第十九章 待ち伏せ
「よーし、これでいいだろう・・・。あとは月曜の朝チェックしたら、午後イチで印刷に出して提出だ。みんなご苦労様。良かったらおごるから軽く飲んでいくか・・・」
遠藤がホッとため息をついて嬉しそうに言うと、数人のスタッフも笑顔でうなずいていた。
「私は・・・今日帰ります、ごめんなさい。今度又、誘って下さい」
恵里子の言葉に遠藤が残念な表情で言った。
「いや、無理させて悪かったね。すごく助かったよ。送っていかなくて大丈夫かい?」
「いえ、本当に大丈夫なんです・・・。この頃、怪しい人もいなくなったみたいで・・・」
水野のブースをちらっと眺めて恵里子は言った。
「じゃあ、スミマセン。お先に失礼します」
少し大きめの声で言うと、恵里子はオフィスのドアを開けてエレベーターホールに出た。
貴男は急いで帰り支度をすると、みんなに気づかれないように少し遅れて出ていった。
エレベーターホールには誰もいなく、時間外であるので裏の通用口に行くと恵里子が立っていた。
やがて踵を返すと女は歩いていった。
又、今日も追いかけっこの始まりであった。
二人はこの数日間、毎日この楽しいゲームを続けていた。
決して言葉をかけず、男も追い着こうともしなかった。
マンションで別れる時も、声に出さない挨拶を交わすだけだった。
でも二人は、それで十分幸せであった。
しかし、恵里子には小さな企みがあった。
今日は金曜日である。
だから途中の公園で待ち伏せして、水野をおどろかせてやろうと思った。
そして、どうしても男の口から言わせてやろうと思ったのだ。
「好き」
という一言を。
電車を降り駅を出て、いつものように歩き出した二人だったが今日の恵里子は足早に歩いていった。
てっきり待っていると思った貴男だったが、通りに出ると恵里子を見失ってしまった。
恵里子は公園に着くと、水野の姿が見えない事を確かめて木の陰に身体を隠した。
空は満天の星空であった。
東京の真ん中なのに雲がきれたのかスモッグもなく、微かに天の川も見えた。
今の幸せをかみしめるように恵里子は星を見つめて呟いた。
「きれい・・・。私、こんなきれいな星空見たの初めて・・・」
水野を待ち伏せしているのも忘れて、うっとりと星を見上げていた。
その時突然、後ろから片手で目隠しされ身体を抱きしめられた。
水野にしては大胆だと思いながらもやはりうれしく、恵里子は優しい口調で囁いた。
「いやだ・・・だ、だめよ。こんな所で・・・」
男の手が、胸の膨らみを触ってくる。
荒い息が首筋にあたる。
少しおかしいと思って手をふりほどくように振り返ると、全然見知らぬ男が立っていた。
恵里子は恐怖に顔をひき吊らせ、思わず大声をあげてしまった。
「キャーッ」
女の悲鳴に焦った男は恵里子の口を片手で押さえ、もう片方の手で首を締めた。
男のごつい手に細い首は余る程で、恵里子は声も出せず苦しそうにもがいた。
男の手が締まっていく。
息が出来ない。
だんだん目が霞んでいく。
恵里子の抵抗していた手が力なく落ち、足が崩れていった。
水野の顔が浮かんだ。
視界が薄れていく。
(水・・・野・・・さん・・・)
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