アイスコーヒー

川端 誄歌

振られる君。私のもとに来てよ。

 ずっと、恋をしていた。

 相手は同性の人で、出会いは高校の部活動。クラスは一度も被ったことがないが、部活が同じで趣味も似ていたことから話すようになり、卒業し大学生になった今でも遊ぶ仲ではある。しかし、その思いを相手に告げることが出来なかった。


                   □


「……嫌なことって、思い出すだけでも心が黒くなるよねぇ」

 そう、壱岐イツキは背もたれから身体を引き剥がしながら唐突に口を割った。

「………………急にどうした?」

 ファミレスに入って約一〇分。壱岐は口を開かず、注文を受けに来た店員にさえも、メニュー表の裏にある『アイスコーヒー』を指さすだけで、喋ることはなくずっと天井を眺めていた。だからこそ、わたしは彼女が口を開くまでスマホを見ていたのだが、

「聞いておくれよ双葉~」

「おん、どうした~?」

 アイスコーヒーが届いたタイミングで、ようやく口を動かす気になったようで、わたしはスマホを閉じて、テーブルの上に置く。高校時代とは違い、大学生になったことで茶色に染めた髪。俗に言う『大学デビュー』と呼ばれるもので、正直大抵の人は失敗しているイメージを受けるが、壱岐は事前に色々と調べていたようで、色合いといい、短く切ったボブが似合っていた。

「いやなに。ちょっと昔のことを思い出してさ……はぁ」

 普段、明るく活発な壱岐には似合わない大きなため息。

 頼まれたアイスコーヒーと、甘いものが嫌いな壱岐の手元に用意された、大量のガムシロップ。

「(また、いつものか)」

 もう何度も見た光景。

 彼女がこれを頼むときは、決まって話は恋愛絡み。それも、失恋話。

「すーっごい気分が沈んでて。それで双葉を連れ出したわけなんだけど」

 少し男勝りな口調も相まって、同性のわたしからしても。いや、男性からしても可愛いと言う言葉ではなく、カッコいいと言う言葉が投げかけられる壱岐。

 実際に顔が整っているのだから、文句のつけようがないのだが。

 自分以外の誰かにそう言われる彼女を見るのは好きではなかった。

「恋人と別れてさ。半年って短いようで長い期間だったなぁって思ってたら、なんだか悲しくなっちゃって。んで、ガムシロたーくさん入れたアイスコーヒーを飲みたかったんだけど――」

 目を細め、パキッとポーション容器の端を折る壱岐。その動作ですら様になっており、わたしはまるで王子とお茶会に参加しているお嬢様のような気分になる。壱岐が何故執事ではなく、王子様なのかと問われれば、それは彼女が、わたしの物ではないからだ。もし彼女が、わたしの恋人であったとすれば、間違いなくイケメン執事と表現していただろう。と、妄想を脳内で溢れ返させてから、彼女のネイルがいつもと違うことに気が付いた。

 普段は大人しめなベージュカラーを塗っているのに、今日は原色の紅や飾りがついていたのだ。よく見れば服装もそうだ。

 黒のカジュアルジャケットに、下は茶色のスキニーパンツ。

 彼女に良く似合うコーディネート。

「(もしかして、わたしのために着てくれたのかな?)」

 高校の時、わたしは今日と同じような私服の壱岐をベタベタに褒めたことがあった。校則によって普段は見られない壱岐の姿に、胸がときめいたのだって忘れたことは一度もない。それは恐らく、壱岐も忘れていないはずだ。あの時の彼女は、照れながらも、嬉しいと笑顔を浮かべていたのだから。

「で、双葉と話して忘れよー? とか思っちゃって。まぁ、この後女の子と会う予定あるから、そんな長くはいれないんだけど――」

 しかし、その言葉を聞いて、体の奥。特に胸元が軋んだ気がした。

「(………………わかってたけど)」

 ほんの少しでも、わたしのために勝負服を着てきたのだと。思いたかった。でも実際は違う。壱岐にとってのわたしは愚痴の捌け口で、恋愛対象ではないのだ。

「……帰る」

 これ以上、一緒にこの場に居る自信が一気に無くなる。

 今の声だって、震えずに出せたかどうかの自信がない。

「こーら、帰るって言わないの。ここは僕が奢るから、ね?」

 立ち上がったわたしの腕を、力強く。壱岐は掴む。彼女の顔を見ると、少し悲しそうに、そして意地悪そうにこちらを見ていた。

 その顔を見て、少しドキッと心拍数が跳ね上がって、一瞬にして頬が赤くなった気がする。

「べ、別に。奢ってもらうから、残る訳じゃ、ない」

 我ながら現金な女だと思う。

 好きな相手が振られ、わたしに会いたいと連絡が着て一喜一憂し、そして会えたと思えば自分がほかの女と会うための前座だと知らされ落ち込み。挙句、手を取られテレが勝って帰ることも出来ず、座り込んでしまうのだから。

「ふふ。双葉は本当に、優しいねぇ」

「………………いいよ」

 しかし、ある意味これはわたしに与えられた特権なのだ。

「愚痴。聞くよ」

 一度過去に、彼女を好きでありながら、拒絶してしまった代償に得たわたしだけの特別なポジション。

「んー? えぇ、良いの? 僕はただ――」

 壱岐が愚痴る時、アイスコーヒーにガムシロップを大量に入れるのを知っているのはわたしだけ。

「この後会う人に、愚痴愚痴壱岐を見せるわけにいかないからね」

 勝負服は今日のコーデで、黒のカジュアルジャケットに茶いスキニーパンツ。原色の紅いネイルは、初めてでちょっと分からないけれど。恐らく今夜会う人が好きな色なのだろう。

