第二十三章 バレンタイン・デーのある週末

女子社員達の喧噪を見ながら、恵里子は少し後悔していた。


(せめてバレンタイン・デーが終わるまで、あのままにしておけばよかったわ・・・)


今日はバレンタイン・デーのある週の金曜日であった。

とまどう貴男に次々とチョコレートが渡される。


中には、同じビルの別の会社の女の子に頼まれた物まであった。

一週間程前、貴男が恵里子のコーディネートしたファッションに身を包み、メガネを外しコンタクトレンズで、おまけに髪も美容院で整えて出社してから女子社員達の間でセンセーションが起こった。


身近にスター顔負けの美男子がいたことに、男達までもが自分の目を疑った。

里美でさえ立ちつくし、目を開いたまま動かなかった。


最初は得意気に眺めていた恵里子であったが、こうもモテぶりを見せつけられると面白くない。


丁度バレンタイン・デーの季節で、女子社員達は突然出現した身近なアイドルに久しぶりに気合いを入れてチョコレートを選んだ。

少し意地悪をしたくなった恵里子は、どうせ土曜日に渡そうと思っていたチョコレートをバックにしまい、着替えると遠藤に囁くように言った。


「申し訳ありませんが・・・。今日、早退させて頂きます」

遠藤はキョトンとした顔をしていたが、水野のブースをチラチラうかがう恵里子の視線を敏感に受けとめると答えた。


「わかった。部長には言っておくよ。気をつけて・・・」

そして恵里子の寂しげな後ろ姿がオフィスから消えると、水野のブースに近寄り言った。


「おい、ちょっと打ち合わせしよう。」

打ち合わせテーブルに水野が座ると、咳払いして小さな声で遠藤が言った。


「大島さん・・気分が悪いと言って帰ったんだけど心配だなあ・・・。

あっ、そういえば俺・・あの子からチョコもらったんだ。


うらやましいだろう・・・?

まっ・・・話はそれだけ。


じゃあな・・・」


意味ありげに貴男の顔を見つめた後、自分のブースに戻って行った。

貴男は慌ててブースに戻り、パソコンの自分の欄に「早退」と入力してオフィスを出ていった。


ビルの前のショーウィンドウをながめながら恵里子は立っていた。


目に涙が滲んでいる。

ハンカチを取り出し涙を拭くと、バッグからコンパクトを出して軽く化粧を直した。


鏡越しに貴男の姿を見つけた。

恵里子はゆっくりバッグからルージュを取り出し丁寧に塗ると鏡をのぞき込んだあと、パチンと蓋をしてバッグにしまった。


フッと空を見上げ、背筋を伸ばして歩き始めた。

貴男も慎重な足取りで後を追う。


恵理子は交差点で立ち止まると振り返り、信号を待った。

青になったにもかかわらず動こうとしない。


(ふふっ・・・でも、ダメよ・・・。

まだ、許さないんだから・・・。


今日は一日中、引き回してやるわ・・・。

フォロー・ミー・・・よ)


やがて赤になり、青に変わるのを待ってゆっくり歩き出した。

だが横断歩道の途中で女は立ち止まってしまった。


車のクラクションが幾重にも重なっている。

男が急いで駆け寄ると、二つのシルエットが重なりグレーのアスファルトに伸びる白いバーコードの上をゆっくり動いていった。


女の頭が男の肩にもたれている。


「やっぱり・・・恵里子さん・・・。良かった・・ね・・・」

里美はオフィスの窓に頬杖をついて眺めていた。


小さくため息をつくと、そっと右目に指をすべらせた。

誰にも気づかれぬように。


ふと横を見ると、同じように二人を見つめている男がいた。

遠藤であった。


口元を綻ばせ、心の中で呟いた。


(世話、かけやがって・・・今度たっぷり、おごらすからな。水野のやつ・・・)


顔を上げると里美と目が合った。

小さい目を向けてニコッと笑うと大きな声で言った。


「ああ、鈴木さん・・・。

義理チョコありがとねー。


オジさんうれしいから、お昼ごちそうしちゃおうかなーっと・・・。

このあいだのコンペも取って、社長賞、貰っちゃったからフトコロ温かいんだ。


そうそう、オペレーターのみなさまにも日頃の感謝セールとゆう事でどうですか?

・・・てか?」


小さな歓声が上がり、遠藤は上機嫌で山下に言った。


「お前も来いよ、山下・・・」

山下はパソコンの画面を見ながら呟いた。


「当たり前でしょ、そのコンペ・・・。俺も一緒にやったんだから・・・」

遠藤は山下の首をヘッドロックしながら言った。


「あーっ、そうですか、お前は、本当ぉにかわいい後輩だよ・・・。なあ、鈴木さん?」

里見はクスッと笑った。


その白い歯を見て山下は顔を赤らめた。

耳元で小さな声で遠藤が言った。


「それから、あっちのブースで俺を睨んでいる橋本も連れて来い。そして少しは後輩思いの先輩を尊敬しろと言っておけ・・・」

苦しそうに山下が頷くと、遠藤は再び窓に寄り外を眺めた。


(今日は早く帰ってかあちゃんにサービスしなきゃな・・・。なんせバレンタイン・デーなんだから・・な) 


冬の澄み切った空はどこまでも青く、白い飛行機雲が一直線に描かれていた。


バレンタイン・デーのある週の金曜日。


穏やかに晴れた午後であった。



フォロー・ミー (完)


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