『話して、聞いて、深まって』
『_____へぁ?』
本の向こうから気の抜けた返事が返ってくる。気持ちはわかるし、こんな事信じて良い訳がない。あまりにバカバカしい。
でも、本を通して話しているこの状況が、既におかしいのだ。なにかあっても、不思議じゃ
『うげ…』
「ど、どうしました?小山内さん」
『と、隣の席に人が来てしもた…恥ずかしくて喋れんやん//』
今まで早口でまくし立てたり、喜怒哀楽のはっきりした感情を声にのせていた小山内さんは、小声になり、今度は恥ずかしそうな声を出していた。
そんな彼女が少し可愛くて、少し笑いがこみ上げてしまう
『な、なんで笑うんよ! あ、すみません…………ほら、もうこんな仕打ち嫌やぁ』
「ははは、じゃあ今日は解散にしますか?」
『…嫌』
「と、とりあえず僕は店出ますね。流石に一人で話してるのは恥ずかしいんで」
『ち、ちゃんと紙もっとってよ!?うちも原稿ちゃんと持っとくから!」
「もちろん」
お互いに一人で話し続けるのはあまりに羞恥心をくすぐられているようで、耐えきれずに僕は喫茶店を出た。この奇妙な縁が切れてしまうのを恐れて、原稿を大事に抱えるように持っていく。かなり大きな電話のようなものだと思っていたんだ。
しかし、店を出てすぐに気づく。
「__声が、聞こえなくなった」
体を反転させ、店に舞い戻る。カランカランという扉の音で店主が表に戻って来て戻ってきた僕に不思議そうな顔を向けるが、そんなことは気にしなかった。
「お、小山内さん!?」
『あ、よ゛か゛っ゛た゛ぁ゛!!!!!』
その、安心したような、脳天気なような、少し大げさな小山内さんの声がもう一度聞こえたことがあまりに嬉しくて。つい自分の口角が上がっているのは気づかなかった。
「すいません。僕喫茶店にいるんですけど、出た途端に小山内さんの声が途切れて」
『う、うちも!カフェー出たら聞こえんくなって…』
「カフェー?」
『あ、うん。うちカフェーパウリスタっていうお店でおったんよ』
「僕も、たぶん同じ店……ということはこのカフェが僕たちがつながるポイント、なんですかね?」
『じ、じゃあ君と話そうと思ったら、ここで独り言話さなあかんのかな…』
先程の恥ずかしさが残っているのか、少しがっかりしたように話す。
しかしこれは収穫だ。なぜつながったのか、少し理由が見えた気がする。なぜ僕たちだけなのかはわからないけれど。
『あ、朝に話さん?朝ならお客さんも少ないし、9時!開店の9時からここで話そうよ!やっぱり、こういう不思議な縁は大事にしたいし…大丈夫?』
「大丈夫ですよ。特に予定もないですし」
『ほんま!?じゃあじゃあ明日から毎日、朝9時ね!約束やからね!』
「ま、毎日!?」
顔も見たこと無い女性との約束。女っ気のない僕は少し舞い上がっていたのかもしれない。毎日会おうとする彼女に、否定の言葉をかけようとするも…ぴょんぴょんと飛んでいそうな向こう側のテンションからは、そんな事口に出せなかった。
「じゃあ、また明日、小山内さん」
『うん…じゃない!あなたのお名前は?うち聞いてへんよ!』
「
『良かったぁ、うち敬語苦手で女学校でも叱られてばかり…ってそんな話じゃなくて、うちのことは
「シズ、ね。じゃあまた明日な」
『忘れんとってね! また明日、お気をつけて』
パタン、と本を閉じる。久しぶりに湧き上がる明日への期待感に胸を膨らませ、僕は家への道を踏み出した。
「あ゛っ゛つ゛」
嬉しさに包まれて舞い上がりそうだった僕を、蝕むような熱気が迎え入れる。まだまだ8月も半ば。気温が下がる兆しはまだまだ見せてくれそうになかった。
昨日は不可解なことがありました。
いつも通り、カッコつけて頼んだ珈琲を一口飲もうとしたとき、うちの原稿用紙がうちに話しかけてきよったんよ!
アメミヤユキトくんって言うみたいやけど、原稿用紙から話しかけてくるなんて只者や無い!小説の神かなんかに違いない、この機会を逃したあかん!
そう思って、毎日朝9時、うちは雨宮くん…いや、ユキくんと話すことを約束しました。あしたも話せるかな?
