第十一章 地下鉄

広告のライトが点滅し通り過ぎて行った後、暫く暗闇の世界が続いた。

ドアにもたれる恵里子はガラスに映る自分に向かって呟いていた。


(今日は、早く帰れて良かった・・・。

もっと早く遠藤さんに相談すれば良かったわ。


駅に着いてもまだ5時半ぐらいだし、外もそんなに暗くない。

だいいち、今日、もしつけられていたら、それこそ異常よ。


すぐに警察へ連絡するわ・・・。

携帯だってあるし)


安心したのか恵里子は小さなため息をついた。

白いくもりの向こうに見慣れた顔が微笑んでいた。


(水野・・・さん・・・)


「今日は、早かったんですね・・・。良かった・・。この頃毎日遅かったから、心配していたんです」


相変わらずの不精髭で髪もボサボサであったが、白衣からスーツに着替えた男は胸板が厚く背も高いせいもあり逞しく見えた。

恵里子は意外な男の出現と優しい言葉をかけられ、顔を赤らめて言った。


「ええ・・・。

遠藤さんが部長さんに掛け合ってくれたんです。


それに今、経費節減で残業も余りしないようになっているから・・・。

もうこれから、オペレーターは全員5時に帰るようにって・・・」


水野の瞳が、メガネ越しにこちらを見つめている。

よく見るときれいな目をしている、と恵里子は思った。


「それは良かった。吉田の奴・・いくら言っても何回も変更するし、こっちもおかげで毎日残業だったんです。これで奴も懲りるだろう」


そう言えば、水野のブースも毎日遅くまで明かりがついていたと思う恵里子であった。

水野は改めてドアに立つ恵里子を眺めて、ため息をついた。


オペレーターは制服ではないので比較的、地味めの服を着てくるが、今日はベージュのスカートに濃いめのブラウンのトップスを着て白のカーディガンを重ねている。


前を開けて薄いブルーのコートをはおっている姿は雑誌から抜け出たモデルの様で、美しい顔立ちとあいまって目眩がするというのは大げさであろうか。


いやいや、毎朝出かける時、片欠けの社内旅行の写真にキスをして出かけるぐらい恵里子に惚れている水野にとって、こんなに側で話すのも殆どない機会なのである。


前日のテニス大会で偶然同じペアになった時は、天にも昇る様なうれしさであった。

いつも遠くのブースから、パソコンに向かう恵里子を眩しげに見ているのだった。


二人は、とりとめもない話を交わしている。

ぎこちなく喋る水野との会話は、そんなにイヤなものじゃないと恵里子は思った。


それどころか、時折心の隙間に忍び込むような水野の熱い眼差しを感じ、まさかと思いつつも心地良い気分になるのだった。


「あっ、私・・・次の駅なんです」

残念そうに、恵里子が言った。


「僕は次の次なんです。じゃあ、気をつけて・・・」

「さようなら」


恵里子は、電車が止まりドアが開くと又、軽く頭を下げてホームに降りた。

改札口を抜ける時振り向いたら、ドアのガラス越しに水野がこちらに軽く手を振っていた。


恵里子は又、軽く頭を下げた。

電車は暗闇の中へ吸い込まれる様に消えていった。

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