第3話 繋がらない、家族写真

新緑が鮮やかな温かい春の午後。


すっかり住み慣れた特別室のドアをノックして、尋ねてきた人がいた。


「退院おめでとう」


病室に迎えに来たその人は、人当たりの良い優しい笑みを浮かべて、桜に小さな花束を手渡した。


可愛らしいピンクの花で作られたアレンジ。


受け取った桜は、幸から聞かされていた以上の紳士っぷりに呆然としてしまう。


絵本の中から出てきた王子様かと思った・・


「・・あの・・志堂さん。入院のとき、お世話になったそうで、ありがとうございました。お礼をもっと早く言わなきゃいけなかったのに・・結局退院の日になってしまってすみません」


「気にしないで。こっちこそ、仕事と授業でなかなかこっちに来れなくてごめん。元気になってよかったね」


授業?幸の話では仕事をしていると聞いていた桜の頭に疑問形が浮かぶ。


けれど、その疑問はすぐにかき消された。


「幸さんも一緒に暮らせること本当に喜んでたよ」


まるで自分の事のように口にしたその一言で、彼が誰に恋しているのかすぐに分かった。


「ちなみに、桜嬢。前、うちの大学で会ったことあるんだけど、覚えてるかな?」


彼の言葉に、桜は首をかしげる。


大学なんて行ったことあっただろうか・・・


「あー!!絡まれたとき助けてくれた人!」


思わず声を上げてしまう。


親友の冴梨と訪れた大学で、ナンパ目的の学生に絡まれた時に助けてくれたのが、目の前の一鷹と、彼の親友であり、今は冴梨の恋人でもある篠宮亮誠だったのだ。


「うん、そう。幸さんの話通り、正義感の強い子だなあって思ったんだ」


「・・・や・・あれは・・友達があんな感じの子なんで、ほっとけなくって・・」


とんだところで会ってたもんだ。


なんて気の強い女の子って思われただろうか?


幸が自分をどんな風に話していたのか分からないから余計に怖い。


一応学校の名に恥じない、乙女で通さないと、と、妙な見栄を張ってしまう。


「幸さんもちょっと無鉄砲なところがあるから」


一鷹の言葉に、桜は目を丸くする。


才色兼備ともてはやされるとこはあっても、彼女に対して無鉄砲という感想を持った人は始めてだ。


「みゆ姉の事、よく見てますね」


純粋な感想を口にしたのに、一鷹が次の瞬間困ったように、小さく笑った。


わあ・・・


思わずこっちが照れてしまうくらいの柔らかい笑顔だった。


これを間近で見て来て、何とも思わなかった幸の鈍さが凄い。


コレの何処が”従弟”のイチ君何だろうか。


彼の前で、幸はどんな顔を見せているのだろう?


・・・すごーく気になる・・・


けれど、桜が見る限り、幸は彼の気持ちに気づいていない。


どれくらい片思いしてるのかしら?


