第十五章 後悔
男は、じっとマンションを見つめていた。
許されない事とはわかっていた。
せっかく天使との会話のキャッチボールが出来始めていたのに。
コートのポケットに入れた手を強く握りしめる。
(おやすみ・・・)
心の中で呟き、男は歩いて行った。
道はあまり幅もなく、街灯も少なくて薄暗かった。
でも迷いもなく男は歩いて行く。
そう、通い慣れた道なのだ。
貴男は恵里子が降りる駅の隣の駅と、ちょうど中間ぐらいのマンションに住んでいた。
二ケ月程前に引っ越して来たのだ。
もちろん、少しでも恵里子の側にいたいと思ったからなのである。
出勤時間もいつでも退社出来るよう7時に出社して、その日の分の仕事を早めに済ませておく。
もし、恵里子が5時に帰っても一緒に帰れるようにだ。
だが実際は片思いでしかないので、あまり偶然も装えない。
待ち伏せしているのが見え見えだからだ。
したがって、いつも一両後ろから乗り込み電車の連結部分のガラス越しに、届かぬ天使を眺めている毎日であった。
だがこの一ヶ月程、毎日遅くなる恵里子を見ていて、暗い道を一人帰る天使が心配でたまらなかった。
吉田に何度も図面を変更しないように言っても無駄であった。
たまらず後をつけるようにして帰る日々が続いていった。
最初の内は遠くからつけて行ったのだが、やはり少しでも側にいたいのと、あまり離れ過ぎていると何かあった時に役に立たないと思い、次第に近くを歩いていた。
恵里子の後ろ姿を見つめているだけで不思議と心が落ち着いた。
靴音が重なって一つになると、喜びが心の底から沸いてくるのだった。
しかし、その幸せも長くは続かなかった。
恵里子がつけられている事に気づき、逃げる様に歩きはじめたからだ。
何度も打ち明けようと悩んだが、もし誤解されて嫌われたら片思いの特権さえ剥奪されるのを思うと踏み切れなかった。
やるせない日々が続いていった。
恵里子が日に日に元気をなくしているのがわかった。
苦しめているのは自分だと充分承知している。
だけど一度、恵里子の後を歩いてしまうと自分を止める事が出来ないのだった。
「愛している」
何度、心の中で叫んだことか。
それも遠藤のおかげで、ようやく終わらせる事ができた。
しかも、うまく同じ電車で帰れるようになり、やっと天使と会話が出来るようになったというのに。
今日、タマタマ遅くなってしまった恵理子の後を、性懲りも無くつけて来てしまった。
貴男は自己嫌悪にかられ、自分に対する怒りから靴音高く帰り道を急いだ。
まだ冬は終わらず、冷たい風が貴男の襟元に吹いてくる。
今夜は月も出ていない。
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