第二章 建築設計

高校、短大と女子だけの学校に通い、一流会社に就職した。

だけど、お茶くみとコピーだけの毎日に、なんだかこのまま流されてしまいそうで、一念発起して専門学校に一年通い建築CAD(コンピューター内で書く図面作業)設計を修得した。


忙しさとあわただしさに、充分なゆとりもなく今にいたっている。

親も裕福であるせいか別段反対もせず好きにさせていてくれる。


ただ、やはり婚期を逃す事を心配して遠まわしに縁談の話などをもってくる。

この頃では断る気力もなくなってきているのだった。


ただ人が見る分にはまだ十分若く、二十代前半に見える。


美しい顔だちと抜群のプロポーションは、男の羨望と女達の嫉妬のまなざしを一身に受けるには十分だった。

男達も、あまりに高めな女を目の前にするとセクハラ混じりの冗談を言うか、遠まきに眺めるだけで、誰も本気で自分の愛をぶつけようとしてこなかった。


二年おきぐらいで会社を代わる派遣という職業も手伝って、今だに恋人の一人もいない。

短大のサークル時代に恋人らしき男はいたが、若さゆえのすれ違いから想い出をつくるだけの存在になってしまっていた。


明日の土曜日、会社のテニス部主催の簡単な大会があった。

恵里子も誘われているのだが、テニスなど学生時代からあまりやったことがないし、気が進まなかった。


若い人どうしの合コンも兼ねていて、男達のその日の目玉としてあがっていることは恵里子も気づいていない。


一つだけ、行きたい理由があった。

恵里子が密かに憧れている男が参加するからだ。


男は遠藤利行といい、三十代後半の設計デザイナーであった。

別にそれほどカッコよくもなく、一見すると中年のおじさんなのだが、恵里子には悪くない男性として写っている。


背は普通で、足も長くない。

顔は人並みであるが、笑った顔が人なつっこく印象に残る。


そう、男は強いて言えば人間くさいのだ。

普段仕事中は無駄口をたたかず、黙々と進めている。


時折簡単な模型を作ったり、建物のデザイン画(ドローイングという)を描いている。

そのセンスの良さは素人目にも光っていた。


平凡な形態であるのだが微妙にいくつかの切片が組み合わさり、複雑な表情を見せている。

シャープで印象的なものばかりである。


何よりも本人が、すごく楽しそうに作っているのがいい。

子供のように目をキラキラさせ完成した模型を時折、恵里子にも見せにくる。

小学生の子供が先生に誉めてもらいたいように言う。


「どう、このマンション・・・今度新しく出来るんだ。いっつも、こんなことしていられたらいいんだけどなあ・・・。建築デザイナーと言っても役所へ行ったり、工事費の計算とか雑用ばっかりで、こうやって模型を造ってられるのって全体の作業の一割にも、いかないもんなあ・・・」


そう言うと、恵里子の感想も聞かず、さっさと向こうへ行ってしまう。

若い女の子と話す時は、ハナッから受けることは期待などしていなかった。


所詮、自分は中年のおっさんだし、機嫌をとるのは女房一人でたくさんだと思っている。

だいたい不倫とか浮気とか、よくそんな面倒臭い事をするなあ、というのがこの男の持論である。


それほど浮気したいなら風俗へ行けばいい。


そりゃあ、素人と浮気するのは特別の調味料が効いて旨いかもしれないけど、又、その女も女房と同じになるのではないか。

それなら女房の機嫌をとって、愛してもらった方が良いにきまっている。


まあ、そんな度胸も金もないけど、と男は思うのだった。


話がだいぶそれたが、恵里子はCADオペレーターになる時一つの憧れがあった。

それは自分がつくった設計図が、やがて街の中で実在の建物になる事であった。


だが、いざこの世界に入ってみると設計者の変更に次ぐ変更で追いまくられ、自分がただの機械の一部に思えてしまう。

やっと出来た図面も現場で相当変えられるらしく、だいいち竣工した建物の写真など見せてもくれない。


だが、遠藤は違った。

一度、恵里子が図面を手伝ったビルが完成した時、見学させてくれた事がある。


あの時の感動は、忘れられない。


都会の交差点にそびえ立つ二棟のビルの外観はシャープなタイルとガラスでデザインされており、それらに挟まれた空間はアトリウムと呼ばれ、吹き抜けの広場になって曲面ガラスで覆われている。


ただでさえ人目を引く形態は色々な角度から違ってみえて、自分が引いた一本の線の意味が壁やガラスとして実感されるのであった。

遠藤は設計の初期の頃から模型をつくって説明してくれるので、図面を描いていて楽しかった。


そして一人言のように呟く。


「ここは丸い方がいいかな・・・どう思う?」

などと聞いてくれ、曖昧に答えると。


「よし、そうしよう」

と言ってくれる。


お世辞かもしれないが。


「大島さんに言われたとおりにやったら、カッコ良くなったよ。ホラ・・・」

と、作り直した模型を見せてくれるのだ。


こうして実際に完成した建物を見学してやさしく説明してもらうと、充実感が全身に沸き上がり、この仕事をしていてよかったと思うのである。


又、遠藤はマイナスの作業は殆どしなかった。

一旦作った図面を修正するのは、倍の気力がいるし気が滅入る。


よく変更する人に限って初期の頃から細かい図面を要求する。

やれ、扉の大きさが違うだの、壁厚がうすいだの、注文する割りにはガラッと部屋の間取りを変えたりするのだ。


遠藤に指示される図面は、あらかじめ彼が入力した簡単なデータに寸法を入れるとか部屋名を入れることから始まる。


「どうせ変わるんだから適当でいいよ。そのかわり、期日には間に合わせて・・・」

そう言いながらも、ちゃんと予備日をとっていてくれる。


できない人ほど細かく要求し、平気で今日中とか言って恵里子を遅くまで残業させる。

同じ設計でもこうも違うのかと、恵里子は思うのだった。


遠藤は時折つぶやく。


「あいつら、度胸がないんだよ。

最初から細かい図面持って行かないと、クライアントを説得できないのさ。


でも、それよりも簡単な模型とシンプルな図面の方が解かり易いのになあ・・・。

だけど、言っても無駄だろうな・・・。


殆どの奴がそうだから。

ドロドロになるまでやるのが好きだもんな・・・みんな」


恵里子にはよくわからなかったが、そういう気もした。


だから遠藤には人生に対する共感のようなものも感じられ、密かに憧れていた。

ただそれが恋かというと、自分でもわからなかった。


遠藤には妻子がいる。

噂では奥さんは、かなりの美人だそうだ。


一度、社員旅行に奥さんと子供を連れて来たらしい。

社内の人は地味な遠藤に、こんな美人の奥さんがいたのかと驚いたという話を聞いた事がある。


明日の土曜は一人で来るらしいが、もしかしたら打ち上げの飲み会で話が出来るかもしれないと思った。

身仕度を整えると恵里子はマンションを出た。


駅までの道をヒールの音をたてて歩いていく。

背筋はしゃんと伸び顔を真っ直ぐに上げているのだが、心の中は暗く重い気持ちになっていた。


二週間程前から毎日、帰り道をつけてくる足音があった。

特にこの頃仕事で遅くなる日が多く、そういう時はなるべく走るようにマンションに帰ってくる。


途中の道はあまり広さもなくひっそりと公園があり、チカンにであったら大変だと思うのであった。

新聞には連日のように通り魔やチカンの記事が賑わせている。

恵里子のマンション近辺の事件も多く、中には殺されている女性もいて本気で怯えているのであった。 


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