色々聞きたいことが増えていく。


どれから切り出そうかと考えていると、ノックの音がした。


「一鷹?」


「どうぞ」


返事と同時にドアが開いて、男の人が姿を見せる。


こちらは完全初対面だ。


「荷物は全部積んだ。・・・元気になってよかったな。桜嬢」


一鷹から桜に視線を移し、にこりと笑う。


こちらは王子様というよりは・・・あ、分かった戦う人だ。


心の中で膝を打つ。


お城で王様を守る騎士の方だ。


「この人は、浅海昴さん。幼馴染で、志堂分家でもある。俺のサポートをしてくれる人なんだ。幸さんが忙しい時とか、何かあったらいつでも、連絡してね」


頷くと同時に、入り口から続けざまに問いかけられた。


「幸さんから携帯受け取ったか?」


「あ・・・はい」


おっとりした育ちの良さを感じさせる一鷹とは対照的などちらかと言えば攻撃的なイメージ。


それでも、一鷹の側にいると不思議な程しっくり来る。


何と無く、一鷹の側にいる彼は戦う人で、守る人だなと思った。


一鷹の腹心と称されるに相応しい、強い印象を受ける。


携帯は事故の時、壊れてしまったので、幸が新しく用意してくれたのだ。


すでにカバンの中に入っている。


「俺の番号も、一鷹の番号も入ってるから。何でも言って来な。遠慮すんなよ」


物言いは乱暴。


けれど、嫌悪感を抱かせない。


鋭い印象を受けるし、桜を気づかう姿勢は一鷹の半分も感じられない。


それでも、心地よい気安さがある。


”志堂”の名前に怯みそうだった桜は少し肩の力を抜く事が出来た。


「・・・ありがとうございます」


素直に頷いた桜を一鷹が促して立ち上がる。


「退院の手続きも終わったし、幸さんの家まで送るよ。って言っても、俺はこの後、どうしても抜けれない会議があって一緒に行けないんだけど」


「あたし、タクシーで帰れますから」


元からそのつもりだった。


ロータリーには定期的にタクシーが停車するし、捕まえるのは難しい事ではない。


平日の真昼間に忙しい大人2人を振り回す訳にはいかない。


それに何より、これ以上迷惑はかけられない。


すかさず言った桜の言葉は、即座に却下された。


「それはだめ。俺が、幸さんに怒られるから。外回りで来られない彼女の代わりに、君を無事に送り届けるって約束したんだ」


「でも・・・」


「そのために、浅海さんに来てもらったんだよ。荷物もあるしね。この通り、口は悪いけど、抜群に面倒見いい人だから、安心して」


「こら、一言余計だ」


すかさず言って一鷹の肩を小突いた。


仮にも志堂の御曹司になんて事を!と、思わず青くなりかけた桜だが、一鷹は平気な顔をして笑っている。


「事実でしょう、浅海さんだから任せられるんですよ」


「と、言うわけだ。んじゃ行こうか」


「え・・」


戸惑う桜の腕を引いて、昴は歩きだす。


ちょっと強引じゃないですか!?


思いはしても口には出来ない。


幸の頼みだと言うし、ここは甘えてしまうべきかもしれない。


夜にはいつも幸が顔を出してくれた。


時間の許す限り側に居てくれから余計1人になるのが不安でもある。


忘れた振りをしていた嫌な事をいくつも思い出してしまいそうで。


こうなったら甘えてしまおう!そう気持ちを切り替えて、桜は病室の前で手を振る一鷹を振り返る。


「あの、ありがとうございました!」


「どういたしまして。浅海さん、頼みます」


「頼まれた」


片手を上げて病院を出て行く昴。


少し困惑気味で連れられて行く桜。


2人の姿が見えなくなるまで見送って1人残った一鷹は、従業員向け駐車場に続く非常口を出て携帯を取り出した。


真っ青な空が眩しい。


退院が晴れていて本当に良かった。


安曇幸の名前を探し出し、発信ボタンを押す。


ものの数秒で、彼女に繋がった。


「もしもしイチ君?」


小声で返事が返ってきたところからして、まだ職場の中らしい。


「忙しかったですか?」


時計は午後13時すぎ。


「ううん。ちょうどお昼休憩なの。いまお店の外に出たところ。お迎え頼んじゃってごめんなさい。さぁちゃんどう?」


「大丈夫、いま浅海さんと病院を出たところ。俺と居るより気を使わなくていいんじゃないかな?ああいう人だし、桜嬢の心配はいりませんよ」


一鷹の言葉に、幸が安堵の溜息を洩らす。


耳をくすぐる優しい声に、胸が締め付けられる。


伝えてしまいそうになる自分の気持ちを、いつものように押し込める。


まだ、時期じゃない。





★★★★★★





車に乗り込むなり、行きたいところあるか?と尋ねてきた昴に、桜は迷った挙句ひとつの名前を上げた。


一人では、絶対に戻れない場所を。


★☆★☆



桜は、自宅が近づくにつれて言葉少なになり、最後の数分間は完全に黙り込んでいた。


空っぽのガレージに車を停める。


エンジンを切ろうとして、昴は隣の桜が震えていることに気づいた。


彼女の望みでも、まだ時期が早かったかもしれない。


このまま無理やりにでも連れて帰るべきか?


少し迷ってから、口を開いた。


「このまま戻ってもいいんだぞ?」


桜は、膝の上で握ったままの掌に視線を落とした。


このまま来た道を戻って、幸の住むマンションへ向かったって、誰も桜を責めたりはしない。


むしろ、無理する必要はないと、幸を始めとした全員がそう思っている。


それでも、桜にはここに残しておけないものがあった。


受け止めなくてはならない現実もあった。


もうすぐ学校も始まる。


日常が返って来る。


それまでに、せめてこの世界を受け入れておかなくては、自分が何処にも行けない気がした。


震える手をぐっと握りしめる。


「一緒に・・・来てくれますか?」


1人で行ったら、戻れなくなるかもしれない。


きっと、あの日のままだ。


家の中も、何もかも、ぜんぶ。


桜の問いかけに、昴は頷いた。


「いいよ」


車を降りて、ゆっくりと門を開ける。


すぐに10段のレンガの階段。


桜は足が竦みそうになるのを必死に堪えた。


逃げるな、立ち止まらずに、ちゃんと前を見て。


自分に言い聞かせて唇を引き結ぶ。


一歩踏み出した、と同時に桜の足が止まった。



☆★☆★


目の前に広がる、見慣れたいつもの景色。


誰が手入れをしてくれていたんだろう。


事故から三週間以上たっているのに、花は一つも枯れていなかった。


みずみずしいマリーゴールドに指で触れる。


「幸さんから話を聞いて、一鷹が庭の維持を指示したんだよ」


「・・・そう、だったんですね・・・」


土いじり用のエプロンを付けてしゃがみ込んで花の様子を確かめる母の姿が脳裏に浮かんだ。


『新しいの買ってきちゃった』


笑いながら真新しいスコップ片手に土に触れる楽しそうな顔が浮かぶ。


涙が浮かんでくる。


堪え切れない。


「お父さんたち・・この家に帰ってきたのかなぁ・・」


最後くらい、大好きだったこの家から旅立ったんだろうか?