ことり、とペンを置き、静子は床につく。柳智子と言い争いしたことなど、すっかり忘れてしまったかのように。穏やかな笑顔を浮かべていた。
二○二三年八月一三日
朝、目覚ましをワンコールで消した自分に驚きを隠せない。もともと僕は朝に弱くて、小さな頃は親に叩き起こされて、飯を食べてもう一度寝るくらいには布団と親友だった。
それが、このザマである。恋とはいささか恐ろしいものである。
「恋じゃない恋じゃない!まだ会ったこともない人間だぞ?一度しか話したこともないし、なによりその一度もほんの数分で」
一目惚れ、ならぬ一会話惚れしたなどとは認められない。
しかし脳裏染み付いて取れない、あの感情表現豊かで、楽しそうに話していた彼女の声を思い起こしてしまう。
「そんなはずあるかぁ!!!!」
遅刻した。
「ごめんって」
明らかに向こうには見えていないことは分かっていながら、額を机にこすりつけて合掌してしまう。言い訳のしようもない、僕が悪いのだから。
『許しません。ほんまに悲しかったし、寂しかったんやからね?」
朝9時半。約束から30分遅れて本を開いて話しかけると、ぱあって花が咲いたかのように喜んだかと思えば、ぷいっと顔を背けるのが目に浮かぶほど、シズは可愛く拗ねてしまった。その微笑ましさについ笑ってしまって、こうなった。
「はい、ほんとすいません」
『許しません。だから、必ず明日は、時間より早く来るように!』
「いや、それ開店よりも前『返事!』はいっ!」
もう、彼女には逆らえないのかもしれない。
「…そんでねそんでね!ユキくんに約束してほしいことがもう一つあるんやけど」
『はい、何でも聞きます』
昨日から全く進んでいない原稿越しに、ユキくんの従順な声が聞こえ、ついにやけてしまう。そんな上がる口角を抑え、頑張って冷静な声を出す。
「昨日帰っていろいろ考えたんやけど、今は大正12年なんよ。ユキくんはいつやっけ?」
『んあ~、令和5年だな。2023年」
「そう!うち、それ聞いたこと無いんよ、レイワ」
聞いたことがない年号。大正、うちが生まれたのは明治。その前は将軍様の時代で、確か慶応や。調べてもレイワなんてもんは出てこんかった。
「ユキくん、もしかして未来人なんとちゃうか?」
『…うん、それはもう僕の中ではわかりきったことなんだけど』
「んな!!うちが帰ったあと頑張って調べたゆうのに!」
こんの男は~!うちの調べた時間返してもらいたいわ!次の投稿締め切りももうすぐやっていうのに…あ、智さんに謝るん忘れてた。
わけもわからず謝っている幸人の声を遮って話を続ける。そう話はここからなのだ。
「で、できるだけ、未来の話。特にうちに関わりそうなことは言わんといて欲しいんよ…お願いできる?」
『あ~過去が変わっちゃいけないもんな』
「そ、それに…うちが売れるかどうかなんて、し、知りたくないというか」
そう、うちが女学校の試験勉強をサボってまで書いて、智さんに見てもらっている
親の言いつけを破って精を出しているこれが、無意味だなんて思いたくなくて。
『なるほどねぇ。正直大正時代に何が売れたかなんて知ったこっちゃ無いんだけど』
「と、とにかく!うちの人生先が見えると面白くないから!言わんといて!」
『まあシズの言い分もよく分かるし、それは承知した。んでも、じゃあ何話すの?僕たち』
あ、考えてなかった。この言い分からするに、ユキくんは未来の話をしようとしていたのだろう。それはうちが止めてしまった。…やばい…どうしよ。
「__あ!き、聞いてほしいんだけど!」
見つけた、手頃な話題!ちょっと、良い話題かわかんないけど。
「じ、実はうち、小説みたいなんを書いてんねんけど…うちの小説を見てくれてる智さんとの仲直り!どうすればいいんかな?」
うちの夢に不可欠な、直近の課題。会って二回目の、無関係な人に聞く話じゃないかもしれんけど…これしか思い浮かばんもん!
出会って二回目の女性と、聞いたことすら無い女性の仲直り。そんなものに関わらせられた雨宮幸人の困惑を気にも留めず、機関銃のごとく話し始めた小山内静子。しかし確かに幸せそうで、話の弾み具合が傍から見てもわかるほどに微笑ましい光景であった。
紙に話しかけているという、その一点を除いて。
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