第十六章 映画
お風呂から上がり冷たいトマトジュースを飲んだら、ようやく気持ちが納まってきた。
恐怖も怒りも納まったのだけど・・・。
やるせない気持ちを引きずって恵里子は鏡に向かった。
タオルを身体に巻いてドライヤーで髪を乾かしている。
ブラシを滑らしながら、ぼんやり鏡を見つめている。
(でも、なぜ・・・水野さん・・・。
いやらしいストーカーとかじゃないのはわかっているわ。
そんな人ではないはずなのに・・・。
でも、なぜ・・・?)
パジャマに着替え、カーディガンをはおってベッドに座った。
バッグが開いていてビデオショップの袋が飛び出ている。
(そうだ、今日ビデオを借りたんだ・・・。いいわ、どうせ今夜眠れそうにないもの・・・。ゆっくり映画でも見よう)
そう決心すると急にお腹が空いてきた。
そういえば今日は夕食をまだ食べていない。
冷凍食品のドリアを取り出しレンジで温め、カンビールと一諸にテーブルの上に乗せた。
ビデオをセットして、ビ-ルを一口飲んだ。
(つめたい・・・)
爽やかなのど越しに興奮も少し納まった気がした。
(フォロー・ミー・・・。ついてきて、か・・・おもしろいタイトルね?)
軽快な音楽と共にドラマが始まった。
チェックのジャケットをはおった中年の探偵が男と喋っている。
男は背が高くハンサムな青年であった。
ものすごい大富豪なのだが最近、妻の行動に疑問をもっている。
男は仕事に忙しくて中々家にいない。
召使達の話しによると、毎日出掛けては遅く帰ってくると言う。
運転手もかえしてしまい、どこに行っているのかわからない。
探偵に浮気でもしていないか調査して欲しいとの事であった。
「もし、本当に奥さんが浮気なさっていたとしたら、どうします?」
「その時は、きっぱり別れます」
「わかりました。調べましょう。ところで、チョコレートはいかがです?」
探偵がポケットから出したチョコレートをすすめるが「いや、結構」と言って迷惑そうに断ると、足早に事務所を出ていった。
それから探偵の尾行調査が始まった。
男の妻は美しくスタイルも良かった。
しかし出身は貧しく、夫と知り合ったのも旅先での偶然の事で玉の輿に乗ったようなものだった。
それだからこそ男は妻が信用できなかった。
心が浮き立つ様なオールディズナンバーが流れていく。
いつしか恵里子もドラマの中に没頭していった。
二人は名所案内でもするかのように色々な場所を歩き回っていく。
探偵の報告書は毎日克明に綴られていった。
やがて妻は、チェックのジャケットからお菓子を頻繁に取り出しては食べている探偵に気づくのであった。
一瞬眉をひそめるのだが天使のような微笑みをかえすと、再びゆっくり歩き出す。
まるで男を誘っているかのように。
二人の尾行シーンは美しい風景と相まって、恵里子の胸に心地良く染み込んでいった。
同じ様に尾行されているのに、こんなに楽しそうに歩いて行くヒロインに、恵里子は次第に自分を重ねていく。
何日目からか、探偵の尾行調査は楽しいデートに変わっていった。
ある日の報告書では次のように綴られていた。
「その日、あなたが注文されておいたプレゼントの帽子を店で受け取りそれをかぶると、奥様は例によって運転手をかえし、一人公園に歩いて行きました。
その後、奥様はとても興味深い行動をとられたのです。
奥様は公園の中を歩いて行き、置いてあった大きなくずカゴに買ったばかりの帽子をお捨てになられると、スタスタと歩いて行ったのです」
「何だって・・・。せっかく私が買ってやったのに。あれは高かったんだぞ」
男は怒って、怒鳴るような声を出した。
探偵は男に彼女の本当の気持ちを説明しようかと思ったがやめた。
あくまでも推論にすぎないし、今の状態の男に説明しても理解しないと考えたからだ。
探偵の調査報告は、なおも続く。
二人はその内、並んでボートに乗ったり遊園地へ行ったりと、楽しくデートしていく。
女は打ち解け、この中年の探偵に色々話をするようになる。
探偵の報告書が終わらないうちに、男がさえぎって怒鳴るように言った。
「なんだ、結局何もないのか。よく調べてくれた。費用は会社の方へ請求してくれ」