桜の問いかけに頷いて、昴が優しく頭を撫でた。


「2人とも、ここから送り出したよ」


「良かった・・・あ、じゃあ、誰かが家の中片づけてくれたんですね。いっつもリビング散らかってたし・・・」


庭を横切って玄関のドアを開ける。


ただいま。の言葉はやっぱり出なかった。


不安を悟られないように、昴を振り返る。


「どうぞ、どうぞ、上がってください」


廊下の向こうにはリビング。


キッチンはすぐ左手の奥田。


昴は桜に背を向けると、玄関マットの隣に腰をおろした。


きょとんとした桜に向かって手を振る。


「ここで待ってるから。俺のことは気にすんな」


「え・・・でも・・」


「ちゃんと待っててやるから、な?」


一鷹の言葉を思い出す。


本当に気を使わせないように気遣うのが上手い人だ。


「ごめんなさい・・・」


小さく呟くと、桜はキッチンの向かいにある階段を上った。


両親の寝室と、自分の部屋がある。


ちょっとしか離れてないのに。


なんでかな?


こんなにも懐かしい。


寝坊して飛び起きて、駆け下りた階段。


手すりにそっと触れる。


昔此処を滑り降りて、派手に怒られたっけ。


雷を落としたのは母親で、宥めて泣いた桜を抱き締めたのは父親だった。


ゆっくりゆっくり階段を上って自分の部屋に入る。


クローゼットを開けると、制服がなくなっていた。


幸が事前に必要なものはマンションへ運んでくれたらしい。


綺麗に並んだ洋服をいくつか選ぶ。


春休み、パジャマパーティーに持って行って以来のボストンバッグを引っ張り出し、細々と身の回りのものを詰めていく。


最後に、本棚に立てかけてあったアルバムに手を伸ばした。


思い出す必要なんて無かったから、繰り返して写真を見ようとは思わなかった。


いつだって迫りくる明日に胸を躍らせていた。


過去が、こんなに愛しくなるなんて思ってもみなかった。


ずしんと手にかかる重み。


これが、家族で過ごした記憶。


どうしても開けられない。


「駄目だ・・」


震える手でアルバムを元の位置に戻す。


けれどすぐにもう一度取り上げた。


辛い、苦しい、寂しい、だけど、ここにも置いて行けない。


と、マドラスチェックのアルバムの中からひらりと写真が落ちた。



☆★☆★



階段を下りてくる足音が聞こえてほっとした。


正直、このままマンションへは帰らないと言われるかと思ったのだ。


声をかけようと振り返って、昴は言葉を無くす。


アルバムを抱えて、必死に涙を堪えて立ち尽くす桜がそこには居た。


必死に嗚咽を堪えて、それでも溢れる涙は押さえられずに、頬を濡らす彼女は寄る辺のない幼い子供のように見えた。


この家には、もう誰もいない。


お帰りも、いってらっしゃいも、おはようも、おやすみも、もう聞けない。


どんなに願って祈っても届かない。


それを、全身で理解した後の表情だった。


この年齢で受け止めるには重たすぎる現実だ。


見つめ返す表情が苦くなる。


掛ける言葉を昴は持たない。


肉親を一度に失った痛みは、どんなに寄り添っても分かち合えるものではないのだ。


途方に暮れた表情で、桜が昴に目を向ける。


いま、ようやっとここに一人で来たわけでは無い事を思い出したような表情だった。


「・・・」


何か言いかけて、けれど涙で言葉にならずに、彼女が唇を引き結ぶ。


「さくら」


昴は静かに名前を呼んだ。


振り向いて、腕を伸ばす。


桜が飛び込んでくる確信があった。


なぜだろう。


けれど、疑問に思う前にそれは現実になる。


しゃがみ込んだ桜を抱き寄せると、桜が涙交じりの声で小さく呟いた。


「ごめ・・なさ・・」


何に謝っているのか分からない。


こうして泣いてしまった事にか、ここまで付いて来させた事にか、待たせた事にか。


慰めるように桜の髪を何度も梳いてやる。


「こんな時に謝んなくていいんだよ」


眠ったままの桜の腕の包帯を撫でていた幸の姿を思い出す。


幸が、一鷹が、必死に守ろうとした京極桜。


予想以上にしっかりした女の子だと思ったけれど。


こうして泣きじゃくる桜は、年齢以上に幼く頼りなく見えた。


彼女が今一番欲しい言葉なんて考えるまでも無い。


どんなに彼女が心細かったか。


それは、この顔を見ればわかる。


どれだけ涙を堪えようとしたのかも。


「大丈夫だ、もう一人にしないからな」


桜に、自分に言い聞かせるように昴は言った。


桜はただ黙って何度も頷いて昴の背中に腕を回してしがみつくように抱き付いた。


このとき自分の中に生まれた気持ちが、どこにつながるのか、まだ、知らない。


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