに昴を見上げて、スーツの腕に顔を近づける。


ほら、だってもうにおい染みついてるし。


懐かしいお父さんのタバコとは違う匂いだ。


・・・あ・・・そうか・・・


無意識に触れたのに、やっぱりあの時の腕の力強さを思い出して、頬が火照る。


それを隠すために俯いたら、気づいた。


この煙草の匂いで、余計に泣いてしまったんだ。


自分でも驚くくらい、泣きやむことができなかった理由が見つかった。


どちらかと言えば、お転婆で叱られる事が多かった桜。


母親は、自分に良く似た娘の将来を憂いて悪い事をした時には盛大に叱りつけた。


時には、父親が仲裁に入る事もあったが、母親は頑として譲らなかった。


「ごめんなさいも言えない子はうちの子じゃありません!」


ぴしゃりと言われた。


本当に怒ると容赦ない人だった。


けれど、褒める時は両手離しでとことん褒めてくれる人でもあった。


☆★☆★


「おかーさんのばかー!」


「親に向かって馬鹿とは何!?この子は!」


「まあ、まあ、お母さん、落ち着いて。桜もごめんなさいしなさい」


眩しく光る懐かしい記憶。


桜が泣くたび、何度も、何度も抱きしめてくれた父親のことを思い出したのだ。


ほんとに・・ちっちゃい子みたい・・・・


家族を思い出してわんわん泣くなんて。


恥ずかしさがこみあげて来て、掴んでいた昴の腕を慌てて離した。


昴が怪訝な顔で桜の顔を覗き込む。


「どーした?」


「っえ・・別に」


とことん目敏い彼は、桜の小さな変化も見逃してくれない。


「顔赤いぞ、熱でもあんのか?」


「へ?」


有無を言わさず前髪をかき上げて、額に触れられる。


あまりにも躊躇の無い仕草。


意識してしまう桜の方が可笑しいのかと思ってしまう。


むしろ、昴の手の方がずっと熱い気がした。


「・・・熱は無いな」


慣れた仕草で前髪を撫でられて、桜は思わず強く目を閉じてしまう。


「ない!元気だし!!」


自慢じゃないが、赤の他人にこんなことされたのは始めてだ。


否応なしに心拍数は急上昇する。


落ち着け!!あたし!!


「疲れたなら言えよ?」


のんびりした口調で言って、昴がポケットから車のキーを取り出した。


「・・え、あ、うん」


「友達来るなら、どっかで買い物して帰るか?一鷹がケーキ届けるって言ってたけどな」


「ケーキ!?そんなの申し訳ないし!ただ友達来るだけなのに!!」


まるで誕生日パーティーのような勢いだ。


慌てる桜を横目に昴が続ける。


「一鷹は一人っ子だし、妹って存在は初めてだから。とにかく何でもしてやりたいんだよ。ほら、アレだ、初孫可愛がるじーちゃんみたいなもんだよ」


「その例えってどうなの!?」


「ケーキで機嫌取りたいんだから貰ってやれよ」


「そりゃ嬉しいし喜んで受け取るけど。やっぱり申し訳ないよ」


「そう思うなら、一鷹に電話でもしてやれよ。それで満足するんだからさ」


運転席に回りながら、あいつもつくづくお前に甘いよなー、と昴が笑う。


桜はまだ納まりそうにない動悸を、必死に押さえつけようと胸に手を当てて深呼吸する。


平静を装うのも楽じゃない。


原因不明の動悸息切れ気付け。


なんだっけこの病気。


何だから知っている気がするこの症状。



こんなことくらいで、ドキドキするのはおかしい。


また家族が恋しくなったんだろうか?


幸に抱きしめられるたびに、両親を思い出してじんと胸が痛くなるのとはまた違う感覚。


それじゃあ・・・これは・・・なに?


車の手前で立ち止まった桜に、昴が呼びかけた。


「桜?」


「っへ!!??なに!?」


慌てて我に返って、助手席に向かう。


「やっぱり熱あるんじゃないだろな」


「ない!」


勢いよく答えた桜を、不安げな表情で見つめ返して昴は口を開きかけ、やめた。


「いきなり飛ばして、エンストすんなよ」


「大丈夫ですよー」


早口で応える。


このまま一緒にいたら、何だか良くない気がする。


この感情が行きつく先は、多分。


これまで何度も感じた、よく知っている馴染みの感情だ。


でも、どこかでブレーキをかける。


それだけは、絶対駄目。

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