「………………はは。そっかぁ。じゃあ、お言葉に甘えて」

 そう、表情を崩す壱岐を見て。

 わたしの心は満たされていった。


                   □


 僕は心の中で悪魔のような笑みを浮かべていた。

 幼い頃から、性格が悪いと言われたことは一度もなかったが、僕自身はそうは思わない。表に出さないのが少し、人よりも特出しているだけで、僕の中には常に禍々しい、歪んだ感情が蠢いている。

 例えば今だったそうだ。

 ファミレスに入って数分。向かいには高校からの親友である、双葉が座っている。

 恐らく僕が一言も発しないから、彼女はスマホに視線を落として、なにやら指を動かしていた。

 だが、その光景を見て僕は満足している。申し訳なさは、微塵も感じない。それどころか、少し不機嫌そうに指を動かしている双葉の服を見て。

「(あぁ、期待をしていたんだろうな)」

 と、思う。

 地が緑色のフード付きブルゾン。フードには毛が生えており、狼のような他者を寄せ付けない、鋭い目を持つ彼女には良く似合っている。

 店内に入るなり隣に置いてしまったキャップも被れば、さらに良く映えることだろう。

「(あはは。いいね。いいねぇ)」

 天井に視線を向け、頼んだ商品が届くのを待つ。

 今、彼女は何を考えているだろうか。

 想像するのは容易い。このような回は何度も開いているからだ。

「お待たせいたしました。こちらアイスコーヒーでございます。……ガムシロップや――」

 店員が全てを言い終えるよりも先に、手を動かす。指で示す数は六。

 その行動に店員が少し、驚いたような顔をしたが、すぐにガムシロップを六個置いて、下がっていく。

「嫌なことって、思い出すだけでも心が黒くなるよねぇ」

 カップの淵を、なぞりながらそう呟くと、双葉は「急にどうした?」と、声をかけてくる。律儀にも携帯をテーブルに置く彼女の育ちの良さを感じつつ、僕は続けた。

「いやなに。ちょっと昔のことを思い出してさ……はぁ」

 気だるげに身体をテーブルに近づける。するとやはり双葉は僕を心配しているのか、後ろに束ねた黒髪を揺らし、こちらを見ていた。

「すーっごい気分が沈んでて。それで双葉を連れ出したわけなんだけど」

 恐らく僕もそうだが、双葉の話口調は初対面の人に圧を与える。ぶっきらぼうと言えばよいのか。それとも、あえてポジティブに言うなら誰に対しても、自分を曲げない芯が通っていると表現するべきか。

 なんにせよ、そんな孤独を体現したかのような彼女は懐けばこのようにどこまでも。いつまでも尽くしてくれるのだが。

「(知っているのは、僕だけ。なのかな)」

 そう思うだけで、笑みがこぼれそうになる。

 高校の頃、僕は彼女にある告白した。

 僕自身が同性愛者であうこと。

 すると彼女は、それを受け入れてくれた。否定することなく、受け止めてくれた。

 しかし、同時に双葉は僕と少し距離を置くようになった。

 当時の僕はひどく落ち込んだが、他者を寄せ付けない双葉の冷たい雰囲気のせいあってか。周囲の女子から嫌われていた彼女に纏わる噂を聞いて、僕の中に、悪魔が生まれる。

 彼女は、僕のことが好きだったらしい。

 では、何故付き合ってくれと言ったわけでもないのに離れていったのかは分からない。だが、彼女は僕を一度拒絶し、距離を取ったのだ。

「恋人と別れてさ。半年って短いようで長い期間だったなぁって思ってたら、なんだか悲しくなっちゃって。んで、ガムシロたーくさん入れたアイスコーヒーを飲みたかったんだけど――」

 そう、考えながら恋人と別れた話を切り出す。

 途端に双葉の表情は明るくなるが、僕はそれを見て、背中にぞくりとした感覚が走る。表情を読まれないよう、視線を落としつつ僕の中に居るどす黒い感情が動き出す。

「で、双葉と話して忘れよー? とか思っちゃって。まぁ、この後女の子と会う予定あるから、そんな長くはいれないんだけど。少しでも話そうと思ってさ」

 あの表情を壊したい。僕の一挙手一投足に揺れ動かされ、喜び、落ち込み。また喜ぶ。そんな双葉の顔を見たい。

 恐らく人はこの感情を歪んでいると言うだろう。もちろん自覚はある。だが、だから何だと言うのだろうか。

 僕はまだ彼女が好きだった。拒絶されてもなお。大人になってもだ。

 だから僕は彼女が嫌がることをする。

 彼女の顔が歪むことをする。

 彼女が涙をながすことを、してしまう。

「こーら、帰るって言わないの。ここは僕が奢るから、ね?」

 立ち上がる双葉の手を掴む。

 雰囲気とは違い、暖かな手。

 少し手が震えていることから、彼女がやはり泣きかけているのが分かる。

 それがとても愛おしくて。

 とても優越感に浸らせてくれるもので。

 心が満たされていく。

「………………はは。そっかぁ。じゃあ、お言葉に甘えて」

 涙を堪え、頬を赤く染めた双葉。

 作り笑顔を浮かべ、僕と目を合わす双葉。

 得も言われぬ胸の高ぶりを覚え、奥歯を噛み締める。

「(あぁ、その顔。僕は好きだよ、双葉)」

 表情を崩す。

 それを、どう受け取ったのかは分からないが、双葉はにっこりと。

 再度笑顔を作って返した。 

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