第九章 昼休みの謎
会社へ着いてみると、パソコンの前に赤いペンで書き込まれた図面が置いてあった。
いつもの事ながら恵里子はうんざりした。
当たり前のように置いてある図面は明らかに吉田の字である。
期限さえ書いていない。
そのくせ午前中に出来ていないと責める様な口調で言うのだ。
遠藤などは必ず長めの期限で丁寧なメモを添えてくれるか、ちゃんと手渡しで説明してからくれるのに。
(又、今日も遅くなるのかしら・・・)
ため息をつきながらパソコンのスイッチを押した。
やがて出社する人が増え、オフィスは喧騒に包まれていった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「だから、どうしてそんなに簡単に変更するんだ!」
大きな声にパソコンから顔を上げて打ち合わせテーブルを見ると、水野が珍しく強い口調で吉田に言っていた。
「だって、しょうがないでしょ。クライアントが・・・希望しているんだから」
吉田はさも当然のように答えている。
「それは先週も言ってたじゃないか。君はちゃんとプレゼンしているのかい。遠藤さんなんか、そんな事一度もないぞっ」
いつもなら何も言わず黙々と作業を受けてくれるのに今日はやけにしつこいな、と吉田は思った。
「はいはい、スミマセンね。じゃあ、今回で最後ですから何とかお願いしますよ」
渋々謝る吉田を見て、恵里子は心の中で呟いた。
(又、ウソついてる。卑怯もの・・・。どうせすぐ、変更するくせに)
「本当だな。今度変更したら、もう間に合わないからな」
そう言うと、自分のブースに足早に水野は去っていった。
普通の物件なら、こうも強くは言わない男である。
この物件を恵里子が担当しているのを知っているから怒っているのだ。
ここ数週間、吉田の物件にかかりっきりになっている恵里子は毎日遅くまで残業している。
この男さえ変更を繰り返さなければ恵里子は早く帰れるのだ。
夜道を若い女性一人歩かせるなんて・・・。
想像するだけでも心配してしまうのだ。
恵里子は二人の遣り取りを聞いていて少し、うれしかった。
自分の為にケンカしてくれたかのように感じたのは、考え過ぎであろうか。
パソコンを操作する指が滑らかに動く気がする恵里子であった。
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昼食から戻ってくると、向こうのブースで水野が一人パンをトマトジュースで流し込んでいた。
昼休み終了まで、あと5分。
いつも、こうであった。
どこに行っているのかわからないが、彼は一人で会社を抜け出し終了間際に帰ってきてパンをほおばっている。
そんなもので持つのかしら、と恵里子は思った。
一度、お弁当でも作ってあげようかと思ったが、そんな自分が想像できないし里美にも何か悪い気がした。
貴男は毎日昼休み、会社の側のスポーツジムに通っている。
約2000m泳いでくるのだった。
高校生の頃、自由型でインターハイに出たことがある。
スポ-ツジムの中でも一際光るスピードで次々とターンしていく様は、他の会員からため息が漏れていた。
だから、いつも昼休みが終了間際に帰ってきてパンをぱくつくのが貴男の昼食であった。
この事を知っているのは会社では一人もいない。
大きめの白衣をはおると、その堂々とした筋肉は隠れ「博士君」のイメージの中に埋もれてしまうのだった。
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