男が帰るのを探偵は押し止めて言った。
「待って下さい・・・まだ報告は終わっていません。奥様から伝言があります」
男は振り返って、いぶかしげに探偵を見た。
「奥様は離婚を希望しております」
「な、何だって。そんなバカな・・・?」
「どうしてだ・・・?あいつには、何不自由なく暮らさせている。服も、食べ物も、芝居だって行きたい所へは、どこへでも行ける」
「お一人で・・・ね」
探偵は含み笑いを浮かべ、静かに言った。
「たしかに奥様は世界中の誰よりも、豊かな暮らしを与えられています。
愛以外は、ね。
もしこれ以上同じ暮らしを奥様に与え、孤独に縛り付けるのでしたら、私が奥様を頂戴いたします。
そりゃあ、あなたみたいにお金はない・・・。
でも、愛がある。
あの方をいつまでも、追いかけて行けるのです」
男はやっと事の重大さがわかり困ったような顔で、しばらく部屋の中を歩き廻った。
そして、哀願するように探偵に向かって言った。
「待ってくれ。
俺があんたに何で調査させたと思うんだ・・・。
いいや、そうじゃない。
今、わかったんだ。
そうだ・・・。
俺はあいつを・・・一人ぼっちにさせていた。
そうなんだ・・・俺は最低な奴だ。
なあ、教えてくれ・・・。
俺は、どうすればいい・・・?」
男はソファーに座り込むと、下を向いて頭を抱え込んでしまった。
探偵はため息を一つ、つくと天を仰いでチェックのジャケットを脱いだ。
そして、残念そうに言った。
「やはり、奥様の勝ちでしたか・・・。
私としては本気だったのですが・・・。
本当に奥様の事を・・・。
最後の伝言です。
もし、あなたが少しでも後悔しているのなら、このジャケットをあなたにさしあげるように依頼されました。
それでは、これで・・・。
伝言はポケットに入っています。
請求書は会社の方にします。
必要経費プラス、私の失恋の慰謝料も加算されますので、宜しく・・・」
そう言うと探偵はドアを開け、おじぎをして男を外へと促した。
男はダボダボのジャケットに袖を通した。
そしてポケットを探ると、いくつかのチョコレートと共に紙切れが一枚出てきた。
広げてみると一言、こう書いてあった。
「フォロー・ミー(私についてきて)」
急いで窓の下を見ると、妻が男を見つけて笑っていた。
男はあらためて妻を愛していると思った。
男は探偵の開けたドアを駆け抜けると、途中で振り返り言った。
「わかった、探偵さん・・色々悪かった。慰謝料はたっぷり請求しといてくれ・・・」
探偵はお辞儀をして笑みを浮かべて言った。
「ありがとうございます。あと、ポケットの中のチョコレートはサービスですので・・・」
男はフッと表情を崩すと、エレベーターを待たずに階段を駆け降りていった。
探偵が窓の下を見ると、女が向きを変えゆっくり歩いていく。
そして交差点で立ち止まり、男を待つように振り返った。
窓の中の探偵に気がつくと軽く手を振った。
探偵も手を振ると小さく呟いた。
「フォロー・ミー・・・か・・・」
やがて信号が青になり、男と女は10メートル位の間隔をあけて歩いていく。
画面がズームダウンして都会の街並みが広がっていく。
エンディングの軽やかな音楽とテロップが流れ、二人のデートシーンが写真のカットで探偵の尾行した場所と同じ所をたどっていく。
そして映像に戻り、ボートのシーンになった。
男はポケットからチョコレートを取り出すと、笑いながらかじった。
やがて最後に二人のキスシーンでドラマは終わった。
※※※※※※※※※※※※※※※
ベットにもたれ、恵里子は涙にぬれた顔で微笑んでいた。
「ほー・・・」
タメ息をもらした。
(すてき・・・)
そしてTVのスイッチを切り、暗闇の部屋の中でしばらく映画の余韻に浸っていた。
心地よい暗闇であった。
ついこの間まで、あんなに恐れていたのに。
「フォロー・ミー・・・か」
恵里子はそう呟くと笑みを漏らした。
ベッドに入る頃、同じ言葉を呟き眠りに落ちていった。
安らかな寝息であった。
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